八百五十三 三十数年ぶりの、草津温泉訪問とバスによる三国山脈越え

平成二十八年丙申(今回は旅行を詳細に記録したので、読んで退屈かも知れません。その場合は読み飛ばしてください。)
七月四日(月) 三国山脈越え
先日高速バスで三国山脈を越えた。三十一年前団体旅行で佐渡に行ったときは、往路は深夜の貸し切りバス、帰路は新幹線だった。あのときは途中まで関越自動車を走り、国道十七号で三国峠を越えた。深夜だったので、U字型のカーブに黄色の電灯が一つ置きに交互に点滅するところをバスが左に右にと急ハンドルを切ったことを思ひ出した。
私の記憶では、前橋辺りまで関越自動車道を走り、あとはずっと一般道だったと記憶してゐた。ところが今回インターネットで調べると、三十一年前に 前橋インターチェンジと湯沢インターチェンジの間が完成して全線開通とある。つまりあのときは開通の直前だった。しかも湯沢から先は再び関越道だった。なぜ今まで知らなかったかと云へば、深夜だから座席で寝て、三国峠のところだけ急カーブで目が覚めて、その後は再び寝たからだった。だからバス車内では黄色の電灯が一つ置きに点滅することしか記憶にない。

今回は関越トンネルを通った。危険物搭載車の通行禁止と国道に降りるよう促す標識が幾つもあった。最前列で三列シートだったので、前が良く見えた。入口に信号機、その手前に予告信号機があった。もし中で事故が起きたとき後続車が入らないようにするためだ。あと、入口のコンクリートが前面だけが水色だった。これも長大トンネルに入ることを警告するためだらう。

七月六日(水) 前回の草津温泉旅行
三国山脈を戻るときは鉄道を使った。午後一時ごろ草津温泉のバスターミナルに到着した。草津温泉は三十五年くらい前に来たことがある。亡き父は家族旅行が好きで、毎年国内をどこか三泊くらいで旅行した。旅行社のパック旅行で往復の切符と旅館がすべて入ったものを申し込んだ。
前回の草津温泉で思ひ出せるのは、湯畑と、バスターミナルに緑の窓口があった。今回来てみて、どちらもあのときの記憶と変はらなかった。

七月八日(金) 三日の名所巡り
ホテルのチェックインは午後三時だから時間がある。今回は「草津温泉が丸ごとわかる本」といふ十四年前に発行されたA4版の本を持って行った。それによるとバスターミナルの三階に温泉資料館(入場料200円)がある。行ってみると温泉図書館に変はってゐた。普通の図書館ではあるが、草津温泉の図書もある。丁度、草軽電鉄を展示してゐた。それによると湯治客と物資の輸送で地域発展に貢献したとある。パネルを見終はった後に、草軽電鉄の本を一冊読んだ。草軽電鉄は赤字が続き、失敗だったやうに書いてある。私は展示パネルが正解だと思ふ。といふのは昭和三十七年まで存続したからだ。

バスターミナルの案内所で湯畑と草軽電鉄の石碑の位置を教へてもらひ、まづ湯畑に行った。次に石碑を見た。そのあと外周の道路を西の河原まで歩いた。道しるべに従ひ「鬼の相撲場」を回った。あずまやがあるだけだった。そこには「熊に注意 群馬県」と書かれた張り紙がある。平静を装いつつ急いでその場を去りビジターセンターに寄った。野生動物がこの辺まで降りてくる、といふ話を伺った。我が家で飼ってゐる蛇は太田市藪塚のスネークセンターや草津熱帯園にゐたと話して、草津出身者と同等の親しみを受けてビジターセンターを後にした。
そのあと、片岡鶴太郎美術館を尻目に白根神社、日晃寺に参拝してホテルに向かった。ホテルで小休止の後、千歳の湯に行った。スーパー大津で夕食を買ひ食べて早く寝た。この日は暑かったので相当疲れた。

