六百八十九、全面賛成ではないが讀んだ本の紹介(3.「何処へ行くのか、この国は」)
四月十六日(木)
何処へ行くのか、この国は(その一)
「何処へ行くのか、この国は」は良書である。五年前に出版された。まづ大東亜戦争の大とはgreaterで「広義の東アジア」だといふ。私はこの説をにわかには信用できないが、もしさうなら今後、大東亜の語は大手を振つて使用してよいことになる。しかし次の主張には賛成である。終戦後
ブラジル等に定住していた例外の邦人を除き、欧州、北米、アジアに在住したほぼすべての在外日本人は着の身着のまま本国へ送還された。(中略)明治以来営々と築いてきた無体財産、在外資産(主として満州を含む中国、朝鮮半島、台湾への投資の結果として所在、総額は当時の価格で一〇〇〇億ドル以上)は在外公館等ごく僅かの例外を除き、すべて収容、没収された。(中略)サンフランシスコ平和条約でこれらすべての損失を受容することによって、日本は戦争をめぐって行った行為を「あがなった」のである。換言すれば、国際法違反であることはいささかの疑いもないと思われる広島、長崎への原爆攻撃の犠牲者をふくむ総計三二〇万名の人名の被害に黙々と耐え、その後の東京裁判の諸判決と、一〇〇〇名近いB、C級戦争犯罪人の書系と約四〇〇〇名の服役をも受け入れたこと、更にはその後実施した賠償行為の全体が、戦争に敗れた日本の「贖罪」であり、これにて、戦争をめぐる責任問題にはピリオドが打たれたと考えるべきなのである。
日本の平和運動は村山富市以降変質した。日本の西洋化を図りたいくせに露骨に云ふ訳には行かないから、アジア友好のふりをして西洋の感覚で日本に謝罪を繰り返させる。実に悪質な連中である。ご本人たちは自己満足し、それに反発する多くの国民は反中反韓になる。戦争責任は終止したのだから未来志向で交流すべきだ。
古代、中世はいざ知らず近代においては、六〇年以上前に行った戦争に関して、ある国が改めて公式に他国に陳謝した例など一つもない。
これも同感である。
四月十七日(金)
何処へ行くのか、この国は(その二)
昭和二十年九月二日の戦艦ミズーリでの降伏文書調印式について
マッカーサーは、この儀式の進行振りについて全権を与えられていた。しかして、後述するマッカーサーの性格は、降伏式の実施振りにも遺憾なく発揮された。当日同艦には、四一年一二月七日ホワイトハウスで用いられていた星条旗と、一八五四年ペリー提督の日本開港を求めた際の旗艦ポウハッタン号の星条旗(星は三一個で、アナポリスの海軍博物館に展示されていたものをわざほざ取り寄せた)が翻っていた。連合国の代表が出席していたことは勿論であるが、四二年のコレヒドール戦の敗者ウェンライト中将と、シンガポールの敗者たる英軍のパーシバル中将も参加した(因みにマッカーサーは、この直後フィリピンのバギオで行われた山下奉文大将の降伏調印式にもこの両社を立ち合わせ、侮辱を加えている)。(中略)これに対比されるのは、アイゼンハワー大将が、敗れたドイツ軍の代表の署名と連合軍側の署名を、十分もかからないで終了し、敗戦を多数の野次馬の目に曝さない武人としての配意を示したことである。
マッカーサーといふ男の異常な性格だけが目立つ。占領軍が最初に要求したことは
日本政府の一切の権限をマッカーサーの下におくこと(直接統治)、英語を公用語とすること、米軍軍票を日銀券同様の法定通貨とすることの三点の要求であった。日本政府はマッカーサーを説得し、日本政府を存続せしめて間接統治とし、英語の強制を断念せしめ、日本政府と総司令部との書連絡、諸司令のみは英語とすることとし、また通過は日銀券のみとすることとなった。
今から十数年前に拝米新自由主義社会破壊反日(自称朝日)新聞の船橋洋一が英語公用語を唱へ、船橋は後に主筆といふ編集に関しては社長と道統の権限を有する地位に就いた。如何に反日新聞が悪質かよく判る。またTPPは菅直人が公約にないにも関はらず突然言ひ出したものだが、これは軍票を日銀券同様に扱ふのと同じ程度の影響を国内に及ぼす。リベラルと称する連中が如何に悪質化がよく判る。
四月十八日(土)
何処へ行くのか、この国は(その三)
