九百十二 NHKは廃局にすべきだ(テレビを久しぶりに観ると)

平成二十八年丙申
十二月一日(金)
我が家はテレビをほとんど観ない。私は日曜早朝の「心の時間」を月に一回だけ観るが、今は再放送だし、そもそもあのやうな出来の悪い番組を二度観たいとは思はない。妻は共働きだし子供は忙しい。といふことで、ここ一カ月でテレビを点けたのは、アメリカ大統領選の翌朝に、妻が調理をしながらテレビのニュースを聴いた五分間だけだった。この場合も観たのではなく音声を聴いただけだった。私は前日のインターネットでトランプさんの当選を知ってゐたから聴くこともしなかった。
その私がテレビを久しぶりに見ようと思ったのは、NHKの押し売り(世間の感覚では勝手に民家に押し掛けるのは押し売り以外の何物でもない)が来たからだ。契約をするやう云ふので既に契約してあって移転したと答へると、それでは調べてみますと云ふ。如何にも他人を疑った口調だ。一旦家から引き上げたあと5分ほどして再び現れ、確かに契約はしてあるがここのマンションはBSも映ると云ふので、アンテナ線は地上デジタルと接続しただけだからBSは映らないと答へた。
するとアンテナ線をBSに繋げてみましたか、繋げると見れますよ、と言ふため、BSを使ふときだけ繋ぎ替へる家が全国にあるのか質問すると、無いと云ふ。当たり前だ。これはNHKの責任ではないがあのアンテナ線の構造は欠陥品と云ってもよい。線が細いから何回も繋ぎかへると曲がってしまふ。

十二月三日(土)
月に一時間程度しか観ないのに受信料を払ふのは無駄だから、先週の日曜は集中してテレビを観た。まづNHKの「うまい! しぼり大根 秋田の地域食」だ。これは「明るい農村」の一回放送分だらうと期待してスヰッチを入れた。しかし変な女(おそらくNHKのアナウンサーとその他)が数人で雑談と空騒ぎをするだけなので、スヰッチを切った。
私は「明るい農村」のテーマ曲が好きだったが最近は聞かない。インターネットで調べると昭和六十年(1985)に終了した。NHKはああいふ制作をしなくては駄目だ。すっかり低能アナウンサーがでしゃばるだけの放送局になってしまった。

十二月四日(日)
次にNHK教育テレビで日曜美術館「祭りの水墨画 日本と中国を結ぶ 傅益瑤(ふえきよう)の挑戦」を観た。お父さんは人民大会堂の壁画を描いた中国を代表する水墨画の大家だった。ところが文化大革命で水墨画は否定され、失意のうちに亡くなった。娘が来日し水墨画を描き、日本の祭りと出会ふ。その後、祭りが長いこと禁止されてゐた中国で注目されるやうになった。
ここまでは昭和六十年までのNHKらしい堅実な作りだ。ところがその後、男女二人が登場し傅益瑤さんに質問する場面となり、女の容姿に嫌な印象を持った。今回このホームページを作るに当り調べてみると、男は俳優、ファッションモデル、ファッションデザイナーと云ふことで合格だ。
女はアナウンサー。男女二人が登場したのに女の容姿にだけ嫌な印象を持った理由はやせ過ぎだ。容姿は生まれつきの要素が強いから容姿で差別してはいけない。水墨画の画家やその他の出演者が太り過ぎだらうとやせ過ぎだらうとどんな顔つきだらうとそれはまったく問題にならない。しかし俳優やファッションモデルは容姿が第一条件であるのと同様に、テレビ局のアナウンサーがタレントもどきに出演するなら容姿が関係する。タレントもどきで不適切ならニセタレントでもよい。ニセタレントとして不適切な人はラジオに回ってもよいしテレビのナレーターを担当してもよい。この女アナウンサーは若いときは地方局で人気があったさうだ。若いアイドルはやせ過ぎの人が多く、それは逆に可愛さがでるのかも知れない。しかし年をとってそのままだとテレビに出演するには不適切だ。
本物のタレントは若い時は適合して中年になってから適応しない人は淘汰される。ところがアナウンサーと称する連中は淘汰されない。アナウンサーは技能職として裏方に徹する。表に出たい人は淘汰と背中合はせで仕事をする。どちらかにしてもらひたい。

十二月八日(木)
この日はテレビ東京の『中国世界遺産ものがたり「黄山17 黄山の雲海」』も観た。30分番組かと思ったら5分で終了した。短時間だが良い番組だった。NHKはテレビ東京を見倣ったほうがよい。NHKのよいところを民放が守り、NHKはアナウンサーがでしゃばるだけの駄目な放送局になった。そのことを改めて認識する一日だった。

十二月十日(土)
その数日前に、NHKのニュースもどき(ニュースだが本物のニュースではないみたいだった)で驚いた。ニュースの題が四つだか五つある。一つ一つに女のアナウンサーだかアナウンサーもどきだかが付く。これでスヰッチを切った。一人のアナウンサーが全部担当すればよいではないか。題はニュースの題で特集ではないと思ふ。国民のNHKではなく怪しげな職員たちのためのNHKになってしまった。
テレビ放送の開始から六十三年。おそらく最初は皆が緊張して放送したことだらう。それはアナウンサーも同じだ。宮田輝や高橋圭三のやうなスターは稀だった。それは国民からスターになる比率とそれほどは変はらないとみるべきだ。ところが待遇(収入のほかに有名になれるかなど)のよいところにはシロアリが湧く。議員しかりアナウンサーやアナウンサーもどきしかり。NHKではこれらはかつては裏方に徹してゐたのに組織自体がシロアリになってしまった。民放より悪い。NHKは民放化する必要はない。廃局すべきだ。民間では倒産やリストラが当たり前なのだから。(完)


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