七月九日(土) 「八百五十四 蓮舫には政治家の素質がまったく無い 」から移動
四日の早朝に目が覚めテレビを点けると、NHKのBSで「水族館ガール」といふドラマを放送してゐた。親会社から出向で水族館に来た若い女性が、イルカショーでイルカを死なせてしまったのだと思ふ。再びイルカショーの担当になりたくてマイクを持ち練習をするが、主任の若い男は復帰を許さない。上司の年配の男性は、君に責任者を任せたのだから、と決定に異議を挟まないが再びイルカショーの担当にしてもよいことを思はせる。若い男は、どうせ親会社から戻って来るやう云はれれば喜んで戻るのだと反発する。あまり面白くないドラマなのでスヰッチを切ったが、四日は草津熱帯園に行く予定なので偶然と云ふこともあると驚いた。草津熱帯園は親会社が倒産し競売されかかったが、園長を始め関係者の尽力で持ち越した経緯があった。

七月九日(土)その二 四日の名所巡り
朝はあいにくの雨だった。四時に喜美の湯といふ共同湯に行かうとした。しかし場所が判らない。まだ空が暗いせいもある。三往復したが判らなかった。といふことで昨日と同じ千歳の湯に行った。早朝なのに先客がゐた。入るときは「おはようございます」ときちんと挨拶をする。地元に溶け込む努力が必要だ。湯船から出て、洋服を着てゐると表の扉が開き「入れますか?」と訊かれたので「入れますよ」とにこやかに答へた。禿頭でガテン系のニーチャンと仲間が三人くらいだった。ところが「車を前に止めて大丈夫ですか」と云ふので、「前に止めるのはまずい」と答へてゐると、丁度先に入浴してゐた人が出て来たので、「前に止めるのはまずいですよね?」と訊くと「近所に怒られるよ」と唸る。私も「入口に駐車禁止と書いてありますからねえ」と相槌を打った。その人のアイディアで開店前のスーパー駐車場に入れることで一件落着した。
それにしても私は完全に地元民になり切ってゐる。我が家で草津熱帯園にゐた蛇を飼ってゐるからではない。「草津温泉が丸ごとわかる本」で十分に予習してあるからだった。
朝食を食べたあと雨が上がり、草津熱帯園辺りまで散歩した。10時開園かと思ったら8時半開園と書いてある。身に来てよかった。途中に巽の湯といふ立派な共同湯があった。限りなく旅行社を受け入れてくれる印象だった。ホテルに戻ったあと喜美の湯の場所を訊き再度朝の入浴をした。そのあとテレビを点けると蓮舫の政見放送だった。少し見てスヰッチを切った。そして草津熱帯園に行った。
新宿行きのバスは午後二時に発車する。だから草津熱帯園を一時半に出る予定だった。ところが十時には観終ってしまった。隣の草津新四国八十八か所霊場を見て回った。草津の湯治客には不治の病も多い。さういふ人の心の支へとなったことだらう。かなり時間が余るので熱帯園近くの睦の湯に行った。入口に午前は清掃、夕方は地元住民、観光客はそれ以外の時間と書いてある。丁度共同湯から出る人がゐたので清掃中か尋ねたところ、入れますよといふ答だったので入浴させて頂いた。観光客のマナーの悪さがかう云ふ張り紙につながる。

