九百 二種類の管理部門

平成二十八年丙申
十一月五日(土)
管理部門のやり方には二種類ある。直接部門の活動を推進する方法と、直接部門を統制するやり方だ。私はここ10年ほど管理部門にゐることが多いが、前者の立場に立つ。
正しく云へば、直接部門の活動を推進する必要がある場合は前者になり、直接部門にずさんなところが多い場合は後者にならなくてはいけない。つまり一つの組織で両方できなくてはいけない。

十一月六日(日)
それにも関はらず、前者が優れて後者が劣る。それは応用力の必要なのが前者、要らないのが後者だからだ。都立高校や都立特別支援学校はかつて事務室と呼ばれた組織を十年ほど前に経営企画室と改称した。これは前者のやうな組織になることを期待したからだらう。
最近読んだ経済記事に、総務部が企業改革の中心にならなくてはいけないと云ふものがあった。人事部が中心になると皆、一歩引いてしまふからだ。誰もが自分の評価や人事異動先は気になる。だから総務部が中心にならなくてはいけないと云ふのは一理ある。

十一月十二日(土)
往々にして他の部門で役立たない人を間接部門に移動させることがある。間接部門で権力をふるって書類の書き方が悪いだとか提出が遅れただとか文句を言って直接部門の足を引っ張ることがある。これは絶対に避けなくてはいけない。だから尚のこと間接部門は直接部門を推進する立場でなくてはいけない。
そのことと関連して数年前に日本経団連あたりから、日本の労働法制は一つの職種で合はないときに別の部署に転換しなくてはいけないからその規制を無くすべきだと云ふ主張が出てきた。この主張は一見賛成だが、使用者側に乱用されてしまふ。例へば私はソフトウェア製品販売支援として入社したが、今はソフトウェア製品の販売はほとんど無い。もし別の部署に転換しなくても解雇してよいことになると解雇されただらう。そもそも会社の事業内容をしょっちゅう変更すれば自由に解雇できることになってしまふ。
日本のすべての企業、公共機関が被雇用者を職種限定で雇用し、従って社内昇進はさせず管理職は職種職位限定で採用するのであれば、職種が無くなれば自由に解雇してもよい。次の仕事は幾らでも見つかるし、幾らでも昇進することができる。しかし大企業や公務員のほとんどは組織内移動や組織内昇進なのに、制度として職種転換をせず解雇できることになると、解雇された人間は莫大な不利益を被る。
(日本でも外資系はこのやうな人事政策を行ってゐる。争議になることもあるがほとんどうまく行くのは、さういふ労務政策に慣れて入社し、その対策として人脈を作ってあるからだ。今の会社で次はどこに転職するか目星を付ける。だからそこの会社には破格の条件で仕事をしたり、自分が優秀なことを示して仕事をする。余談だが私の場合、今の会社に転職した最初から悪口を云ふ人がゐたので、何しろサリン事件があった日にたまたま休暇を取って翌日出勤したら、あの事件は君がやったのだらうと云はれたくらいだった。オーナー社長は私と同じで富士通グループの出身だったので私への期待と噂で揺り動いたが(中略)労働組合加入、都労委、中労委申し立てに至った。中略の内容は二十年以上あり、専務取締役、取締役、総務部長、人事部長、監査役の退職時事件を始めこの二倍くらいの事件があるがそれは云はない。資本主義の冷酷な社会で倒産を免れた故オーナー社長の努力は評価しなくてはいけない。その流れで私も退職者に含めようとしたことも理解するが、私が外資系のシステムを知ったのは入社して十年くらい経過してからだった。当時の社長がなぜこんな労務政策を取ったかは外資系の大手コンピュータ会社との取引が会社の売り上げの多くを占め、一方でその会社はリストラを十年くらい続けたあげく別の大手外資系に吸収された。取引先の労務政策と同じことをした。外国の一部分だけ真似をしてはいけない、シロアリ民進党は撲滅しなくてはいけないと私が主張する理由はここにある)


