九百一 バス旅行と大学祭

平成二十八年丙申
十一月八日(火) バスターミナル
最近、遠距離はバス旅行をすることが多くなった。鉄道の無機質な車内や駅と比べて、バスの車内と高速道路のサービスエリアには人間の暖かさがある。先日、バスと鉄道を乗り継いで学園祭を見に行った。出発は大崎だ。駅前にバス停のポールが立つのだらうと予想したが、行き止まり式のプラットホーム三線と通過式の路線バス一線を有する立派なターミナルだった。通勤定期券のある大井町駅で降りてあとは大崎まで歩いた。
駅前を歩くと三十年前に富士通川崎工場合唱団の発表会が品川公会堂であったことを思ひ出す。大井町線のガードに沿って歩くと40年前のHさんを思ひ出す。Hさんのお父さんは飲み屋を経営し、店舗兼自宅はガード下だった。そのお店で飲み会を開き、そのまま徹夜で過ごした。頭上を大井町線が走ると天井がガタガタすごい振動がする。今思うとよくあんな環境で生活できたものだ。プラザ合意で日本人の生活は贅沢になった。
品川区役所は立派な建物だ。当時とまったく異なる。線路に沿って歩けばよいのだがM寺の先か手前に短絡する道があった。手前に小道はあったが隣が大規模工事中で先へ行った。M寺はお会式と云ふ看板が電灯で照され、数組の家族連れが出てきた。かつてXX会が信者だった時代とは比べ物にならないが、寂れ方が足りない。XX会の出現で急膨張した宗派は、出て行った後は元の寂れ方に一旦は戻らなくては将来に禍根を残す。
大井町の駅前はかつてソニーの工場とその間を走る小道で寂れたところだったが、巨大ビルの乱立する場所となった。その一角にバスターミナルが出現した。インターネットによると昨年12月7日から運営を開始し、今年10月31日には成田空港直行芝山町行きの低価格高速バス(1200円、Web予約だと1000円)を運行するさうだ。これは安い。成田エクスプレスとは比べ物にならない。大人気となることは間違ひない。

十一月十三日(日) お笑ひコンテストと学生講演会
大学祭では理工系に独自の催し物があり、中高生向きをターゲットとしたものだが大人も楽しめる。将来理系を目指す人を増やす好企画と云へる。それに比べて文科系は学部としての企画がないから、つまりは食べ物の模擬店とニューミュージックと、実行委員会主催のミスコンテスト、お笑ひコンテストだけの大学祭だった。
お笑ひコンテストは第一部ではなく、第二部を見た。これは第一部に落選した予備軍だが実に面白い。私は今年二月まで特別支援学校で教へてきたが、私のやうに面白く授業をできる先生は東京都教育委員会でも百人に一人くらいだらうと自負してきた。ところが第二部は私より100倍面白い。100倍と云ふと途方もなく大きく聞こえるが、人間の感覚は対数だから倍の倍、つまり20デシベルとなる。或る学生に、ずいぶん面白いねえと質問すると、学生数が多いから面白い人も出るさうだ。なるほどこれが総合大学の強みだ。
文科系で唯一学術的だったのは、その分野の専門の学生(主に院生)に講演を依頼し実行するグループで、毎月実行してゐて今回は大学祭に合はせて一時間づつたくさんの講演者で実行した。まづ重粒子照射による癌治療の話を聞いた。実は講演の最中に居眠りをしてしまひほとんど聞かなかった。私は放射線取扱主任の資格を持ってゐるから(仕事では三十一年間使はないが)この内容だと既に判るのと、夜行バスで来たから眠かった。決して講演内容が悪い訳ではなかった。
講演が終はる直前に目が覚めて(拍手で?)、質問の時間に幾つか質問が出た。私は、質問が途切れたら重粒子治療を繰り返すことを避ける理由を訊かうと思ったが、司会の女学生が幾つも質問するのでその時間が無かった。そのときは司会者は自分が目立ってはいけないと思った。大学生にそこまで求めるほうが悪いのだが。しかし私の疑問への回答が、司会者の質問への回答に含まれた。重粒子が患部の手前を通過する際の影響がまだよく判らないためださうだ。

次の講演はトンボと自然保護の話で、これも聞きたい講演だが実は更に一つ先にもう一つ聞きたい題があるため、別の部屋を見て回った。もう一つの題はニーチェだった。ニーチェはやせ我慢の哲学、そんな内容だった。質問の時間に私はニーチェと実存主義について質問した。ニーチェ自身は実存とは云はなかったが後世になってやせ我慢の哲学が実存主義と分類された。そんな回答だった。司会の女学生が実存主義とは何か質問した。これはよい質問だ。私自身実存主義について書かれた本を読んでもどうもしっくり来ない。今回の回答でよく判った。重粒子のときは司会が質問し過ぎると思ったが、放射線といふ専門外の話のため、質問が多くなっただけだった。と云ふことで講演者も司会者も合格の好企画だった。
それにしても学生が講演するのは良い企画だ。出演した本人は話し方の練習になるし、聴衆は他の学部の院生や学生の専門の話を聴ける。

十一月十三日(日)その二 感想、帰路
お笑ひコンテストは、すべての出演者に賛成と云ふ訳ではない。下ネタは出演すべきではない。大学祭だけではなく、社会に出てからも駄目で、下ネタ抜きで面白く話せなくてはいけない。笑ひ声を誘ふだけが面白い話ではない。心の中の笑ひもあるし、笑はないがいい話だと感じる場合もある。腹を叩く一人コントが出演したあと、次の出演は漫才だったが一人が腹を叩き、もう一人がそれは前の出演者の真似ではないか、と言った。これなんかは高度な笑ひだ。
お笑ひコンテストの或る出演者が、彼女がゐないからアベックに嫉妬したと云ふネタがあった。お笑ひコンテストとは別の催し物でもそのやうな話があった。大学祭全体の中の二つだから少ないやうに見えるが、食べ物模擬店を除くと残りは少ないからその中の二つは多い。大学の目的は学問を究めることで彼女を見つけることではないから、これはそのやうな雰囲気にした社会が悪い。更には西洋の猿真似をした戦後の社会が悪い。

一泊の後、翌朝のバスで東京に戻った。Willerバスの五十五歳以上1000円の企画だ。往路は同社の3列の夜行バスだったからWillerバスにもきちんと儲けさせた。最前列通路側だった。ディスプレイが各座席に設置されてあるから、前が見えない。通路側なので上半身を15cmくらい内側に傾けると前が見える。背筋を伸ばすとディスプレイの上からも見えるが、これは長時間だと疲れる。と云ふことでディスプレイ用のイヤホンは借りずに、高速道路を見ながら東京に戻った。通路を挟んだ反対側の座席の若者は、前の景色が面白いのにイヤホンでずっと聴いてゐた。(完)


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