八百六十(その六) 横山禎徳氏『「豊かなる衰退」と日本の戦略』

平成二十八年丙申
八月三十日(火) 第一章「衰退の兆候」、一番目の疑問
この本は平成15(2003)年に出版された。だから
二、三年前まで、この「IT革命」、そして「ニュー・エコノミー」については、一部の懐疑的な経済学者を除いて、世界中で官民こぞって、政治家も巻き込んで大いに盛り上がっていた。株式市場もインターネット関連株をもてはやし、景気循環のない理想的時代が来ると信じた経済学者もあった。
これに対し
「ニュー・エコノミー」を唱えた根拠のひとつとして、ITが生産性の向上に大きく寄与しているという主張があった。しかし(中略)一九九〇年代後半のアメリカの生産性向上の三五%は景気循環で説明でき、三〇%がもともと生産性の高いIT産業がITブームでアメリカの全産業における比率を高めたこと、そして残りの三五%が本当にITによる生産性の向上である。
とマッキンゼーのレポートをもとに解説する。二十年ほど前からマッキンゼーなどコンサルタント会社は世の中の役に立つのか疑問を持ってきた。過去の数値をもとに他の要因は考へないからはずれる可能性の高い予測レポートを出したり、すでに起きた現象に後付けで理由を述べるだけだ。だから
景気循環の一要因としては、在庫の変動がある。(中略)従って、多くの企業は在庫管理システムを最新のIT技術を駆使して構築することを競った。そのための通信機器を提供し、自分自身もその最先端にいたはずのシスコ・システムズのような企業が、ネット・バブル崩壊時に巨大な在庫を積んでいた。ここでも「紺屋の白袴」という古い格言がハイテクの世界でも生きていることを示した。
と云ってみたところで何の役にも立たず、さういふことはITバブルが崩壊する前に云ふべきだった。
以上の一連の話で重要なことは、生産性が向上するとその分の失業者がでる。それをどうするのか。資本主義の欠点は利益を目的に経営革新や技術革新を行ふから、国民の幸福とは無縁となる。その対策がない。

八月三十日(火)その二 第一章「衰退の兆候」、二番目の疑問
二番目の疑問は「失われた一〇年」だ。横山氏は
「失われた一〇年」という表現は、最初は有効な景気回復の対策を出しえず、いたずらに時間がたってしまったという気持ちが込められていた。(中略)実は、「失われた一〇年」という表現は、正しくない。本来、日本が一人当たりGDPでヨーロッパ諸国を抜き、発展途上国でなくなった一九七〇年代初頭、あるいは、「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」といわれた一九八〇年代初頭に国の政策のギヤ・チェンジをすべきだった。
以上の主張に文章上は大賛成だ。しかし内容では横山氏とは正反対だ。ギヤチェンジをすべきだったといふところは同意見だが、私は日本の苦境の原因はプラザ合意にあるから1970年代後半から1980年代前半に経常黒字にならないよう残業規制をすべきだったといふ立場だ。
横山氏のギヤチェンジの内容は「豊かなる衰退」でありそれは「衰退しながら成長する」ださうだ。しかしそんなことを一九七〇年代初頭、あるいは一九八〇年代初頭に行ふことは不可能だ。バブルがはじけた後なら可能だ。二番目に「豊かなる衰退」の原因として人口の減少と製造業の空洞化サービス業従事者の増大を挙げたところで第一章を終る。
ここで私と横山氏にもう一つ意見の相違がある。私が1970年代後半から1980年代前半にギアチェンジすべきだったと考へるのに対し、横山氏は一九七〇年代初頭、あるいは一九八〇年代初頭だと云ふ。この相違は日本の一人当たりの収入がヨーロッパ諸国を抜いたのが、私はプラザ合意のときとみるが、横山氏は一九七〇年代初頭とみる。私の根拠はプラザ合意の前まで日本の製造業の大手はヨーロッパ並みの賃金を掲げて春闘を行ったからだ。横山氏はイギリス、ドイツ、フランス以外のヨーロッパを含めての数値だらう。

