八百三十(その二) 宝仙寺方面の散歩

平成二十八年丙申
五月二十五日(水) 宝仙寺
昼休みの散歩は連続して同じ方向に行くことが多い。かつて堀之内妙法寺の方向に続けて行ったことがあるし、立正佼成会の方角に続けて行ったこともある。最近は本町卓球場の方向に行くことが多くなったが、その先の交差点を左折し青梅街道を渡ると宝仙寺に至る。先週の水曜は境内を散策した。近くの中野坂上の高層ビルのサラリーマンだらうか。数人が境内でのんひりしてゐた。高層ビルの人数と比べれば微々たるものだが、お寺好きのサラリーマンもゐるのかと思った。

その次の日は昼休みに床屋へ行った。前にときどき利用した1000円理髪店は月火が休みのはずなのに閉まってゐる。その先にも1000円床屋があるので初めて行った。15分ほど掛かりますといふので、十分間に合ふ。ところが帰りに昼食を買ひ、会社で食べるとぎりぎりだった。20分以上掛かったかも知れない。
二つの床屋の中間にかつては秀明大学東京本部と書かれた建物があり、西部邁氏が有料の勉強会を開催してゐた。私は参加しなかったが、当時の西部氏は小林よしのり氏と蜜月時代で、左翼が駄目になった後の新しい国民運動の受け皿として注目された。

その次の日は宝仙寺の西側を廻り、宝仙こども教育大学、実践学園の前まで行った。帰りは方角を間違へて紅葉山方面に行ったため、一部走って会社には一分前に到着した。

五月二十七日(金) 学園の街
今から40年ほど前に、高校生歌手の通学する私立高校が話題になった。高校生歌手はテレビの生み出した非平衡状態における副産物で、本来は流行るべきものではないから、私はあまり興味がない。しかし実践学園がその高校ではないかとインターネットで検索したが、どうやら違ふやうだ。なぜ違ふのか次に考へると、その高校は堀越学園だ。そして宝仙学園、実践学園、堀越学園は至近距離にある。
土曜日曜を挟んで次の日は宝仙寺の周囲を東側から一周し、実践学園の前から、今度は道を間違へないよう青梅街道の一本北側の道から会社に戻った。この近辺は銭湯と狭い路地と古い家が多い。懐かしい風景だ。

その次の日は堀越学園まで行った。現在工事中で仮移転先の地図がある。そちらに向かったが、紅葉山の手前で会社に戻った。前回道を間違へたのはこの辺りだ。

五月二十八日(土) 紅葉山周辺
翌日は道を間違へたので予定を変更し杉山公園の裏を歩くうちに防衛省和田住宅裏の小道がどこまで行けるか草むらまで行ったところで帰社した。翌々日は堀越学園の前まで行った。中野九中の跡だ。そのあと紅葉山公園の蒸気機関車まで行った。その先に島忠がある。昔、私が総務部に所属してゐたとき、会社のロッカーが転倒しないためのつっかえ棒を買ひにここまで来たことを思ひ出した。事務所のロッカーすべてに設置するには相当の本数になる。一回に持ちきれないから何回も買ひに来た。手前に中野年金事務所がある。ここも書類を提出に来たことを思ひ出した。人間の記憶は不思議だ。忘れたことでも機会があると思ひ出す。

五月二十九日(日) 紫外線
先日、委員の待合室で紫外線の害について書かれた資料を読んだ。6月から9月の11時から1時は紫外線が強い。昼休みの散歩は秋まで休止に入りさうだ。(完)


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