八百二十六 国立大学教育学部の再編に反対、東京大学の文系を廃止すれば解決する

平成二十八年丙申
四月十六日(土) 産経の記事
産経新聞のWebに「国・公・私」超え大学再編 文科省、秋にも中教審諮問」といふ記事が載つた。これは観測気球と呼ばれるものだ。まづ内容をわざと漏らして世間の反応を見る。反対が少なければ推し進めようといふものだ。
文部科学省が、国公私立の枠組みを超えての統合を視野に入れた大学再編を検討していることが11日、同省関係者への取材で分かった。秋にも再編の在り方を中教審に諮問する。大学進学率が頭打ちの中、今後18歳人口の急速な減少が見込まれ、主に地方で定員割れが続く私立大の経営は一層厳しくなる見通し。一方で地方創生を担う人材育成も求められており、文科省は、私立だけでなく国公立も巻き込んだ再編で、地方大学の教育力や財務基盤を強化したい考えだ。
 主に教員養成系の国立大と地方の私立大の扱いが焦点になるとみられる。厳しい国の財政事情で、国立大の運営費交付金や私立大への補助金は減少傾向にあり、再編で大学を減らして支出を抑え、傾斜配分を進める狙いもありそうだ。
 これまで国立同士、私立同士といった統合や、私立大が公立大に変わったケースはあるが、国公私立の枠組みを超えた統合はない。
 文科省は諮問後、論点や法的な課題の整理のため、中教審に大学や地方自治体の関係者らでつくる特別部会を置く方向で検討する。
 文科省によると、四年制大学への進学率は約50%。ここ数年120万人前後だった18歳人口は、平成30年度以降減少し、43年度には100万人を下回ると予測されている。


今年の四月に教育学部に入学した学生の親としては、これは強硬に反対しなくてはいけない。これまで私のホームページは、自分に都合のよい主張はしてこなかつた。シロアリ民進党ではあるまいし、そんな主張はせず国民全体のことを考へて主張した。今回だけ特別と云ひたいところだが、今回も該当学部に子がゐるから気付いたことが沢山あると云ふだけで、国民全体を考へることに変はりはない。
この場合一番よいのは、東京大学の文系を廃止することだ。地方国立大学の再編を進めることではない。日本では明治維新以降現在に至るまで、優秀な人は東京に出るのが当然といふ雰囲気が続いた。この雰囲気を壊すには、東京大学の文系を廃止することだ。さうすれば優秀な人が地方の大学に行くようになる。すると玉突き現象で地方の私立大学にも学生が行くようになる。

四月二十日(水) 三段の積み木で考へると判りやすい
長方形の積み木が三段に積まれてゐるとする。これを二段にするには、一番上を一つ取り除けばよい。一番下を撤去するのは大変だ。上を持ち上げて下を除いてから、上をそつと下げなくてはならない。
日本も同じだ。首都圏だけやたらと人口が集中する。私が高校生のときは中山道の都県境の戸田橋から先は田畑だつた。手前の板橋区も水洗化されてゐない地域があつたし田畑も残つてゐた。足立区は一面田んぼのところが多かつた。世田谷区にも田畑がかなり残つてゐた。今はどうか。都内はすべて宅地化したし、周辺の埼玉県、神奈川県、千葉県も、40年前だつたら到底東京に通勤するとは思へないところまで都市化が進んだ。
東京一極集中を停止させるには地方の国立大学を再編することではない。東京の無駄な国立大学の学部を廃止することだ。

四月二十一日(木) 四つ目に該当
東京の無駄な国立大学の学部とはどこかを精査しよう。文部科学省は国立大学を「世界最高水準の教育研究」「特定の分野で世界的な教育研究」「地域活性化の中核」の三つに分けた。しかし第四の類型として「以上三つのどれかに寄生する学部」がある。東京大学の文系はこれに該当する。税金の無駄だから廃止させよう。

四月二十二日(金) 日本を滅ぼすもの
かつて陸軍大学の卒業生が人脈を利用して派閥を作り、それが二つに分裂して対立してつひには日本を滅ぼした。今の日本はそれと同じで、東京大学の卒業生が人脈を利用してやりたい放題をやつてゐる。
私が人脈に気付いたのは数年前のことだつた。労働組合に所属してゐたときに全労協系単組の副委員長に兼任で来て頂いた。この方は安田講堂事件で逮捕され、あの事件では外人部隊(他の大学の学生)が多いと云はれたが、この方は東京大学法学部の学生で、釈放された後に勉学に復帰し中小企業に勤務した。この人のすごいところは、その人脈だつた。フロント (社会主義同盟)に所属したため、仙谷由人、阿部知子といふ人脈があつたし、労働弁護士とは何人も知り合ひだつた。フロントといふ目立たないセクトでさへこれだけ有力な人たちと知り合ひなのだから、学生運動に参加しない一般の学生の場合は相当なものだらう。
英語公用語騒動に始まり、小沢一郎氏批判、消費税増税など、政治、官僚、学者、マスコミが手際よく動くことがここ二十年目立つ。背後に何かあると睨んでゐたが、どうやら東京大学人脈のようだ。東京大学の文系を廃止しないと日本は滅びる。

四月二十三日(土) 東京への集中は限界
今年になつて、東京への集中は限界だと思ふ事件に四件立て続けに遭遇した。まづJRのホームに警察官が来た。車内で暴力を振るつたのか、若者に警察官が経緯を質問した。若者は向かうの人が車内で覆ひかぶさるように押して来ただとか説明した。二番目に、電車に乗つてゐたら、お客様どうしのトラブルで後の電車が遅れたため何分停車しますといふ放送があつた。このときは、放送では乗客が悪いように云ふが混んだ電車を走行する鉄道会社(このときは確か東京メトロだつた)が悪いのでは、と思つた。三つ目はJRの別の駅で、やはり若者が一人だけホームに立ち警察官が事情を訊いてゐた。四つ目は国会図書館のロッカー室で、加害者と被害者のゐるところで警察官が聴取してゐた。
なぜ今年に入つて急に事件が多発するようになつたのか。一つはスマホの普及だ。スマホとともにアプリが普及した。あれに集中すると周りが見えなくなる。周りが見えれば気遣ひもできる。見えないとできない。特にイヤホンといつしよにスマホを使ふと駄目だ。しかしもう一つ、本質の理由がある。東京に人が集まりすぎた。これ以上、東京に人を集めないために、東京大学の文系は廃止しよう。優秀な人が地方の大学に進学し地方に就職するようにすべきだ。(完)


前、東京大学批判その十三次、東京大学批判その十五

メニューへ戻る