八百六十(その五) 横山禎徳氏「アメリカと比べない日本」

平成二十八年丙申
八月二十七日(土) まえがき
「アメリカと比べない日本」は十年前に書かれた。日本の言論が拝米一辺倒になったあとで、かなり振り戻された時期に書かれた。だから二十四年前に書かれた『コーポレート アーキテクチャ』に比べると日本の独自性を大きく打ち出したし、十三年前の『「豊かなる衰退」と日本の戦略』と比べてもその傾向がある。題名からして「アメリカと比べない日本」は魅力的だ。とは云へ疑問は各所にある。
はしがきでは
「社会システム」および「社会システム・デザイン」という表現は最近ようやく聞くようになってきたが、実際にどうやってデザインするのかという方法論を示している議論は、世界中を見渡してもほとんどない。(中略)その理由は、おそらくデザインという具体的経験のない学者が「社会システム・デザイン」を語っているからであろう。
デザインしようとすれば関係者の利害が絡む。それをどう調整するのか。横山氏が
学際や業際を超えた横串の発想や、利害やコンフリクトを解決する具体的な試行錯誤と経験がもたらす多面的な知恵の積み重ねが大きくモノを言う。
と云ってみたところで、抽象的で役に立たない。

八月二十七日(土)その二 第一章
第一章「日本および日本人のマインド・セットはいかにして出来上がったのか」は次の文章で始まる。
日本がGDPでドイツを抜き、アメリカに次いで世界第2の経済規模になったのは1968年のことである。日本にとっては大事件であったはずなのだが(以下略)
横山氏は築地本願寺の講演でもこのことに言及したから今でもこのことを大事件だと思ってゐるのだらう。国全体のGDPはあまり重要ではない。一人当たりのGDPが重要だ。だから横山氏は朝日新聞(この当時はまだ反日パンフレット化はしてゐなかった)を引用し
西独を抜いて、米国に次ぎ第2位(共産圏を除く)となった。しかし1人当たり国民所得では世界20位程度にとどまっている。(以下略)
記事はそっけなく淡々としている。しかし、第2次世界大戦の敗戦で物質的にも精神的にも痛めつけられた日本人が、戦後20年以上にわたって営々と続けてきた復興努力の思いがけない成果であった。
淡々とした朝日新聞のほうが正しい。先ほど述べたやうに一人当たりで比較しないと無意味だ。意味のあるのは西側陣営、東側陣営など統計を取るときくらいだ。そもそも「第2次世界大戦の敗戦で物質的にも精神的にも痛めつけられた日本人が」と云ってみたところで、今まで二位だった西独だって第2次世界大戦の敗戦で物質的にも精神的にも痛めつけられた。これでは笑ひ話にしかならない。
共産圏を除いて二位といふのも重要だ。この当時も共産主義国と西側各国との為替レートがあったとは云へ、あまり意味を為さない。ベトナム戦争の結果次第で為替レートはひっくり返るからだ。実際にはベトナム戦争の後、西側陣営がひっくり返した。しかし当時は誰も判らなかった。横山氏は結果を知ってゐるから当時の新聞をそっけなく淡々としてゐると批判できるだけだ。

八月二十八日(日) 第二章
第二章「ファクトを押さえる」では
「欧米先進国」とお題目のように惰性で言っているが、「欧」と「米」は違うのかもしれないとも感じ始めている。
あるいは
アメリカはみんなが思う以上に世界でも特殊な国なのである。生活実感として、アメリカと日本より、フランスと日本、ドイツと日本が似ていることのほうが多いかもしれないのである。
この主張では不十分だ。まづ世界には通常国と移民国がある。移民国は人口がまだ平衡に達してゐない国だが、地球温暖化防止から移民受け入れを直ちに停止すべきだといふのは別の問題なのでここでは触れない。アメリカは英語圏でありXX教圏だから、移民国ではあっても通常国のフランスやドイツに日本よりは近いし、イギリスにはさらに近い。このやうに分類すべきだ。
次に横山氏はアメリカ、フランス、イギリス、ドイツでそれぞれ民主政治制度が異なるとして
日本の民主主義は本当の民主主義ではないという意見があるが、「本当の民主主義」とはいったい何なのかを定義するのは意外と難しい。
とし更に
日本での衆議院議員や参議院議員の選挙に「組織票」があるということは、「企業家族主義」あるいは「組織家族主義」が、日本の「民主政治制度」と共存していることを示している。
この主張には反対だ。「企業家族主義」あるいは「組織家族主義」ではなく、「企業ぐるみ選挙妨害」あるいは「組織ぐるみ選挙妨害」と呼ぶべきでどちらも法律を改正し選挙妨害で逮捕すべきだ。決して日本の「民主政治制度」と共存はしない。横山氏がなぜこのやうな間違ひをするかと云へば、国民が社会の行く末に責任を持ち投票するのが民主主義、自分に都合がよいほうに投票するのは私欲であって民主主義ではない。横山氏がこの問題の最後に
ここで、「民主主義」と「民主政治制度」とを区別して考える必要がありそうだ。
と云ってみても国民を民主主義に誘導することは不可能だ。(完)


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