八百七十九(乙) FMパソコン裏話
平成二十八年丙申
九月二十四日(土)
サブCPUを持つパソコン
藤広哲也さんの資料によると、FM-8のCPUはメイン、サブともにMBL68A09(MC6809互換、1MHz)。別の表も載ってゐて
| FM-8 | FM-7 | FM-NEW7 | FM-77 |
メイン部 | 68A09(1MHz) | 68B09(4.9/8MHz切替) | 68B09(4.9/8MHz切替) | 68B09(8MHz) |
サブ部 | 6809 | 68B09 | 68B09 | 68B09E |
FM-7以降はクロック周波数が異常に高い。これは水晶発振4サイクルで一回、波を受け取るから1.2MHz/2MHzのことだ。80や8086はアドレッシングモードが弱く、その分の周波数が高い。それに対抗した訳ではないが、数字のマジックだった。FM-11の機種には6809と8086の両方を積んでDIPスイッチで切り替へるものがあった。システム構成図を見ないと判らないがFM-7もオプションでZ-80カードを積むことができたと思ふ。そのためこのやうになった。
昨日紹介した藤広さんの資料では、FM-8のサブCPUシステムを評価されてゐたが、実は後日談がある。FM-16βはOSがCP/M-86だったが、富士通のパソコンが半導体から電算に移管された後にOSがMS-DOSに変更になった。これはNECのPC-9801が圧倒的なシェアだったので、富士通はOSをPC-9801と同じにして、ソフトウェア会社にアプリケーションをたくさん移植してもらはうといふ戦略だった。私の感想だと、CP/M-86とMS-DOSはOSのI/O機能を利用するための仕様は完全に同一(例へばAXレジスタに何の値を入れて何をするとファイルを読み込むなど)で、アセンブリのint命令の番号だけが違ってゐた(確かCP/M-86は224か244で、MS-DOSは21か何か)。だからプログラムの変更はテキストエディタの変換機能を使へば一瞬でできた。だからMS-DOSに変へてもアプリケーションは増へないと予想してゐたら当たった。FM-16βはMS-DOSを移植するときにサブCPUをhaltしてメインで画面表示を行ふやうに変へた。だからFM-8が現在のスタイルの最初の機種といふのは正しいが、富士通は電算部門に移管ののち、一旦後退した。サブをhaltするとキーボードのCAPランプが点灯しなくなった。これは重大な欠陥で、電算部門は本気でFM-16βを売る気がないなと思った。事実暫くしてFMRといふ新機種が出てきたが、大型コンピュータの顧客にシステム販売で端末として販売する以外、それほど売れなかった。とにかくあの時代はPC-9801のシェアは凄かった。富士通がパソコンに力を入れた理由は、NECのパソコンを購入した会社が大型コンピュータも富士通からNECに乗り換へられると困るといふ今では考へられない理由だった。
半導体時代にFM-16βが発表されたときは、これでPC-9801に反撃できると皆が期待した。実はその前からFM-16Sといふパソコンがアメリカ向けに輸出されてゐた。私は見たことがない。なぜ日本では販売しないのか不思議だった。
九月二十五日(日)
FM11
FM-11はメインCPUが6809のAD(フロッピーディスクを積まないタイプはST)と、メインCPUに6809と8088を積みDIPスイッチで切り替へるEXの2種類があった。どちらもサブCPUは6809だった。EXに6809を積むのはF-BASICを動かすためだった。当時のパソコンはBASICで動かすのが当然だった。市販のアプリケーションはアセンブリで作ったものも多かったが。だから富士通のパソコンはF-BASIC、NECのパソコンはN-BASICが動いた。後にCP/M-86とそこで動くF-BASIC86が標準添付の11BSが発売されて、この機種はメインに8088しか積まなかった。
ADの後継機のAD2はOS-9といふOSがF-BASICの他に標準添付された。このOSはUNIXライクとマルチウィンドウを売り物にしてゐた。当時のUNIXはマルチウィンドウではなかった。マルチタスクを有効利用するにはコマンドの後ろに&を付けてバックグランドで実行させ、必要に応じてfgコマンドでフォアグランドに戻した。ところがOS-9はマルチウィンドだから今のWindowsみたいに複数のウィンドウを開いて同時に実行できた。
以上の説明だけなら、優れた製品だと思ったことだらう。ところがOS-9の日本代理店の作った資料を見ると、以上のほかにモジュール化、UNIXと比べてはるかに容量が小さい(うろ覚えだが1/10か)、UNIXと比べて速い(これも10倍か)と書いてありこれは眉唾ものだと思った。もしそれほど優れてゐるならUNIXだってさういふ作り方に変へるはずだ、削った機能がある。
