七百五十五(乙) 池上本門寺「静坐と唱題行」

平成二十七乙未
十月十日(土) 本殿
京浜四大本山巡り「だより」10月号に載つてゐる「静坐と唱題行」に参加した。池上本門寺の本殿である。最初、本堂(大堂)と間違へて靴を脱ぎ受付に訊いたところ、本殿を教へて頂いた。本殿は釈迦像を中心に四菩薩と祖師像を祭る。コンクリートの建物と併せて白木造りで日本の伝統と外れたところが難点かも知れない。仏像は黒く塗り祖師像は白く塗るのが伝統である。昭和四十年代はこの種の寺院建築が流行した。そののち周囲との調和、内装はコンクリートをむき出しにせず木材を用ゐることが考慮され、例へば総持寺の三松閣はその典型である。
しかし本殿は瓦形式で周囲と調和しないことはない。外壁の色と広すぎる前庭が原因かも知れない。本門寺は翌日から始まるお会式の準備で門前の道路では建てられた支柱にぼんぼりを取り付けてゐたし、本殿の前庭にはテントが張られた。

十月十一日(日) 静坐と唱題行
まづ正坐して両手は法界定印で目をつぶり深呼吸して数を数へる。浄心である。
次に太鼓に合はせて腹の底から題目を唱へる。最初は遅くだんだん速くなり、これが暫く続いた後に遅くなる。唱題行である。
最後は手を膝頭に置き、暫くして両手を上に向けて頭を床に付け礼をする。深信である。

座禅の日蓮宗版で初体験である。まづ思つたのはいつ頃(日蓮の時代、室町時代、江戸時代、近年)から行はれたのか、天台大師の魔訶止観に書かれてゐるのか、といふことだつた。仮に近年だとしても日蓮宗の日頃の勤行と調和し、しかも現代人の要求に合つたよい方法である。インターネットで調べると、池上本門寺のほかに市川の真間山弘法寺、身延山塔頭志摩房など幾つかの寺院で行はれてゐる。

十月十四日(水) 各末寺のホームページ
島根県龍泉寺龍珠会のホームページによいことが書かれてゐる。まづ龍珠会とは、
島根県浜田市の日蓮宗龍泉寺を母体とする会です。/この会の構成員は、従来のお寺と檀家という固定的な関係にとどまらず、HPを通じて連携し、お寺の機能を活用した社会参加型の活動を通して広く形成されます。
とある。次に唱題行について
2500年前、お釈迦様がインドのブッダガヤにおいて、お悟りをお開きになられた「お姿」「呼吸」「境地」を、末法に生きる私たちが、時間、空間を越えて、私たち自身の内面に再現するための修行法です。/「唱題行」の原型は、中国隋時代の高僧、天台智者大師が著された「摩訶止観」の理念とその具体的行法である「天台小止観」にありますが、この原型に日蓮大聖人のご教示、「妙法五字の光明に照らされて本有(ほんぬ)の尊形(そんぎょう)となるー日女御前御返事」の境地が加わり、さらに湯川日淳上人の長年の修行と工夫によって出来あがったのが「唱題行」です。
ー求道同願会発行 唱題行入門講座よりー

複数の末寺のホームページで神社、お寺大好きの若い男女を集めて唱題行を行ひ婚活もする催しを見つけた。日蓮宗宗務院が以前、寺の次男などを、住職に娘しかゐない寺の次期住職にする婚活を企画したが、これは師弟関係より俗世間の親族関係を優先させることだから絶対に反対である。それに比べて一般の男女の婚活を末寺が進めるのはよいことである。

富士宮市(旧芝川町)下柚野にある大日蓮華山興徳寺のホームページに有益なことが書かれてゐる。
唱題行とは、お題目口唱(おだいもくくしょう;南無妙法蓮華経を口で唱える事)に浄心行(じょうしんぎょう;出入りの息に集中統一して心を調える。瞑想)を併せて体系化した日蓮宗公認の行法です。/これを実践してゆくことによって、心と体が調和し、生命の根本の力が強くなり、個人の生命が宇宙の大生命に融合することが自覚できるようになります。何よりも深い呼吸法と長い発声をする事によって、身体の健康が得られます。
五年前の「山寺の和尚さん日記」によると
昨年の8月にスタートしたので、ちょうど1年になりました。/最初の頃は もの珍しさもあってか 10数名の参加者がありましたが、最近は10名位で落ち着いています。(因みに本日は、私を入れて10名でした)(中略)私が、初めてこの「唱題行」と出会ったのは、出家して間もなくのこと。 千葉県の清澄寺にて行われた、最初の合宿修行でした。/灯りを落とした本堂で、仏様の中に溶けた〜という 体が震えるような感動をし、 後にこれを「我入仏・仏入我」ということと知りましたが、実に理に適った修行法だと思いました。 
住職が出家したのはいつかを調べると十一年前である。昭和二十五年興徳寺の長男に生まれたが、日雇いで青函トンネルの現場で働き資金を得て1年6ケ月間ヨーロッパ、アフリカ、インドと世界各地をヒッチハイク旅行。結婚して六年後にブラジルへ移住、十四年後に会社を設立。しかしその九年後に寺を継いだ弟が急死し、ブラジルの会社を整理して十一年前に出家した。
あと山号の大日蓮華山は誰もが気になるだらう。あの大石寺と同じである。寺史によると開山は日興で蓮華山光徳寺と称した。元禄14(1701)年の資料に「富士郡上方 身延山直末 下柚野村 大日蓮華山光徳寺」とある。

十月十六日(土) 学習会「法華経を生きる」
この日は朗子会館で学習会「法華経を生きる」があるので、これにも参加した。講師は池上本門寺学頭市川智康師である。八十歳の高齢なのにお元気で貴重な講演である。終了後に、落語で題目が出て来る場面があるが「なんみょうほうれんげきょう」と唱へてゐるが、昔はどうだつたか質問した。日蓮宗では「なむみょうほうれんげきょう」と唱へるからである。昔から後者ださうだ。あるいは創価学会が大折伏を実施した時期に、これに対抗して日蓮宗では後者に統一したのかとも考へたが、さうではないようだ。これは若い僧侶に質問しても判らない。(完)


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