七月十日(日) 四日の名所巡り、続編
草津熱帯園の裏を湯川が流れる。強酸性の温泉水は最後はここに集まる。河川中和工場があり作業橋から川幅均等に石灰水が流れ落ちる。水が白く濁る。ここで温泉の廃水は中和される。観光客はかういふ施設こそ見逃さず写真に収めるべきだ。私は早朝と今回と二回観て、二回目は写真を撮った。一回目は雨が再び降って来たので、ホテルまで走って帰ったからだった。
早朝にはまだ閉館だった大滝の湯がこの時間は営業してゐた。私の観光スタイルは観光施設ではなく地元の人たちが利用する施設に行くから入館しなかった。「草津温泉が丸ごとわかる本」によると昭和五十八年に開設。2001(平成十三)年に本格的なリニューアル工事。
広々とした大浴場や、いくつもの風呂を楽しめる露天風呂などがある。中でも人気は、レトロな雰囲気を味わえる合わせ湯。(中略)適温から徐々に熱くなっていく。最も熱い湯は46℃以上と高温で(中略)源泉は、名湯と名高い煮川源泉から直接引き込んでいる。ただし、合わせ湯は、時間により交互に女性専用、男性専用になる。
とある。本文には載ってゐないが、万葉仮名のくさつ(久左川)を平仮名との中間まで崩した字体の下に大滝乃湯と行書で書かれた湯揉み板と時間湯の湯船が写真に載り「これぞ草津という雰囲気と湯を味わえる時間湯」と題が付く。この当時は時間湯が出来たのだらう。
観光パンフレットによると
温度の異なる温泉に順に浸かっていく入浴法「合わせ湯」を体験できる入浴施設。2012年のリニューアルで、男女ともいつでも合わせ湯を楽しむことができるようになった。
とある。このとき時間湯の施設は無くなったやうだ。三湯についての案内(7ページ)には館内図が載り、一階は男女別の脱衣所、大浴場、サウナ、露天風呂と、女性用の合わせ湯。地下一階は男性用の合わせ湯がある。合わせ湯の面積は男女同じで、女性は長方形で上から一段づつ自然流湯で温度が下がり、男性は五つが2×2及び3に並ぶ。
大滝の湯を過ぎると少し先に煮川の湯があった。時間はあるので入浴した。ところが猛烈に熱い。知らずに足まで入ったが熱くて動くことができず出られない。足が慣れたのを見計らって出たが、お湯に浸かった部分だけ真っ赤になってゐた。とうてい入れないのでお湯を体に掛けただけで出た。最初にゐた人(観光客)と後から入ってきた人と三人で、熱いですね、熱いといふより痛いですね、先ほど出た人が今日は熱いと云ってゐましたよ、などと大笑ひ大騒ぎをしながら共同湯を後にした。
その先に地蔵の湯がある。ここは観光案内にも載る観光客歓迎の共同湯だ。先ほどの熱い湯に懲りてさすがに入湯する気にはならなかったが、ちょっと覘くと脱衣室の隅に飲み終ったペットボトルが放置してあった。都会のつもりでさういふことをしてはいけない。もう一軒、千代の湯といふ共同湯も観光案内に載り、時間湯体験もできる。こののち湯畑前の広場で予ねて買ってあった昼食を食べバスターミナルに行った。十一時で早いが、朝食も早く食べたことと昼食が悪くならないやうは止めに食べた。このあと三時間温泉図書館で温泉に関係した本を読まうと思った。ところが月曜は休館だった。といふことで退屈な三時間が始まった。
バスターミナルの待合室とバス乗り場のベンチ、一階のベンチを移動し一時間経過した。再度、湯畑に行き草津を訪れた百人の名前を見た。源頼朝、長尾為景、前田利家、豊臣秀次、良寛和尚、佐久間象山らが載るのはよいことだ。しかし明治以降は交通が発達し草津に来ても驚くには値しない。逆にどういふ基準で人選したのか嫌な気分になった。西の河原通りは土産物店が並ぶ感じのよい道だ。しかしそれを過ぎると平凡な道になる。しゃくなげ通りに翁の湯といふ共同湯を見つけ入湯した。草津に来るときは入浴は夜一回、翌朝一回にしようと予定した。ところが草津熱帯縁が予想外に早く見終り、といふか入園が予定より早かった。しかも温泉図書館が休館のため、この日は何と五回入湯してしまった。
バスターミナルに戻る途中、光泉寺の自動車専用トンネルを見た。時代の経過した味はひのある建築物だ。バスターミナルに戻ったがまだ四十分ある。御座の湯の入口に、気になるパンフレットがあった。そこで貰ひにまた湯畑まで行った。大滝の湯で引用したのはそのパンフレットだ。同じく引用した三湯の説明もこのとき頂いた。パンフレットには千代の湯の時間湯体験について
湯もみから始まり、かけ湯、湯長の号令での入浴など、伝統的な手順に従った入浴法に挑戦できる。時間の目安は30分~四十分。

とある。料金は560円と手頃だ。時間が余ったのでこのパンフレットを最初に入手すればよかった。しかし月曜は休みだ。草津熱帯圏が無休なことは調べたが、それ以外は調べなかった。「草津温泉が丸ごとわかる本」に次のような記事があったからだ。
お猿のショーも行なっており、親子連れでも楽しめるパークだ。
バス発車まで熱帯圏に居る予定だったが、ショーはやってゐないため一時間半で出た。(完)


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