九月一日(木) 第二章「発想の転換」
横山氏は次のやうに云ふ。
「貧困地域」という言い方は日本の場合、穏当はないかも知れない。しかし、地域間の経済格差は厳然として存在する。最も豊かである東京都の一人当たりGDPは七〇三万円であるが、最も低い奈良県では二五四万円である。
これだけ聞くと大変なことだと慌てるが、
首都圏、関西圏を合計した地域の人口比は四〇%弱であるが、そのGDPの日本全体に占める比率は約四五%である。
これなら一割強だから大した差ではない。最初の数値は、本社が東京に集まったことが原因か、高額所得者に引っ張られたか。或いは奈良県は高齢者が多いのか。そこまで解析せず東京と奈良県の数値を並べることは、統計数値の悪用と云ってもよい。横山氏の場合、GDPの人口比にも言及したので悪用度はかなり軽減されたが。本当はGDPの人口比だけを並べればよかった。
次の発言には四分の一だけ賛成だ。
現在の日本の政治風土を考えると、経済合理性を欠く国家資源の投入は当分続くと考えざるをえないだろう。ようやく「組織としての弱者」は市場から退出させ、「個人としての弱者」は今より手厚く保護するという、組織と個人を分離して考える議論が出始めている。
なぜ四分の一に留まるかと云へば、「組織としての弱者」を退出させるのではなく「不要有害な組織」を退出させるべきで、「個人としての弱者」を今より手厚く保護したとしてもそれは失業前とは比べ物にならない低水準にとどまる。だから失業者が普通人である世の中にすべきで、社会主義ではない限り景気の変動や商流の変更で失業者は生じる。具体的にはプラザ合意の前の社会状態にすべきで、それにはニセ労組シロアリ連合の解体が必須だ。
あと第二章で有益な言葉は
日本的経営が語られるとき、その「長期的視野」が(中略)対比されてきた。(中略)日本の経営の実態は「短期志向だが粘り強い」というほうがより正確である。
これは名言だ。別の云ひ方をすれば長期志向が無いから旧来の方針を継続せざるを得ないため、粘り強く見える。

九月二日(金) 第三章「グランド・ビジョン」その一
日本でベンチャービジネスが育たないことについて
一部には日本が豊かだから、リスクを取ってでも成功したいハングリーな若者がいないのではないかという見方がある。しかし
として横山氏は長野の冬季オリンピックの優勝者、マンガやゲームソフトの世界、一流シェフになることを目指してフランス各地のレストランで修業する若者を挙げる。私はこの意見に反対だ。これらの若者は全体から見れば1%以下だ。残りの99%以上がリスクを取らない道を選ぶ。だから横山氏も続けて
一方で、大企業からのスピンアウトによる企業家はあまり出てこない。(中略)筑波学園都市には大量の先端的研究者がいるのだが、(中略)多くの研究者は投資家を募って企業家になるよりも、自分の子供の教育に時間を投資しているのではないかという冗談がある。
と書いてゐる。それではどうするかについて横山氏は、社会システムの再設計が必要で、設計要件は「グランド・ビジョン」から導きだされるといふ。
日本の「グランド・ビジョン」を構築するためには(中略)我々が高度経済成長を通じて慣れ親しみ、無意識のレベルまで染み込んでいる「全体」とか「一律」「平均」という思考パターンを抜け出さないといけない。
これは一見正しいやうに見えて、本当は悪質だ。格差をつけろと云ふことなのだから。我々が高度経済成長を通じて慣れ親しんだのは一元価値だ。それでも多くの国民は多元価値で生きてきた。しかしプラザ合意以降は一元価値以外は非正規雇用などで切り捨てられるやうになった。そこまでみないといけないのに、横山氏は表面だけ見て、差別をつけろと云ふ。
マッキンゼー・グローバル・インスティテュートによる先述の日本の生産性に関するレポートも、日本の雇用の一〇%を占めるアメリカより生産性の高い分野、すなわち、自動車、鉄鋼、精密機械、電子に対して、残りの九〇%はアメリカの生産性の三分の二程度しかない国内中心の産業という二重構造を指摘している。
まづアメリカは人口密度が低いから定常状態の国ではない。そんな国と比較しても意味がない。比べるとすれば西欧だ。文化や社会ではアジアと比べるべきだが、ここでは経済なので西欧と比べるのがよい。次に国内中心の産業が雇用を引き受けるから社会が安定する上に、為替レートが前者の産業しかない場合に比べて円安に補正される。つまり後者があるために前者の産業は多大な利益を受けてゐる。横山氏はこの二つを無視した。
この後、横山氏は前者を細分化すべきことを主張するが、ミクロへの個別対応を積み重ねても「社会システム」の再設計にならない、「離婚した母」の増加によって「未婚の母」を社会的に認めるまであと一歩になって出生率の改善は可能だ、高齢者は都会に住むことが有利、と本質とはかけ離れた話題が続く。