あと特長としてリアルタイムだった。これも最初はリアルタイムの専用OSと比べれば反応が遅いのではと疑ったが、これは事実リアルタイムだった。Basic09といふものが添付されてゐて、私も使った記憶はある。F-BASICとは言語仕様が違ふばかりか、操作法も違った。F-BASICにしろN-BASICにしろ、画面に100 a=2.5とか入力するとそのままメモリに残って、runすれば実行、saveすれば保存できたが、Basic09は編集モード、コンパイルモード、実行モードなどがあったやうな気がする。
OS-9が何と私が所属する課の担当となったことがある。このときOS-9は私より15歳くらい若い技術者一人だけだった。最初、私を含む三人が加はる予定だった。私は6809のアセンブラは得意だから適職だったのに、この男は遅刻ばかりする(午後4時ごろ出社して明け方帰ることが多かった)、暗い(話しかけてもぼそぼそと小声で返事するだけだった)、情報を独り占めして他に出さない(皆で、あいつは性格が悪いと噂し合った)と三拍子揃ってゐたので、結局この男だけが最後まで担当した。
当時「OH! FM」といふ富士通のパソコンだけを扱ふ雑誌があった。「OH! PC」といふNECのパソコンだけを扱ふ雑誌もあり、どちらも日本ソフトバンクの発行だった。「OH! FM」は購入部数が少なく休刊になるといけないので富士通で大量に購入し、我々のところにも一部づつ配布された。それにOS-9の記事が載った。OS-9のユーザは暗い性格の人が多いが、富士通の担当も暗いらしいと書かれてゐた。まあ記者が取材すればすぐ判ることだったが。
九月二十九日(木)
電子デバイス事業本部から電算部門へ
OS-9の担当がなぜ若い技術者一人だけだったかと云ふと、パソコンが半導体部門から電算部門に移管され、しかも富士通(略称FJ)のマイコン事業部パソコン技術部から電算部門に異動したのは課長が2名か3名だけで、これらの課長はもともと電算部門の所属だったが数年前にパソコン応援のため移動しただけだった。子会社では私の所属する富士通マイコンシステムズ(略称FMS)の半数が新設された富士通OA(略称FOA)に移動し、私もその一人だった。そのためOS-9はFOA所属の若い技術者だけになってしまった。
(余談だかFJの電算部門は3つの本部に分かれてゐた。製品開発は基盤商品事業本部パーソナル機器事業部、システム提案と個別アプリ開発がシステム本部パソコンシステム統括部、販売推進が営業推進本部パソコン販売推進統括部だった。FMSからFOAが分割するときにFMSの初期に中途入社した人たちは分割に反対して、一時は転社を拒否しようと大変な勢ひだった。私は別の理由で反対だった。電算部門は三つに分れるから会社もいづれ三つに分割されるだらう。
私はただ仲間内で意見を述べただけだったが初期入社の人たちが強硬に騒いだため、会社が説明会を持った。といっても初期入社の人たちは反対理由が明確ではないから、FMSの常務取締役(FJマイコン事業部事業部長代理兼務)が説明不足で心配掛けて申し訳ないと謝り、あと電算部門は三つに分れているが、と云った。常務も電算部門の事はよく判らないからそれ以上云はなかった。翌年辺りにこのことが現実となりFOAは三つに分割されて、それが不満で二年後くらいに私は退職したから、私も若いときはずいぶん間抜けな対応だった。FMS時代は労組に所属してゐなかった。富士通の人事部と富士通労組は電算部門の子会社はユニオンショップで富士通労組に加入させ、人数が多くなると富士通労組から独立させた。
富士通の人事部と富士通労組も若いころの私同様ずいぶん間抜けだが、我々はFOAに転社してからユニオンショップが適用されて富士通労組に加入し、私が労組の労使癒着に反対して定期大会で強硬意見を発言するのはFOAが三つに分割された後だった)
十月二日(日)
家庭用、技術用の後継機
電算部門はビジネス用のパソコンについて、OSはMS-DOS、サブCPUは廃止と大転換(実はPC-9801に合はせただけだったが)を行った。家庭用、技術用についてはモトローラの68000を乗せるか、インテルの80386にするかなかなか決まらなかった。そして最終的に80386に決まった。OS-9の日本代理店は決定の後も、これからはモジュールの時代です、マルチウィンドウ、マルチタスクの時代ですと売り込みを掛けたが、決定は覆らなかった。
十月二日(日)その二
FM-16sの資料
アメリカのWebページにFM-16sの情報を見つけたので紹介したい。一つはhttp://www.old-computers.com/museum/computer.asp?c=382&st=1で
Fujitsu
FM 16 Beta
The model number was FM-16s, and it was sold in the USA from about 1983 to around 1985.
