七百九十一 久しぶりの株主総会出席
平成二十七乙未
十二月三十日(水)
臨時株主総会
先日、臨時株主総会が開かれて、久しぶりに出席した。今まで出席しなかつた訳は、委任状に切手が貼つてなかつた。それでは欠席のときに委任状を提出できない。自分で切手を貼つてもよいのだが、私が株主になつてから一回も配当がない。その上、切手代まで自分で払へといふのはひどすぎる。だから委任状を出したつもりで放置した。
今回、久しぶりに切手が貼つてあつた。だから委任状を返信せず株主総会に出席すれば、会社側は出席票を兼ねた委任状から切手を回収して、わずかだが会社の業績が向上する。そのような理由で出席した。
もう一つ理由があつた。私が二十二年前に今の会社に転籍したとき、上司は取締役のAさんでパソコン事業部の事業部長だつた。数ヶ月してAさんが困つたといふ。理由はKさんといふ組織をまとめることが苦手な人が来るといふ。Kさんはシステム部長として私の上司になつた。その後、いろいろあつたのだがKさんは後に監査役になつた。そして、今回の臨時株主総会で退任することになつた。
十二月三十一日(木)
いろいろあつた内容
いろいろあつたと書いたが、その最大のものは私だけ派遣に出された。まづ私は派遣として入社した訳ではないし、今回から派遣労働者に変更すると通告された訳でもない。つまり労働者派遣法に違反した。しかしもっと重大な問題がある。システム部は五名ゐるのに私だけ派遣に出され、他の四人はその後も社内に残つた。このような場合は精神的なメンテナンスが大切だ。これこれの理由で派遣に出したが、いつ戻す、と懇切丁寧に説明すべきだ。ところが一言もなかつた。
といふか永久に戻す予定がないのだから云へるはずがない。そればかりか担当営業が「いやあ、あの職場は仕事が厳しいからこれまで五人出して二人しか残つてゐないよ」と聞こえよがしに云つた。
これで私とKさんは険悪になつた、と云ひたいところだが実際はならなかつた。私は行為を批判しても、人をいつまでも恨むことはしない。そればかりかKさんが間抜けな事をその後やつたからだつた。
十二月三十一日(木)その二
株主総会で会社批判
Kさんは社長の親戚だといふ噂があつた。本人に確認したが曖昧な返事だつた。そのKさんが株主総会で会社を批判する。それを楽しみに株主総会に出席する人が多かつた。会社のホームページを池袋事業所が管理してゐるとき、ホームページに不法アクセスがありそれを放置したとして取締役のM池袋事業所長を攻撃したこともあつた。
その後、私がホームページを管理することになつた。あるとき表示してゐるアクセス数が異常だとKさんがいふ。調べると天文学的数値に書き換へられたので、今までの増加傾向からこの程度だらうといふ値に戻した。1秒に何十回もアクセスがあり、IPアドレスを大阪事業所だと思ふがそこに調べてもらつたところ、所有者はKさんだつた。
総務部長でたびたび事務本部長も務めた(当時は役職者が年ごとに入れ替つた)Yさんと私が会議室の机のこちら側、Kさんが向ふ側に座り、資料を見せて、一体どういふ訳なのか質問すると、誰かが家のパソコンに外からアクセスしただとか云ひ訳してゐたが、最後にYさんから、今後はかう云ふことはしないでください、と厳重注意して一件落着となつた。
一月四日(月)
Kさん監査役に
Kさんが監査役に就任したため、株主総会の楽しみが無くなつた。多くの人がさう思つた。しかし今度は私が株主総会で発言するようになつた。これは労働争議になつたためで、Kさんとは無関係だつた。ところが事務本部長のYさんが、今までKさんが発言するので社長が不機嫌だつたが、Kさんが云はなくなつたら今度は私が発言するようになつてまた不機嫌になつたといふ。
Yさんは鹿児島出身で、私とは気が合つた。私は東京出身だが下町だから田舎の人とは気が合ふ。昔は山の手は金持ち、下町は庶民と住む場所が分かれてゐた。あるとき「鹿児島は今でもビールではなく焼酎を飲みますか」とYさんに質問したところ「普通は焼酎を飲むが、仕事のある人はビールを飲む」といふ回答だつた。私は「仕事といふのは火山灰をどける仕事ですか」とすぐ言葉をつなげた。鹿児島には火山灰を撤去する仕事しか無いといふ、すごい思ひ込みだつた。
そのYさんも退職して鹿児島に帰つた。私も株主総会で発言しなくなつた。そして今回久しぶりに出席した。(完)
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