九月三日(土) 第三章「グランド・ビジョン」その二
第三章の後半で横山氏は、首都圏への人口集中を正当化するが私は絶対に反対だ。その理由は人類は長いこと国内に分散して生活してきた。その伝統を崩してはいけない。首都圏は
人口で(中略)日本全体の二七%を占めるが、日本経済に占める比率は(中略)国民総生産では三一%、個人預金残高では三五%を占めている。上場企業のうち、五二%が首都圏に本社を持っている。株式の取扱高も東京証券取引所が九四%を占め(中略)大学生の数で四〇%を占めている。
まづ二七%の人口で国民総生産の三一%ならそれほどの差ではない。国民総生産に占める企業の生産額は大きいからなおさらたいしたことはない。上場企業のうち五二%が首都圏に本社を持つことと株式の取扱高が東京証券取引所で九四%を占めることは大問題だ。といふか非上場企業や個人経営者がどうなのかを示さないのは、横山氏がエリート志向なのかそれとも表面的な分析しかできないためなのか。
円高の影響で海外の安いものが流入するため、今は農業、製造業が軽視されるやうになった。しかしこれらこそ国の基礎産業だ。軽視することは許されない。そもそも上場企業のうち五二%が首都圏に本社を持つなら、移転させればいいではないか。東京に本社が無いと一流企業ではないといふ変な習慣の廃止こそ急務だ。

横山氏は或る都市計画家の主張を引用して
一周一時間、すなわち、ある駅からどの駅までも三〇分以内で行ける山手線は、都市計画上の大発明だそうである。アメリカの都市が典型的であるが、洋の東西を問わず、多くの都市には(中略)ビジネス街が中心に存在している。(中略)東京は、山手線のおかげで丸の内だけではなく、新橋、品川、大崎、渋谷、新宿、池袋、上野とビジネス・センターが拡大している。すなわち、東京のビジネス活動は一点ではなく「円」なのだ。
横山氏の発言は完全に間違ってゐる。山手線は東京の外縁だった。つまり山手線の内側が東京といふのが昭和四十年辺りまでの常識だった。例外は東側で、台東区、中央区など下町は東京だった。葛飾区や江戸川区は行政区分が都内といふだけであまり東京といふ感じはしなかった。それは西側の中野区、世田谷区、杉並区も同じだった。東京が急膨張し、通勤者で新宿、池袋、渋谷の乗降者数は激増したが、これは山手線や都電、地下鉄に乗り換へるためで、これらがビジネス・センターになった訳ではない。相変はらず丸の内がビジネス・センターだった。
私が池袋のコンピュータ専門学校で教へてゐたとき、東池袋の本校舎の前には木造二階建てのアパートがあり、隣は駄菓子屋だかたばこ屋だかがあった。後に西池袋に分校舎を借りたが、周りは当時トルコ風呂と呼ばれた売春業ばかりだった。道が近いから私はその中を歩いて出勤したが、もちろん寄ったりはしなかった。分校舎の前にも店が一軒あり、昼過ぎに非常勤講師が「あ、金髪の女が店に入った」と騒いだのを覚えてゐる。品川は駅前に食肉市場と旧国鉄の機関区が張り出し、大崎はソニーの工場とその脇の狭い路地があった。これが二十五年前の山手線沿線の実情だった。
山手線沿線がビジネス・センターになったのは、新宿の淀橋浄水場跡地を新宿副都心と称してからかなり経ってからだった。都庁が移転しても寂れた場所だった。多くの人は山手線の外側になぜ都庁が移転するのかと冷ややかに見た。横山氏が山手線を成功例と間違へたのは、東京の変遷を無視したからだ。首都圏一極集中の問題点に気付かないのは人類の歴史を無視したからなので、横山氏は過去の経緯を無視する傾向にある。

横山氏は5000万人が首都圏に住むとして、同心円に替はる線形都市を提案する。
線形都市のほうが形態的にキャパシティは大きいのである。(中略)一案として、千葉市から丸の内、皇居を横切り、新宿、大宮を経て宇都宮に至る軸が考えられる。それは道路か、鉄道か、何なのか。多分、大深度地下のトンネルだろう。物流のみに使うか、旅客を輸送するかは今後の検討だ。
千葉から新宿を経由して大宮までだと、それから外れた京浜、東京西部地域から反対が大きいだらう。横山氏の提唱する社会デザイン自体、なぜ線形にするのかと皆の賛成が得られないし、具体策になると利害が絡む。大深度地下トンネルはデータ活用時代に入った今となっては時代遅れの感がある。

九月五日(月) 第四章と第五章
第四章以降は取り上げる価値が無い。一人二役だのニヶ所居住だの庶民の生活とはかけ離れることばかりを羅列するからだ。国民の格差を広げた上で上層階級に贅沢をさせて景気を回復しようと云ふもので、今から十三年前に書かれたから仕方がない。小泉改革はまさに横山氏の主張と同じことをやらうとしたが、後にこれだけでは駄目なことが判った。シロアリ民進党の前原派や野田派は今でもこの路線だ。特に消費税増税をやってみて、景気を支へるのは庶民の生活のための消費だと云ふことが判ったはずだ。景気を回復させるには消費税を下げるか、庶民の収入を増やすしかない。後者を行ふには既得権集団の業界団体とニセ労組シロアリ連合を解体する以外にない。(完)


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