十一月十三日(日)
私が今までに出会った理想的な管理部門は富士通マイコンシステムだ。富士通の半導体本部が莫大な利益を上げた時代に半導体本部がパソコンに進出し子会社を作った。総務部長は営業推進の出身、総務課長は事務部門、あと課員が数人ゐたが、性格のよい人たちの集団だった。
(これ以外に経理部だったか総務部経理課だったかが、当時の富士通本社があった古河総合ビルにゐた。直接部門には二つの課に一人くらいづつ書記と呼ばれる事務担当がゐて、これは平凡な事務員だった。書記をまとめるのが管理部門と云ふことで良い性格を保てたのだと一旦は思ふ。一方で、半導体不況でパソコンが電算部門に移管ののちは、電算の管理部門は性格の悪い人たちの集団だった。こちらにも各課に書記はゐたから、書記をまとめることは十分条件ではなく、組織が新しいかどうか、本部や会社の将来性、方針が大きく物を云ふ。)

私が今の会社に転職したとき、当時の横浜事業所総務課長のことを或る役員が「憎まれ役にならなくてはいけないのだがなれないんだな」と批判した。私が憎まれ役と云ふ言葉に始めて遭遇したのはプロ野球の広岡元監督の著書だ。広岡さんは森コーチのことを「憎まれ役になってくれた」と評した。私は憎まれ役になれと云ふ方針に賛成ではない。憎まれ役がゐる一方で従業員が上司や役員を慕ってやる気が出るなら憎まれ役もよい。しかし間接部門に憎まれ役がゐると従業員の怒りは会社に向かふのではないか。だから広岡さんは監督に就任した年にチームが優勝するものの翌年は早くも騒動になる。
企業にあっても従業員にきちんと説明して規律を喜んで守るやうにすることが間接部門の役割ではないだらうか。この総務課長は幕末の事件で有名な生麦の町内会副会長を務める好々爺だった。定年後も数年間は務め、或る年に突然契約を打ち切られたと怒ったが、他の間接部門部長取締役のやうに労働基準監督署に駆け込んだり、弁護士がついて裁判寸前になったりしなかったのだから円満退職に分類される。

今までに出会った一番悪い管理部門は、今の会社の元総務(或いは人事だったか)部長で当時は定年後で顧問の肩書の男だ。この当時は家族会と云ふ組織があり、毎年夫婦同伴で都内旅行をした。私が入社した年は用事があり旅行に参加できなかった。半年後に家族会が解散になった。会社が倒産寸前でボーナスがほとんど出ないので、給料天引きの会費を廃止するためだった。余剰金の配分を巡ってこの顧問は会員全員にアンケートを取った。会員期間に応じて配分するか、均等に配分するかと云ふものだった。まづ事務部門がこんなアンケートを取っては駄目だ。余剰金が毎年増えるなら会員期間に比例して配分すべきだ。毎年増えないならその年の加入月数に応じて配分すべきだ。こんなアンケートを取ったら前者になるに決まってゐる。結果は予想どおりだった。私は半年分の会費を払って一回も旅行に参加せずわずかな金額が戻ってきた。事務は公正、公平のため存在すると云ってもよい。直接部門に事務をやらせると公正、公平ではなくなるからだ。それなのにこんな出鱈目なことしかできない事務とは一体何なのか。
この男には前科がある。個々の書類の様式ではなく、書類全体の様式、つまり紙の上から何cm空けて左右と下もそれぞれ何cm空けるなどを決めると云ふ。それは平時に提案するならよいことだが、今は会社が倒産するかどうかだ。そんなことを提案するのではなく増収策、増益策を提案すべきだ。
ちなみにこれらの人たちが退職したり退職させられたりしたあと、会社の業績がよくなってから人事部長、会計部長などで転職してきた人たちは平凡ではあったが、性格のよい人たちだった。公正、公平に勤め、例へば会計部長は私が都立特別支援学校で教へるに当り尽力してくれた。だから翌年に或る事件(私の労組問題に関係するから私も心が痛むのだが)で退職したとき、退職の話を聞いた副校長が大変残念がってゐた。間接部門は平凡、公正、公平、性格が良い。これらが必須なのかも知れない。

十一月十五日(火)
勿論平凡ではなく優秀な間接部門が一番よい。最近は事務所の机の配置などに工夫を凝らす企業が多い。これは間接部門が優秀なのだらう。しかし一般には間接部門で優秀を自任する人はコネか何かで入社し、前職が三流銀行だったり社長の弟だったりして、自任とは裏腹に駄目なことが多い。或るソフトウェア会社では元三流銀行の男が来て大変なことになったし、社長の弟が入社式で「今は年寄りが元気だから皆さんが負担しなくてはならない」と発言するので、これから社会に出て頑張らうと張り切る若者たちになぜそんなことを云ふのかと啞然としたことがある。間接部門は平凡で人が好いと見られることが、実は優秀なのだらう。(完)


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