七百三十九(乙) 山口益師(1.著書「大乗としての浄土 空・唯識から念仏へ」、2.東京裁判とパール判事)

平成二十七乙未
九月五日(土) 良質な図書
大谷大学学長、真宗大谷派真宗教学研究所長を歴任された山口益氏の著書「大乗としての浄土 空・唯識から念仏へ」は良書である。その理由は山口氏が明治時代に生まれたため、昭和二年から同四年までフランスに留学したのにその悪影響がない。これは大正時代に生まれた人にも見られる。この本の先頭ページに掲載された大正15年のパスポートの写真と査証と入国時のスタンプを見てつくづくさう思ふ。

九月九日(水) 一回目と二回目の相違
一回目に読んだ時によく判らない部分が多かつた。先頭ページのパスポートの写真とスタンプには西洋かぶれ、俗的なものを感じた。しかし最後まで読み、これは良質な本だといふことで五日にこの特集を始めたときは、パスポートの写真とスタンプをこの本の特長とした。良質の理由は、フランス留学中に習得した西洋学問を表に出すことなく、仏教を説明してゐる。単語の意味を正確にするためまれに英語で補足することはある。例へば
世間的実用がまた起こってくるための功能くうのう(energy)となり、そういうことが習性(habit)ともなる気(いきおい、ちから)が薫じづけられる。(中略)唯識説の上でアーラヤ識(alaya-vijnana:習気habit-energyがそこに蓄えられて蔵せられている故に、それが種子識とも所依識ともいわれる)といい、識の能取としてはたらく側面の諸容態を、染汚意ぜんまいと意識と五識との三の容態で表わす。(漢字の後の平仮名はルビを意味する。「習」と「気」の上に「、」が付いてゐる。サンスクリット語にはアルファベットの上に線や波線が付くものもある。(以下略)同じ)

私はこの文章はまつたく理解できないが、正確を期すため英語の補足を付けながらも別の場所では返り点付きの漢文を引用され、西洋かぶれになることなく仏教を深く研究されてゐる。

九月九日(水)その二 止と観
瞑想の止と観について、曹洞禅は限りなく止のみである。或いは止を極めれば観に至るといふ立場である。私も曹洞禅から入つたのでこの立場で、観とは悟りのことで、光が見えた水晶が現れたといふのは止に至る手段だと思ふ。山口氏はこの点について
無碍光如来に帰命し、無碍光如来の名を称え、本願のいわれが讃仰せられることは、おのずから安楽国に生ぜんと志願することである。(以下略)
願生安楽門
ということが作願門として提示せられ、また、先に述べた浄土の二十九種の荘厳功徳を観察かんざつすることが観察門として、その次に一連的に提示せられることになる。(中略)ところで、その作願と観察とは、浄土論の解義分の上では、シャマタ(samatha:止)とヴィパシュヤーナ(vipasyana:観)とが如実に(yatha-bhutam)実修せられようとすることであるといわれている。「止・観」の語の解釈のために、天台の摩訶止観などに関連させて種々になされることもあるのであろうが、浄土論が著作されたインド仏教的領域での釈義(exegesis)に従えば、"止"は対象の上に心が全く集中されること(citta-ekagrata:one-pointedness of mind:心一境性)であるから、解義分の下の作願門の下の解釈では、
心に常に一心専念に畢竟じて安楽浄土に往生しようと作願するのである。
(中略)ただし、その静穏は単なる心の寂静相ではなく、心身が平等に活動することを意味する"軽安きょうあん(心身の堪能性)"という内容を包有するのである。そして(中略)対象の影像が心の中に現れてくる。そこで確実に対象の分析を遂行し、そのあり方の委曲を識別して、智見の構想を形成する。(中略)それが"観"といわれる心事の性状である。


と書かれてゐる。今回図書館から借りた本は26ページから20ページほど欠落し、この文章に関係ある部分が分からなかつたが貴重な意見である。

九月十二日(土) 西洋の仏教学との関はり
イギリスがインドを植民地にしてから、西洋でも仏教の研究がさかんになつた。しかし日本を含むアジア各国では仏教の研究が二千年間続いてきた。だからの歴史の浅い西洋の仏教学をうのみにしては、研究期間の長さが生かされない。一方で西洋の手法による研究にはアジアには或いは中世までにはないものがある。だから西洋かぶれにならず、しかし西洋の研究を理解し賛成や反論できるようにならなくてはいけない。山口氏は西洋かぶれのところは皆無で、しかも西洋の研究も理解してゐる。この本は十三章までの本文の次に追補として第十四章がある。これは昭和四十四年日本学士院の例会に提出された論文である。そこでは
京都大学文学部仏教学の梶山雄一氏が、一昨年秋から昨年六月まで、アメリカのウィスコンシン大学で仏教学の講義をされ、(中略)一文を寄せられた。そこで梶山氏はいわれる。
アメリカの青年たちの間では、キリスト教も仏教も、インド教をも含めた伝統的宗教一般について、批判と新解釈が生まれねばならないことが主張せられている。そして、キリスト教の本質が、現代人に対して持っている意味を再発見しようとする運動が、キリスト教を研究する学者たちの間で、かなり大きな力となっている。・・・・・そういう情勢であるから、彼らの間では、日本の浄土教の僧侶の間に(中略)アミダ仏も浄土も、実存しない、と言い切る者が少しも現われない、ということであれば、それは訝(いぶか)しいことである、といっている。

