七百十二、1.電気冷蔵庫の故障、2.ゼネラル(現、富士通ゼネラル)の思ひで

平成二十七乙未
六月一日(月) 電気冷蔵庫が故障
先日の話である。冷蔵庫の冷凍室の温度が冷蔵室と変らなくなつた。下の子が気付き冷凍室のスヰッチを中から強にした。その翌朝冷凍室を開けると室温と変らない。そればかりか冷蔵室の内側も室温に近い。モータは稼動してゐる。コンセントを抜いて3分以上経過してから再び挿した。30分経過して様子を見たが、やはり冷えてゐない。といふことで買ひ換えることにした。翌日の午前中は出張で休めない。といふことで午後半休を取り冷蔵庫を買ひに行つた。

六月二日(火) 富士通ゼネラルの欠陥設計
この冷蔵庫は富士通ゼネラル製で、買つたときから霜取りで融けた水を貯蔵する容器の調子が悪かつた。冷媒の放熱管の一部が容器の固定を兼ねるのだがうまく固定できない。今思へば一年間の保障期間中に修理させるべきだつた。容器を無理に押し込んだり、容器の外からガムテープで固定した。最後にガムテープで固定したのは八年くらい前だらうか。だから先日冷蔵庫撤去のためガムテープを外すとカビのような色をした沈殿物が2cmの暑さで固まつてゐた。
容器は冷蔵庫の背後にある。だから容器を洗ふには冷蔵庫を移動させないとできない。こんなものは欠陥設計である。まだある。庫内の通風口が冷蔵室の底面に二つある。一つは網状、もう一つは格子状である。前者が吸ひ込み口、後者が吐き出し口なのだらう。しかし冷蔵庫は醤油をこぼしたり、パンくずが入つたりする。通風口は底面にあつてはいけない。とんでもない欠陥設計である。

六月三日(水) 食べ物を無駄にしない
冷凍室には魚とポテトフライと弁当用の小さなグラタンが二種類五個。冷蔵室には納豆三個と卵六個とヨーグルト。さしあたつて腐りさうなのは以上だ。朝食は味付けご飯だつたので、納豆二個は昼食に回すことにした。卵三個をゆで卵にした。昼まではもたず早く火にかけたほうがよいからだ。がんばつて途中で更にもう一つお湯に入れた。家を出るとき子どもに納豆一個と卵をできるだけ食べるように言つて家を出た。
この日は午前中出張でお昼は納豆二個、ゆで卵三個、きゅうりを食べた。食事のとき野菜、たんぱく質、でんぷんの三つを常に食べるようにしてゐる。この日は緊急時ででんぷんがない。それは帰宅後に食べることにした。ご飯なしで納豆にたれを掛けると濃すぎる。二個目はたれなしで食べたが不味かつた。ゆで卵は三個が限度で一個は家で食べることにした。
都内で冷蔵庫を買つた。本日午後六時から配達である。家に帰り元冷凍のポテトフライ半袋と小さなグラタン五個を食べた。納豆一個と卵二個は無くなつてゐた。魚二尾はまだ腐臭がしないことを確かめて焼いた。夕食用である。夕方妻が帰つてきて魚は捨てたほうがよいといふので捨てた。ゆで卵も捨てた。冷凍庫の融けたバニラアイス一個も捨てた。といふことで無駄になる食べ物を最小限に抑へることができた。
冷蔵庫は午後六時から十時までに配達といふことだつたが実際に来たのは午後十時十分だつた。多少遅れるのは作業の難易があるから構はない。

六月五日(金) 氷の冷蔵庫
私が小学低学年の時に電気冷蔵庫はまだなかつた。夏は氷屋がトラックや自動三輪で街中に氷を売りに来た。氷を買ふと氷屋がのこぎりで長方体(つまり長方形の立体)に切つた。各家庭では買つた氷を氷式冷蔵庫の上の扉に入れた。すると下の扉の中に入れた魚や肉が冷えた。氷を砕く工具が各家庭にあり、上の扉の氷を砕いてカルピスや麦湯(私が子供のときは既に麦茶と呼ばれたが、お茶の葉は使はないから、正しくは麦湯と呼ぶべきだ)に入れた。
氷屋は冬は炭や練炭を売つて生計を立てた。今思えば、地球温暖化とは無関係だつた。練炭は石炭を使ふから少しは二酸化炭素を放出したが、今と比べれば微々たるものだつた。

六月六日(土) ゼネラルの思ひで
ゼネラルの業績が悪化し、富士通が支援することになつた。富士通のパソコン開発部門にゼネラルの技術者が来た。その人の書く8086のアセンブリを見て不思議に思つた。
OR AX,AX
JE LABEL

暫くして、これは次の命令を短くして、しかも実行速度を上げるためだと気付いた。ORの代はりにANDを用ひても同じ効果がある。
CMP AX,0
JE LABEL

次の命令もあつた。
XOR AX,AX
これは次の意味である。
MOV AX,0

富士通のパソコンは当時、半導体部門(この当時は電子デバイス事業本部)の製品だつた。半導体だからコンピュータのことに詳しくないこともあつた。例へばエディタにWord Starを使つたがワープロソフトは後に改ページマークだとかが付くとといふ意見があつた。この当時、Word Masterといふエディタがあつたのだが、皆がWord Starを使つた。
この後、富士通川崎工場内にゼネラル支援本部が誕生し、専務取締役電子デバイス事業本部長で、私が所属してゐた富士通マイコンシステムズの社長も兼務したY氏が本部長を兼務した。その後、パソコンは電算部門に移管になり私も間もなく富士通グループを退職するから、ゼネラルが富士通ゼネラルになり、Y氏が社長に就任することはよく判らない。(完)


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