九百二十一 真田丸(最終回と総集編)

平成二十八年丙申
十二月三十一日(土)
一億総白痴推進機(通称、テレビ)はほとんど見ないので、今月は意識して推進機を見るやうにした。勿論白痴にならないやうに気を付けた。その一環として真田丸の最終回を見た。感想は、「水戸黄門」「遠山の金さん」「暴れん坊将軍」と同じで、一年に数回程度見るなら面白いが毎回見ると飽きるだらうと云ふものだった。真田幸村が大坂夏の陣で家康に肉薄したり、その後ちょっとした事から豊臣軍が総崩れになるなど、作り話の連続だったからだ。
そんなことがあり、昨日の総集編は全部を見た。もし真田丸が総集編だけなら良い時代劇だった。話の不完全な部分はあってもそれは一年分を四時間程度の総集編に纏めたためだ。しかし一年間に放送されたとなると、退屈で不自然な話の連続になる。

一月三日(火)
総集編だけを観ると、良い大河ドラマだった。毎週日曜の本放送だとずるさの目立った真田昌幸(草刈正雄)が、総集編では頼もしい一族の長だった。上杉景勝(遠藤憲一)、豊臣秀吉(小日向文世)、石田三成(山本耕史)、茶々(竹内結子)の個性ある顔もよかった。俳優は顔の個性が大切だ。個性ある顔と云へば本多正信(近藤正臣)の本放送でのわざとらしさが総集編ではまったく無くてよかった。本多忠勝(藤岡弘)も頑固者から真田親子の助命を家康に嘆願する律義者になった。きり(長澤まさみ)の準主人公とも云ふべき存在も光った。
つまり総集編はすべてよかった。

一月四日(水)
豊臣秀頼は関白職に就きたくなかった、秀吉は温情で秀頼に謀反の疑ひだがすぐ晴れたことにして秀頼行方不明事件を穏便に済ます予定だったのに、秀頼が勝手に自害して秀吉が激怒した、など脚本は登場人物を真の悪人に仕立てない配慮が総集編全体を貫き、これは好感が持てた。尤も毎週日曜の本放送では真田昌幸のずるさが目立ったから、例外もあるが。
秀吉、三成、景勝と云った西軍を人情溢れる人たちに仕立てたのは、幸村が大坂方だったのだから当然ではあるが、従来の歴史とは逆の解釈だから、時代劇として優秀だ。
結論として、毎週の本放送は時間が莫大だから冗長な話が多くなる。それは人情話が多く観る人に共感を呼ぶが、歴史に沿った時代劇を期待する固定ファンには不満だった。ここに大河ドラマの存続にも関はる大問題が潜む。(完)


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