七百十七、小作農の自作農転換はGHQの功績ではない

平成二十七乙未
六月二十一日(月) 戦中に進んだ自作農転換
日経ビジネスオンラインに
米中との総力戦が生んだ“ゆがんだ平等”〜成人男子の半数が犠牲に/労働者と農民は“市民”になれず“大衆”にとどまった

と題する記事が載つた。東京大学名誉教授坂野潤治氏と学習院大学学長井上寿一氏へのインタビューである。
1937年に始まった日中戦争と1941年に始まった太平洋戦争を通じて、日本国内で格差が是正され平等化が進んだという見方があります。これについて、どうお考えになりますか。
井上:確かに、そのように見える現象は起こりました。社会の平準化が進み、労働者も農民も、そして女性も地位が向上しました。軍需生産が拡大したため完全雇用が実現し、労働者の賃金は向上。男子の出征に伴う労働力不足を補うべく、女性の社会進出も進みました。
坂野:1945年の敗戦まで続いた総力戦体制の下で、多くの小作農が自作農になってもいます。しかし、真の意味で格差が是正されたわけではありません。
数字を挙げて説明しましょう。復員について調べたところ、陸海軍合わせて約800万人いました。戦死者は200万人強。合わせて1000万人が終戦時点で陸海軍にいたか、戦死したかなんですね。
一方、生産者人口、働ける男子の数は約2000万人でした。2000万人のうち1000万人が戦争に動員されたわけです。こうした環境ならば、国内にいる男子の間の格差は縮小せざるを得ません。

坂野氏の主張する平和主義であれば大賛成である。村山富市以降の平和運動や護憲運動が変質したのは米英仏蘭は正しくて日本は間違つてゐたといふ西洋崇拝になつてしまつたことだ。本家の帝国主義を賞賛し分家の帝国主義を批判してどうする。朝日新聞ではあるまいしかういふ悪質な偽善言辞を繰り返すから国民は反発し、その反動として反中反韓が出てくる。
それより今回注目するのは「多くの小作農が自作農になってもいます」の部分である。多くの国民は自作農になつたのはGHQのおかげだと思ひ込まされてきた。事実は違つてゐた。

六月二十七日(土) 国民のことを考へない政治屋ども
坂野:第1次世界大戦の後、後藤新平の肝いりで内務省の官僚がドイツへ行き、労働協約や労働組合法を勉強しています。だから、当時、内務省社会局の官僚が労働組合の設立にいちばん熱心だったのです。(中略)その後、民政党も労働組合法制定の動きに乗りました。いくつかの留保をつける必要がありますが、当時の二大政党は「平和と民主主義」を重視する民政党と、「侵略と天皇中心主義」を進める政友会です。民政党・浜口雄幸内閣の下で1931年に、内務大臣を務めた安達謙蔵をトップに、永井柳太郎や中野正剛らが労働組合法案を提出しました。/
ところが民政党は、この法案を衆議院では可決させたものの、貴族院で頑張る気はなかったのです。第1次世界大戦後、井上準之助蔵相をはじめとする民政党の主流派は健全財政と金解禁を目指しました。こうした政策を進めれば、企業は合理化が必要になるので失業が発生します。そのような状況で労働組合法の制定などやっていられないというのが主流派の考えでした。だから、内務省の社会局と労働運動に取り組む面々、安達など民政党の社会改良派が一生懸命やっても実現できなかったわけです。

この話は決して昭和初期の話ではない。昭和六十年代に社会党は電機労連(現、電機連合)の圧力で労働者派遣法の成立に協力したと当時の新聞に報道された。社会党が分裂した後に議員数で言へば社会党の後継ともいふべきシロアリ民主党は、先日の労働者派遣法改正で審議拒否や厚生労働委員会委員長の入室妨害を行つたふりをした。しかしそれで法案を阻止したか。阻止しなかつた。つまり国民向けの演技である。まつたく旧社会党の大労組出身者とシロアリ民主党といふのは、戦前の民政党と同じで腹黒い連中である。
坂野:1925年に普通選挙法が成立して、男子の政治的平等が実現しました。これを社会的な格差の是正に結びつけようとする勢力が社会民衆党でした。
しかし、衆議院で多くの議席を獲得することはできなかったのです。1928年に行われた最初の男子普通選挙で、合法社会主義政党が得た票は46万にとどまりました。当時の労働者の数は約310万人、小作農は約150万人いました。だから、本来なら彼らに投票してもおかしくない層が460万人はいたわけです。しかし、得票はこの10%にとどまった。(以下略)

井上:この460万人の労働者、農民は「市民」ではなく「大衆」だったのですね。市民であれば、政治的な見識を持ち、自分たちの地位を向上させるためには社会主義政党を伸ばす必要があるとは考えたはずです。しかし大衆であった彼らは、政友会か民政党か、二大政党の大きい方に票を入れれば自分たちにも利益が回ってくると考えました。

これも今とよく似てゐる。ニセ労組シロアリ連合(自称、連合)が組織票を餌にシロアリ民主党に圧力を掛けたり、自民党と裏取引を行ふからだ。
井上:1930年に浜口内閣の下で行った総選挙で、民政党は選挙公約に緊縮財政と均衡予算を掲げ、失業者が増えることを否定しませんでした。それでも273議席(総議席数は466)を獲得しています。
なぜ選挙で勝ったのか。民政党を支持した有権者は「今、ここで緊縮財政に耐えて健全財政にすれば、日本の国力が外国に正しく評価されて、通商貿易が拡大していく」と信じていたのではないでしょうか。井上財政に国民は賭けたのだと思えます。
日本が緊縮財政と金解禁を進めるのと前後して世界恐慌が起きました。(以下略)

坂野:(前略)1930年の選挙では、今、井上さんが言われたように、夢みたいな話に有権者は乗っかったのでしょう。だから、民政党が圧勝した。でも、金解禁を実施し、続いて大恐慌が起こると、企業は次から次へと従業員のクビを切りました。農村出身の労働者はどんどんお里帰りさせられた。民政党社会改良派の安達謙蔵ですら、解雇され実家の農村に帰る人たちを「失業者とは認めない」と突き放したのです。

民政党社会改良派の安達謙蔵といふのは悪質な男である。シロアリ民主党にそつくりである。しかし当時は、恐慌や、西洋列強との軍拡競争で内政は大変だつた。今はユニオンショップと組合費給料天引きの禁止だけでよい。或いは財界、労働界による選挙干渉の禁止もできれば同時に実施してほしい。なぜこんな簡単なことができないのか。(完)


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