七百四十 院展を観に行かう

平成二十七乙未
九月五日(土) 再興第100回院展
美術学校を解職になつた岡倉天心は日本美術院を創設した。資金難で茨城県五浦への移転を経て、横山大観らによつて再建された。今年は再興第100回院展が九月一日から十六日まで上野公園の東京都美術館で開催されてゐる。院展のライバルに日展がある。日展は文部省が主導し明治四十年に始まり文展と呼ばれた。その後、帝展となり戦後は日展となつた。日展は官制展覧会の臭ひが強い。それに対して院展は在野である。日展が日本画、西洋画、彫刻、美術工芸、書なのに対し、院展は日本画のみである。すべての国民は在野を応援しようではないか。
私は昨日休暇を取り観に行つた。入り口で入場料の九百円を払ふとき、このお金が在野の日本画家を養成するのだ。そんな気持ちで入場した。

九月六日(日) 伝統の日本画が少ない
昨年日展を観たとき(院展を応援する立場から日展に入場料を払ひたくなくて無料公開日に行つた)、日本画の少ないことに愕然とした。ここで作者側と鑑賞者側では日本画の定義が異なる。作者は日本画の画材と道具と技法を使ふことが日本画だと考へる。鑑賞者側は題と出来上がつた絵を日本画だと考へる。鑑賞側の目で見ると日展にはほとんど日本画がなかつた。昨年院展をインターネットで調べると過去の作品が載つてゐた。それによると二割が日本画だつた。今回院展を観ると一般応募では二百七十二のうちの約六十が日本画だつた。昨年と比率は同じである。同人では三十四のうち十四で41%が日本画。日展に比べて一般、同人ともに比率の高いことに少しは安心した。しかし多くは不安が残る。
それは内閣総理大臣賞、文部大臣賞、日本美術院(大観)賞のすべてが、鑑賞側の側から観れば日本画ではない。奨励賞も十二のうち日本画なのは四つである。但し黒澤正画伯の「協奏曲」は日本画には数へなかつたがよい作品である。つまり鑑賞側から観た日本画家どうかの基準は伝統的かどうかで、その背後には快いかどうかがある。だから優れた作品は伝統ではなくてもよい作品である。
院展の審査基準は近年作者の側に偏り過ぎてはゐないか。鑑賞側とはつまり購入者が応接間に飾つたときどれだけ心地良いかである。

九月九日(水) 朦朧体、画面の明るさ
朦朧体は遠くから観ると美しい。そのことに今回気付いた。といふことは近くで見るとあまり美しくない。作品によつては筆の跡が残るものもあつた。今年は応募点数552のうち入選272。朦朧体は岡倉天心が発案し横山大観らが不評のなかを苦心して完成させた。だから朦朧体を使ふ作品が入選しやすいといふことがあつてはいけない。目指すは応接間に飾つたときどれだけ心地よいかであり、直近では総理大臣賞であり文部科学大臣賞であり日本美術院賞である。
朦朧体のほかにもう一つ気になつたことがある。画面が暗い作品が目立つ。画面は明るいほうがよい。

九月九日(水)その二 人物の顔、風景に入る余分なもの
まづ日本画に西洋人は描かないほうがよい。これは人種差別をしたのではない。都心や観光地を除き西洋人に出会ふことは少ない。外国人を描くことにより優れた絵が完成するなら描いたほうがよい。さうではないなら普通の日本人を登場させるべきだ。日本人の顔が西洋人に見えるものもある。顔は日本人風でも絵自体が伝統ではないものもあつた。小針あすか画伯の「珊瑚の風」は顔が日本風でよかつた。或いは同人の西田俊英画伯の「森の住人」は人の顔はそのまま描いてはいけないといふ日本画の伝統の模範である。
外国人を描くことにより優れた絵が完成する典型が、奨励賞を受賞した王培画伯の「山茶花開」である。中国少数民族の華やかな服装が綺麗である。外国人の作品では劉エイ(火偏に英)杲画伯の「白南風」も秀作である。

風景画に余分なものを書かないほうがよいのでは、といふ作品が幾つかあつた。お寺の本堂の隅に見学者がゐたり、傘や靴があつたり、猫がゐる。さうすることで絵に変化を持たせることの効果と、余分なものを書くことによる負の印象とどちらが大きいか。もし余分なものを書いたほうが入選し易いなら、日本美術院に再考を求めたい。
せつかく寺を描いても洋画風の作品もあつた。題材を寺院にするのは伝統的な画材として好ましい。しかし風景を洋画風に書かないほうがよいのではないか。
同人伊藤髟耳画伯の「歩み続ける」は「手抜きだと思う人がいるかも知れません」と解説文があつた。勿論手抜きだなんて思ふ人は一人もゐない。単純は美しいといふ模範である。

九月九日(水)その三 再興第100回
今年は再興第100回といふことで、昭和二十九年の第39回から今年の第100回までの表紙絵が展示された。平成五年の第78回までは伝統の日本画である。ところが79回、81回、83回、86回、88回と洋画風のものが半分か1/3の間隔で現れるようになる。そして91回から100回までは洋画風が連続する。私のメモ書きによると91回描写風、92回写真風、九三回洋画風、94回準洋画風、65回洋画風、96回デザイン風、97回描写風、98回洋画風、99回描写風、100回描写風となる。
洋画風になつてまだ九年間。このままでは日展と同じになつてしまふ。日本美術院の特長は伝統画にある。ここで伝統画とは昭和、平成生まれの人から見た伝統画であり、江戸時代までの世襲や門閥制度での日本画とは異なる。まさしく岡倉天心が目指した西洋がに負けない日本画である。(完)


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