It had dual processors on daughter boards, one with a Zilog Z-80a and the other with an i8086 on a true 16-bit bus. Hard drives were external, connecting through a SCSI host adapter. The machine could have up to 2MB of RAM on a proprietary expansion card, and ran at 8MHz. It had a 640x480 16 color display and 104 keys keyboard.
CP/M-86, WordStar, SuperCalc and the C/PM-86 operating system were bundled with the basic purchase; but the FM-16 could also run CP/M 2.2, a proprietary version of MS-DOS 1.0, Concurrent CP/M-86 and PICK. If all were installed in partitions on the hard drive, you had a choice of OS at boot time.
Ron Edelstein adds:
Actually, the FM-16s had a video of 640x400 (not 480). It was a double-scanned format using 16 colours. Much better and sharper than the later IBM EGA standard, even though IBM used 480 lines. Using a proprietary version of MS-DOS, it could run any software not requiring graphics (i.e. text mode). The difference in video prevented it from displaying IBM graphics displays unless they were specifically recompiled for the FM-16s, as were SuperCalc and WordStar.
冒頭の機種名がFM 16 Betaになってゐるが、日本では販売しなかったから仕方が無い。もう一つはhttp://fact119.com/x/Interestings/280で
The Micro 16s was designed to be a powerful package of hardware and software in a professional business system. It offered a unique architectural design for the time: interchangeable microprocessors and thus operating systems. In fact most commonly used processors were Intel 8086 and Zilog Z80.
One or two processor boards could be plugged into the Micro 16s and either one could be in control of the bus, the memory, etc.
Fujitsu also planned to launch Motorola 68000, Intel 80286 and Zilog Z8000 boards.
RAM memory boards could be added, from 128 KB to 1024 KB, thanks to the new 256 K-bit RAM chips.
Fujitsu color graphics video terminal was handled by an independant video processor located onto the mainboard. A standard RGB monitor could be connected as well and used simultaneously.
With the Micro 16s, Fujitsu offered a very versatile system able to oparate all of the major microprocessors of the time, and run all existing operating systems.
NAME Micro 16s
MANUFACTURER Fujitsu
TYPE Professional Computer
ORIGIN Japan
YEAR 1983
BUILT IN LANGUAGE None
KEYBOARD Full troke 98 keys with 10 function keys and numeric keypad
CPU Intel 8086, Zilog Z80-A (standard), Motorola 68000, Intel 80286, Zilog Z8000 boards
SPEED 8 MHz (8086), 4 MHz (Z80)
CO-PROCESSOR Motorola 6809, MOS 6845 (Graphic video interface)
RAM 128 KB up to 1152 KB
VRAM 4 KB ( Characters) + 48 KB (graphics)
ROM 8 KB (boot loader, diagnostics)
TEXT MODES 80 chars. x 25 lines
GRAPHIC MODES 640 x 200 pixels
COLORS 8
SOUND Tone generator
SIZE / WEIGHT Unknown
I/O PORTS Parallel Centronics, Serial RS232, 4-channel A/D converter, RGB video, composite video, Light-pen
BUILT IN MEDIA 1 to 4 x 320 KB 5.25'' floppy disc drives, 5 to 20 MB hard disk
OS Concurrent CP/M-86 with GSX graphic extension, MP/M-86, MS-DOS, Unix
POWER SUPPLY Built-in power supply unit
PERIPHERALS External 8'' or 5.25'' floppy disc and hard disc units
PRICE $3995 with colour monitor, CP/M-86, Wordstar and Supercalc? (完)
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