或いは
昭和二十四年秋、京都を訪れた弁証法神学者エミール・ブルンナーも、京都大学宗教学研究室主催の座談会の席上で、
仏陀の正覚(さとり)の大乗仏教的展開として般若空の思想、つまり大乗仏教の根本思想と、アミダ仏とは、別にあるのではないか。
という質疑を呈したことであった。

これらに対し山口氏は
大乗仏教の基本をなす般若経では(中略)無我・空の実践としての般若(prajna,知恵)波羅蜜多(paramita)の菩薩行が強調される。それは般若経において空思想が展開せられると一般にいわれるところである。けれども厖大な般若経群類の中での大品般若と称せられる仏典にあっては、浄土往生の思想が表われ、菩薩が般若波羅蜜多を行じて仏果に到達したときには、仏国土として、一切衆生を度脱せしめる完成した状態においてあるといわれる。/そして、この般若経と同じ立場にある維摩経の仏国品においては(以下略)

もし菩薩浄土を得んと欲せば、当にその心を浄むべし。その心浄きに従って仏土浄なり。

という。ベルギー・ルーヴァン大学のE・ラモット(Eは上に点がある)教授は、いま、西欧における仏教思想史研究の最高権威というべき学者であるが、ラモット教授は、いまわたしが述べてきた仏陀の経説から維摩経の仏国土の成就という仏教思想上の関連を重要視する。

結論として、
浄土とは、単に向こうの方にあるユートピア・夢幻郷・理想郷でなくして、現に衆生の迷妄が浄化せられている歴史的事実である。/浄土という語が、西洋の仏教学者によってpure Landと英訳せられているが、わたしは(中略)Land of purification "土(ど)を、世界を、浄化しているはたらきである"と考えたい。


九月十二日(土)その二 戦没者の追悼法会
この書籍は後方に、付篇1「仏陀・如来・念仏」と付篇2「戦没された方々の追悼法会にちなんで」が73ページに亘り付けられてゐる。全部で220ページだから1/3を占めて、付篇といふよりは第二部と呼んだほうが実態に合つてゐる。このうちの付篇2は昭和六十年代以降に偏向してしまつた日本の言論界への警鐘として重要である。まづ大阪の松坂屋で開催された写真展に学徒出陣の記録写真があつた。山口氏は
例年、戦没された方々への追悼法要を営むに当たりまして、わたしだけが、ただ役職として、こういう仏事を営むというお座なりでは面白くないので、当時の逼迫した運命の中を彷徨していたこの日本の中に生き合わしておって、一緒に胸の痛くなるような想いをもし、泣くにも泣けぬようなつらい想いの中を一緒に凌いできた方々の中のどなたかが、当時の想い出を表現して下される言葉とか写真とか何かがないものか。そしてわたしとしては、そういうものに心動かされ、そういうことを、このお仏事を勤めるキャッチ・フレーズとして、このお仏事を勤めさせていただけるならば、といつも念じているのであります。


で始まる山口氏の講演は学徒出陣の写真に触れ
そのまま戦没せられた学徒兵たちを、まことにご苦労様でありましたと追憶し、公にそのご苦労様を偲ぶ慰霊祭ができるようになったのは、ようやく、三十七・八年頃からでありました。それまでは戦没された方々を犬死呼ばわりでもするかのような、人間として恥ずべき畜生にも劣ったような仕方を続けねばならぬ年時が続いた。それは、終戦直後の日本国内が、去年であったか癌で病没せられた高見順という作家の、「敗戦日記」という書物にしるしていられるような、まことに秩序のとれてない事情であったのに由来するのでもありましょう。


ここまで同感である。山口氏は続けて東京裁判に触れ
日本の軍部というものは一律に悪党でもあったかのように、従って日本軍を罵倒するのが正義派でもあるかのような風潮がみなぎっていたからでもありました。そういう風潮がさらに拡がりまして、ひどい考え方になると、「戦争以前にあったものが全て間違っていたから、ああいう途方もない馬鹿な戦争が勃発したのだ。だから古くからあるものは全て間違いだ」というようなことも平気でしきりにいわれました。


