六百九十六、川崎メーデーに初参加(実態はシロアリメーデーだつた)

平成二十七乙未
四月二十九日(水) 川崎の連合メーデー
総評、同盟、中立労連、新産別の時代には総評、中立労連、新産別がいつしよにメーデーを行ひ、同盟だけ別開催のことが多かつた。この時代は五月一日が土曜か日曜のときは東京の中央メーデーを見に行つた。当時はデモ行進が何コースもあつて、確か上野コースといふのもあつたように思ふ。その後も土日のときや休みを取れるときはメーデーを見に行くようにしてゐた。十年ほど前に個人加盟労組に加盟したとき、てつきり全労協だと思つた。それは入口に二つ木製の看板があり、うちの組合と全労協系支部のものと並んでゐたからだつた。しかしその数年前連合に加盟したと知り、万一にもそのようなことはないのに驚いた。しかし連合の中央メーデーには何回か参加した。同時に個人で全労連や全労協のメーデーにも参加した。
組合が5年前に分裂し我々は無加盟だつたが全労協のメーデーに参加するようになつた。そして二月に組合を脱退したため今年は全労連のメーデーに参加しようと計画した。
それとは別に地元のメーデーにも参加したいものだ。といふことで、本日は川崎のメーデーを見に行つた。

五月一日(金) 製造業消失メーデー
川崎は製造業の街である。今でも海側に行くとさう感じる。大企業が中心とはいへ現業職が多いだらう。しかし期待は裏切られた。今は製造工場のほとんどが機械工程だから現業従業員はオペレータである。その現業従業員さへゐないのに労働組合は成り立つのか。ここに日本のシロアリ構造がある。
始まる前に川崎市消防音楽隊が「星条旗よ永遠なり」などアメリカの行進曲を何曲か演奏した。「星条旗よ永遠なり」は日本で云へば「愛国行進曲」あるいは「君が代行進曲」である。左から批判すればそんなものを演奏するなとなるし、右から批判すれば後者を演奏しろとなる。つまり左右どちらからも批判される選曲をなぜするのか。これは川崎市消防音楽隊の責任ではなく日本の吹奏楽全体の欠陥である。少なくともメーデーは労働組合の行事なのだから気付くべきなのだが。

五月二日(土) 赤い旗が三枚しかない
会場を見渡すと赤い旗は郵政ユニオンの一枚だけである。そのうちデモ隊といふより何の使命もなくだらだら歩く連中が会場に入つてきた。会場のアナウンスでは今年もデモを行ふことにしました、といかにも本当はやりたくないのに形だけやつたような言ひ方である。デモに目的がないのはメーデーに目的がないからだ。メーデーに目的がないのは労働組合が不要だからだ。必要なところに労働組合が無く必要のないところに労働組合があると、シロアリ民主党の嘘つき消費税騒ぎのようなことになる。
会場に入つた自称デモ隊のなかに赤い旗が二枚あつた。つまり会場全体の約百枚のうち赤いのは三枚だつた。少なくとも昭和六十(1985)年の総評が歌遺産を決めた時点では、総評、同盟、中立労連、新産別のほとんどの組合は赤だつた。赤は別に血の色ではない。労働組合は昔から赤を使ふ。神社の建物や鳥居に赤いものがあるのと同じである。

五月二日(土)その二 デモと演奏は同時にすべきだ
デモが来るまでの間、音楽隊が演奏してゐた。デモ隊の最後のほうはばらばらに歩くだけだからかなり時間を掛けて全員が会場に入り、それからまたかなり時間を掛けて所定の位置に座つた後に、音楽隊とフラグ隊が出演した。そのようなことはデモ隊が到着する前にやればよいではないか。デモに参加したい人はデモに参加し、音楽隊とフラグ隊を見たい人は会場に来る。デモ隊が来る前に演奏を行ひ、かなり時間を掛けてデモ隊がだらだら到着した後にまた演奏をする。この人たちはやる気があるのか。
そもそも演奏をするなら「聞け万国の労働者」「晴れた五月」などメーデーに関係するものをやるべきだ。
この日は十時半で退出した。それは自転車で来たが十一時頃から雨になる予報だつた。実際は雨にはならなかつた。しかしこのような退屈で欺瞞に満ちたメーデーは見るに耐へない。時間の無駄である。(完)


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