九百二十七 駅構内の操車場(始発.富山駅)

平成二十九丁酉年
一月八日(日) はじめに
以前は旅行と云ふと、指定席往復割引切符(B寝台を使へる切符もあり東京から九州に使へた)或いはグリーン切符(B寝台も使へて金沢、富山、広島にはこれを用ゐた)を使ふ(93年の時刻表にはB寝台乗車の記述があり、99年には両方の切符ともB寝台の記述が無くなったからこの間に制度が廃止された)か、一般周遊券で周遊地を二か所廻ることが多かった。金沢で寝台特急を待つとき、時間があるので普通列車で富山まで行き、そこから寝台特急に乗ることが二回あった。一回目は富山港線のホームが線路五つくらいある先にあり、夜間なのでそれ以外はよく見えなかった。二回目は富山港線のホームがすぐ隣に来た。その後、富山港線が路面電車化されるときに富山にも行ったが、このときは駅構内に操車場の無い旅客駅になってしまった。
一番最初の富山駅はどのやうだったのか気になってゐたが、今となっては調べることができない。ところがインターネットで昭和五十四(1979)年の富山駅の写真を見つけた。それを見ながら当時の富山駅を再現したい。
我々が鉄道を調べるときは、旧国鉄や現JRの従業員なら簡単に判ることに時間を掛けてはいけない。関係者の気が付かないことを調べて記録し社会に貢献すべきだ。

一月八日(日)その二 富山客車区
北陸本線のホームと富山港線のホームの間には三線あり、一番富山港線ホーム寄りの線はホームに隣接するものの柵があり乗降はできず、西側の富山客車区に入った。富山客車区は七線あり、北一番線は69mと短く地下タンク給油用、北二番線から六番線までは250mで二番、三番、六番が仕業線、四番、五番が洗浄線で二線の周りに三つの洗浄台が縦に続く。北七番は149mで臨検・交検線でその半分弱の長さに検査坑、1/3の長さに検修車庫の上屋があり上屋の半分は検査坑と重なる。三番四番の間と六番七番の間に電車点検台がある。七番の北に油倉庫、客車区の建物(総合職場)、車輪置き場があり、短い一番の西側に検修詰所(上回り)、二か所の北整詰所、ホーム上の一つの部屋に仕業検査詰所と旅客者サービス班。二番三番の間と五番六番の間に空制試験装置。二番から六番までは断路器。
富山客車区の北には奥田駅までの単線の貨物線が走るが、客車区との渡り線は無かった。

一月八日(日)その三 富山第一機関区
北陸本線と富山港線のホームの間の二線目は西側で、入替標識と「一旦停止」と書かれた縦札のところで富山第一機関区の検修庫への三線とそこから枝分かれする機留線みたいな二線に分岐する。つまり機関庫は客車区の南に隣接する。機関庫の南側の留置線八本のうち四本にも分岐するから、この四本は機関区の構内だと判る。丁度「雷鳥」「しらさぎ」と二本の電車特急が留置されてゐる。「一旦停止」の縦札を見逃すと八本全部が駅構内に見えてしまふ。
これで一件落着のはずだったが機関区の留置線四本のうち一番手前の線からその一つ手前への渡り線がある写真を今発見した。しかしここに「一旦停止」の標識がない。渡り線の廃線跡なのか一番手前の線は駅構内なのか。同じやうに機関区一番北側の機留みたいな線は客車区の地下タンク給油線に渡りがあるやうにも見える。
富山第一機関区はDL35両、DC50両が配置されたさうだ。

一月九日(月) 駅の留置線
機関区の手前の四線は駅構内で、従来客車で五両編成と二両編成くらい、一番手前の線は機関車が留置されてゐるから機留線かも知れない。これらは北陸本線と富山港線のホームの間の一番手前の線が分岐したもので、米原方からの本線とも渡りがある。二つのホームの間の三線を東側に追ふと、一番奥と二番目の線は片渡り二つで相互に繋がったあと一番奥の線はDLが停泊しその先は見えず、真ん中の線は自動洗浄機に繋がる。一番手前の線は二番目の線への方渡りののち二つに分岐しELの直江津方に従来客車の荷物車を一両連結した状態でパンタグラフを下げてある。
富山港線ホームの北側は奥田からの貨物線が四つに分岐し、うち一番奥は行き止まりのやうで、その手前の線に従来客車の荷物車と旅客車を混結させたもの、更に一つ手前は旅客車が一両だけ留置してある。ここは奥田への貨物列車の行き違ひ用だったと思ふのだが、或いは最初から客車の留置用かも知れない。四線が奥田方と集結すれば入替はどちらからもできるから便利だ。100両の客車が富山駅常備なので留置線がたくさん必要になる。

一月九日(月)その二 貨車の留置線
北陸線ホームの南東に隣接して四本の貨車留置線があり、ホームとは非舗装の斜面になってゐる。何となく国鉄時代の総武線佐倉駅を思ひ出すが、架線の碍子が直流用なので富山地方鉄道の構内だと判る。一番南側の留置線は富山地方鉄道のホームに隣接する。パワム(ワム80000)が三両連結した状態と、隣の線路はセメント会社の砂利運搬車が一両留置してある。
四線は一旦終結したあと隣の東西行き止まりの線に渡りがあり、その線からデッドセクションを経て直江津方でホームに戻る方角で国鉄側に渡り線があり、そのまま北陸本線米原方ホームかその一本北側の線に着線する。

一月九日(月)その三 まとめ
以上は写真を見て結論を出したものなので、写真を何回も見れば目新しいことは何もない。しかし断片の写真を全方位にまとめることは十回以上見直さないとできない。だから私の記述は役に立つと思ふ。
富山駅は電車は機関区の留置線に入ることはあっても、パンタグラフを点検するには客車区に入区することになる。およそ客車区らしからぬ設備はそのためにある。
機関区内で隣の線に移動するには一旦駅に出る必要がある。ここに機関区と駅の連携が必要で、ダイヤ改正で作業計画を立てるとき鉄道管理局の腕の見せ所となる。今は駅と電車区が分離する。これだと電車区に入った車両は電車区の内部で移動できるから鉄道管理局(JRだと支社)の出番が少ない。人出は掛かってよいから乏しい施設で済ませるのが昔の発想だった。施設は土地や建材をふんだんに使ってよいから人出を掛けない。これが今の発想だ。(完)


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