ここも同感である。山口氏の講演は昭和四十二年である。最近私は、先の戦争への評価は昭和三十年代、四十年代が正しいと想ふようになつたが、まさにそれが裏付けられた思ひである。山口氏は続けてパールに判事に触れ
パール博士は、インドの人でありますが、東京の国際裁判の判事として出席する前に、オランダのハーグで開かれた国際法学会の会議の議長にも選ばれた世界的な国際法学者であります。/そういうパール博士は、東京の国際裁判に出席して、連合国十一ケ国の裁判官全部を向こうに回して断乎として、日本は無罪である、との判決を主張したのでした。一口にいえば、

日本が戦争を始めざるを得なかったのは、ここ二〇〇年の間に西洋の諸国がまずインドを侵略し、それからシナへとなだれこんだ、その西洋諸国の侵略の手が、日本人八千万人の生存を危うくするまでのしかかってきた。日本が生きていくためには、戦争に訴えざるを得なかったのだ。(以下略)

というのであった。さらに(中略)パール博士は、

原子爆弾を投下したアメリカこそ最大の戦争犯罪国である。

また、

日本との中立条約を結んでおきながら、戦争の終わりになって、日本に宣戦を布告して満洲へ侵入してきたソ連が裁判官の席にいる。そういうアメリカやソ連こそは国際法上、許すことのできない行為である。


ここも同感である。次に鈴木大拙を取り上げてゐる。鈴木大拙は英語の著書も多数出版し、奥さんはアメリカ人、アメリカ在留も長い。
連合軍が進駐してきてほどない日に、先生は連合軍から呼び出されて(中略)司令部が先生に質問しようとしたことは、「日本はなぜ、あのような狂気じみた侵略戦争を始めたか」という点にあったようです。(中略)先生の答えは、次のようであったということです。

西洋諸国は、過去数百年にわたって科学的な軍備に物をいわせて東洋諸国を侵略した。千五百年以上の文化の伝統に立っている日本が、いまの時代に処して独立国として立っていくためには、インドもシナもそれでやっつけられた西洋の科学的な軍備の方法を受け容れて独立をもちこたえねばならなかった。ところが武器を持つというと、どうしてもそれが使いたくなるもので、日本は西洋流の軍備がようやく出来たから、西洋諸国の真似をして侵略戦争を始めたが、仕方が拙手であったために敗北した。ただそれだけです。


ここも同感である。西洋の科学文明については
湯川秀樹博士がいわれるところによると、西洋の科学文明が人間を幸福にするかのように見えたのは、十九世紀の終わり頃、すなわち、いまから七十年ほど前で終わったので、それ以後、(中略)だんだん恐ろしい武器を造ったりなどして、世界を薄気味悪くしている一方である。


それではどうすればよいかと云へば
全人類がその途(みち)を進まねばならぬようになっている。そういうことが、仏教でいう業報(ごうほう)ということである。/それについて、親鸞聖人は歎異抄の中で申される。

業報に引きずられているということは、何とも仕方のないことで、例えばある人がわたしに「一人の人間を殺せよ」と命令したとしても恐らく自分は一人の人間をすら子ロスことはできないであろう。しかし業報というものに引きずられていると、一人すら、殺すことのできぬような人間が千人をも殺し出すよえなことがあるかも知れない。(中略)だからして業報に引きずられている人間が、「これが善い、それが悪い」といって論じ合うてみても何にもならない。(以下略)

といわれる。今日、申して参った事柄で申せば、「国民を戦争にかり立てた軍部は間違っていた。あれは正しくない。誰彼は戦争はよくないと反戦論を称えた。その方は正しい」と是非を論じてみても所詮のないことである、ということになるのであります。/パール博士や鈴木先生が大局から眺めて論じられるごとく、何としても、あの戦争は日本人皆の業であったのである。(中略)日本という国を立てていこうとすれば、それより仕方がなかったのであった。助かりっこない業の中に皆が悩んだのであった、ということになる。/それでは、「そういう場合どうしたらよいですか」と親鸞聖人に問えば親鸞聖人のお答えはこうでありましょう。「(前略)助かりっこない自分は、法然聖人が教えて下さったように、(中略)南無阿弥陀仏の念仏を申すよりほかに道がないのです」と申される。


ここも同意見である。念仏でも題目でも座禅でもよい。皆が信仰すれば戦争は起きなかつた。確か両国の復興記念館の前庭だつたと思ふ。中国の仏教会から贈呈された梵鐘がある。先の戦争は日華事変が発火点なのだから、日華の住民が仏像を拝めば戦争は起きなかつた。(完)


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