七百三十九(丙) 山口益著(空の世界 龍樹から親鸞へ)
平成二十七乙未
九月十八日(金)
般若経
次は「空の世界 龍樹から親鸞へ」である。冒頭から
|(1)無二智・法身仏(如来)
−サンスクリツト語略(pre-eminent thing)−勝義
菩薩の課題(所成)
般若経の所成
→般若波羅蜜
−
|(2)道
|
|(3)般若経本文
|−方便−サンスクリツト語(ordinary thing)−世俗
と私にとり理解不可能な内容で始まる。これは般若経や、その解説書である六世紀のインドの陳那を読まないと理解できない。この辺りの2ページは飛ばして次に
主体的なものが先にありとせられる観念論的なものと、客体的なものが先にありとせられる唯物論的なものとは、いずれもインド仏教において先住論と称せられるものであるが、その先住論とは別に、主客両者が各々個別的に同時に存立されてあって、その両者が相応(correspond)することによって、具体的なわれわれの存在が形成せられる、とする考えもあり得るわけである。
と興味のありさうな話になる。以上の三つはいづれも批判すべき対象で、
仏教中においても、犢子部(とくしぶ)という一学派が「われわれの物的な存在要素や心的な作用がわれわれのものとして与えられているのは、補特伽羅プドガラ(pudgala)という輪廻の主体や記憶の主体となるものが専従するからである」とするのは、観念論的先住論の部類に接せられるのであり、説一切有部のごとく「主体的な内六処と客体的な外六処となる十二処に接せられる諸法が、過去現在未来の三世に実有であり、それらが因縁あって和合して、具体的な作用のあるわれわれの存在が与えられる」となすものは、先にいう第二の批判の対象となるような思想的類型である。
九月十九日(土)
シルヴァン・レヴィ
フランスの仏教学者シルヴァン・レヴィの著書から山口氏が引用した内容である。
アショーカ王によって派遣せられた仏教の伝道師は(中略)インド、トルキスタン地方の国境にまたがって建てられていたギリシャの一王国の世界とインド仏教との交渉が行なわれたのである。ギリシャの論理学を知っていたメナンドロス(弥鄰陀ミリンダ)(中略)は仏教に改宗し(中略)、他方、仏教において阿毘達磨アビダルマ(論)という組織体系が形成せられるに至ったのは、疑いもなくギリシャ精神の要求に基づくものである。
西紀前二世紀の中葉に行なわれた民族大移動によって、ギリシャ王国のあった地域にはシャカ族と月支とが侵入して、そのシャカ族の諸王中には、XX教の起源と不離の関係にあるゴンドファレス(Gondphares)という人があり、インドへ初めて福音伝道師を派遣している。(中略)仏教史家はバルチャのアルサシッド(安息)王朝下の宗教事情と、XX教の起源に関する問題を閑却することはできないはずである。
まさしくシナに仏教が移入せられた初期の仏典翻訳者中には、イラン系の人々の姿を認める。すなわち安世高は安息国の王子であり、(中略)イラン系の人々がインドの仏教を更新せしめたことは疑いを容れない。
すなわち原始仏教における教団の宗教生活は、人間的な諸行作を離れて輪廻海を度脱せんとし、戒律を持して阿羅漢果涅槃寂静に趣向せんとし、もっぱら教主釈迦牟尼やその遺物聖跡を念じ崇敬する態であったのである。しかるに西暦の初期から遠からざる頃より、その原始仏教の形態に変革が起こった。(中略)すなわち諸仏の思想、ことに阿弥陀仏や観世音の思想信仰が台頭し(中略)弥勒に関する思想と信仰、それはインド古代の婆羅門教にとっても仏教にとってもともに外来的なもので、その思想、信仰、名は、イランの拝火教と密接な関係にあるものである。また般若波羅蜜の思想は、バジリード(Basilide)やヴァランタン(Valentin)のごときグノス学派(Gnostiques)を想起せしめる。ギリシャ語の直観(gnosis、oの上に横線)はサンスクリットの般若(prajna、波線と横線略)(慧)に相当するものであるが、この学派はイランの領域にあってXX教に影響を及ぼし、グノス(直観)による救済を宣称したのである。
なおイラン人マニ(Mani)は拝火教と仏教とXX教とを結合して大事業を企てたものであるが、このマニ教のこともイラン分化と仏教並びにXX教に関連して注意されるべき事柄である。
インドの仏教使節がシナに達するために経過した二の道は、大砂漠の両端を走った路程であるが、そこにまばらに散在する沃土に建設せられた町々には、インド人、イラン人、トルコ人、イタリア・ケルト系から紀元を発するアーリア人などが混在して居住した。インドの仏教者はこれらの地に来たって方言に通じ、方言を精錬し、方言をして気品ある文学に高めたのである。(以下略)
インドの仏教がシナへ伝訳せられるための南海の航路は(中略)開発せられ、第三世紀の初め以来、インド文化を取り入れた大王国扶南(現在のカンボジア)はメナム河口を支配して、ここに仏教は繁栄し、第六世紀まで梵語原典の翻訳をシナに供給したのであった。
九月二十一日(月)
動仏と静仏
第二章「動仏と静仏」で注目すべきはフランスのルネ・グルッセ氏が京都で行った「新ヒューマニズム」の講演である。
「現代において真個の意味のヒューマニズムが建てられんがためには、西洋の地中海的世界の文化を、東洋世界に押しつけるということであってはならない」
とするのである。グルッセ氏の言葉によれば、われわれ西洋人としては、インドの思想、仏教の思想、儒教の思想等によって代表せられている東洋の文化をよく理解して、その上に真のヒューマニズムが建設せられねばならぬといっている。
そして次に、フランスを中心とするヨーロッパの学者が注目するインドの古典「入菩提行論」を取り上げる。この書は宋の時代に漢訳されたが
宋代に仏典翻訳の事業に従事した学問僧たちには、唐代やそれ以前にあった学問僧のごとく優秀な人物が少なく、従って大乗仏教の幽玄な意味を完全に梵語から中国語に訳することができない場合もあった。(中略)従ってこの書物は従来の中国および日本の仏教者にはほとんど問題にせられなかったものである。
ところがヨーロッパでは
そういう仏教の古典が、一般向きの読みやすい書物の体裁まで備えて、しかも十分な学問的な基礎に立って出版せられてゆくところに、ヨーロッパの文化の水準の高さが見られるようである。
それに対してアメリカは
私は寡聞にして、アメリカで仏教に関するそういう研究業績が刊行せられたことを知らないのであるが、かつて京都大徳寺境内の一隅にあって臨済録の英訳に専念したルース・佐々木夫人が「仏教に関するそういう研究は、フランスの学者の業績が最も立派である」と語っていた。鈴木大拙先生も申されるごとく、新興国であって古い伝統のないアメリカでは、そういうような古典の研究というものにはあまり気が移らないのであろう。
日本では政治も経済もアメリカの猿真似が多い。しかしアメリカは新興国で伝統のない国を真似してはいけない。兼ねてさう思つてゐたところ仏教の面でもそれが正しいことが裏付けられた。(完)
大乗仏教(禅、浄土、真言)その十七
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