九百十六 散歩の再開

平成二十八年丙申
十二月十三日(火) 血糖値対策
最近散歩を再開した。一つは食事直後に散歩をすると血糖値上昇を抑へると云ふ記事を読んだからだ。前に読んだ別の記事では、食事後一時間で血糖値が上がると云ふものだった。だから一時間辺りを目途に机に座りっぱなしではなくパソコンを移動させたり書類を置きに行ったりして歩くやうにはした。
散歩を中止したのは五月に、紫外線が強くなると云ふ記事を医院の待合室で読んだためだった。九月の中頃あたりから涼しくなり紫外線も弱くなる。このころ散歩を再開すればよいのに、家の売却や引っ越しで忙しく気付かなかった。なるほど忙しいと、気が付かないこともある。

十二月十六日(金) 野鳥の家
太陽光を防ぐため、散歩は南方に行くことが多い。家の陰でほとんど日が当たらないためだ。小回りコースは本町卓球場の先を右折し旧貴乃花部屋の通りを戻る。中周りコースは本町図書館の通りを回る。大回りコースは中野坂上の手前を回る。
中周りコースで多数の野鳥が棲み付く家に遭遇した。スズメだと思ふが樹上で多数の鳴き声がする。おそらく最初は一つがひが棲み付いたのだらう。保護するうちにたくさんになった。木は一列に数本だがまるで森のやうに鳴き声がする。ここは都会の貴重な楽園だ。

十二月十九日(月) 救心製薬本社
西方に歩くと杉並区和田に入る。救心製薬の本社は、広い駐車場の奥に小さな二階建てのビルだ。どうしてこんな小さな本社なのだらうかと、数年間から不思議だったが、先日の散歩で謎が解けた。本社の近くに本社管理棟と云ふ普通の大きさのビルがある。少し離れてセンター棟・東京研究所もある。

十二月二十日(火) 和田帝釈天
北方に歩くと堀之内妙法寺の手前に和田帝釈天がある。妙法寺の境内施設かと思ってゐたが妙法寺とは別の教会だった。教会とは墓地や納骨堂を持たない寺院のことで、明治政府は幕府の政策を継承して寺院の新設を禁止した。しかし欧米の圧力で教会は新設できた。その名残だ。
堂の後方が民家と繋がり帝釈天会館の看板がある。入り口に「妙法寺参詣道(堀之内道)」の掲示があり、それによると新宿より堀之内まで数百軒の飲食の茶屋が並んださうだ。途中に常仙寺と云ふ曹洞宗の寺がある。ここは寅薬師で有名ださうだ。
昼食を食べたあと和田帝釈天までは徒歩で往復しても間に合ふ。しかしこの日は帝釈天の裏に行ったり説明板を読んだりしたので、帰路は一部走った。

十二月二十三日(金) 野鳥の家の変化
野鳥の家は四回ほど観に行った。これだけ多いと日本野鳥の会に入会しなくてはいけないか、と云ふことはない。それより民家の庭に棲むスズメは野鳥と云へるか。四回の観察で変化が現れた。一回目と二回目はピーピーと多数の鳴き声が聴こえた。飛び立ったり戻ったりする親鳥が多いから餌をもらはうと雛が一斉に鳴くのだらう。
三回目に道路で見上げてゐると親鳥が多数ベランダの屋根に留まった。或いは下で人間が見てゐるから巣の場所が判らないやうにベランダに集まったのかなと想像した。四回目は飛び立ったり戻ってくる親鳥は多いものの鳴き声が聞こえない。野鳥の家を見つけてから数週間で雛が成長したのかも知れない。

十二月二十九(木) 野鳥の家の再変化
その後、野鳥の家は二回行った。すると再びピーピーと鳴くやうになった。前回は偶々鳴かない時だったのだらう。近くを散歩する老人にスズメですかと尋ねるとスズメだろうねとの答だった。かう云ふことは地元の人が一番詳しい。
二回目の散歩のときに、散歩が面倒だなと一瞬思った。歩き始めればそんなことはなく、歩くと気持ちが良く、また早足で歩くとまるで飛んでゐるやうに感じる。だから面倒だと感じたのは一瞬だったのだが、今まではないことだった。私も年を取ったのかなと思った。或いは野鳥の家を連続して観に行ったからさう思つた。これが正解かも知れない。
四月の健康診断で血糖値が基準を超えた。昨年四月は基準ぎりぎりだった。その前は正常だから二年間で急に高くなった。私は尿酸値が高いので定期的に医院に行くが、先月血糖値を調べて貰ひ正常値に戻った。ここ二年ほど野菜の代はりに果物を食べることがあったのでそのためだらう。正常に戻っても散歩は続けたい。(完)


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