あと注目すべきこととして
米軍は一旦占領を開始するや(中略)ポツダム宣言の日本国軍隊の無条件降伏条項を平然と無視し、全面的に日本という国全体を無条件に降伏したものとして取扱った。これは実はポツダム宣言の米国による最大の違反だったのである。かつ、勝利者たる米国は(中略)不幸にもその国柄は、欧州有力国並みの伝統はなく、独特の状況で生まれた極度に自己中心主義で、かつそのことを自覚していない国であった。(中略)クラウゼヴィッツは言った。「敵の軍隊を壊滅しても、国が残れば軍隊は再建できる。敵の国を壊滅しても、国民が残れば国は再建できる。しかし国民の意志、魂を壊滅させれば、完全に敵国を壊滅できる」と。米国は六年余の占領によって正に日本国民の意志と魂を壊滅しようとし、相当の成果を挙げたと評する他ない。
ここまで完全に同感である。次にマッカーサーの性格について
一八八〇年一月生れ、おそらく中年までは、軍人としては米国随一の頭脳を誇り(中略)一九三〇年には陸軍参謀総長になった(五〇歳、米国史上再年少)が、一九三五年五五歳で米軍を退役してフィリピン軍の最高司令官に就任した頃から進行したとみられる誇大妄想癖の持ち主でもあった。
一九四一年に現役に復帰し戦争が始まるや極東軍司令官に任命された。
彼は、日本占領後の比較的に早い時期に帰国して占領の状況を報告せよとの二度にわたるトルーマンの命令に対し(中略)二度とも断っている。かかる自己主張の固まりであるマッカーサーの抗命を、トルーマンが放置したのは、まず個人的にマッカーサーを嫌っていた上、(中略)自説に固執し、ローズベルトすら辟易して妥協したマッカーサーとこれ以上争いたくも会いたくもないと考えたことによる。(中略)そもそもマッカーサーは、自分より偉い人間はいないと確信していた一種の異常人だった。早くも四五年九月に、本間雅晴中将に戦争犯罪人として出頭を命じ、実質僅か一カ月余の裁判で二月一一日(旧紀元節)死刑の判決を下し、四月三日という旧神武天皇祭でかつ日本軍のバターン総攻撃の日に銃殺したことは、私怨を晴らしたこと以外の何ものでもない。
四月十八日(土)その二
何処へ行くのか、この国は(その四)
四八年三月、国務省政策企画部長のジョージ・ケナンが訪日しマッカーサーと三回会談した。ケナンは、
占領軍が日本国の予算の三分の一以上を消費し、商工はもちろん下士官に至るまで、接収した大きい邸宅に住み、日本人のバトラーや女中を雇い、本国では考えられない貴族の如き贅沢にひたっていることを目で確認して、憤慨すら感じた。
このような事実はほとんどの日本人は知らされてゐない。逆にマッカーサーの功績として挙げられるものに婦人参政権、労働団結権、財閥解体、農地改革などがあるが
これらは確かに大きい改革であったが、戦前から日本独自で既に検討されていたものもあり、GHQの指令なしでもいずれは、内容は米国導入のものと若干異なるにせよ、早晩日本自ら改革を行ったであろう分野であった。
もしさうなら日本が離米できて喜ばしいが、半信半疑である。学者は検証すべきだ。
なお占領軍は日本語のローマ字化を当初図ったが、到底見込みがないので断念した。しかし文語、漢文の制限、漢字と送り仮名の制限を(中略)推進した。
私が送り仮名を中心に正仮名遣ひを用ゐ、メニューページでは漢字の正字体を用ゐるのはマッカーサーに反対だからである。
四月十八日(土)その三
何処へ行くのか、この国は(その五)
村田氏は学生時代に
米国の政策及び米国人の独善主義に強い疑問を感じたことが三点ある。第一はポツダム宣言を改めて読んだ時で、その第一〇項は「吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ、又は国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ云々」とあった。
日本列島に居住する人々(国民だけではなくその他の非欧米人、私が国民といふ場合は永住権を持つ朝鮮半島台湾等の出身者や日本国籍を持つ欧米人も含む)は「良かった。奴隷や滅亡させる訳ではなかった」と喜んではいけない。「非ズ」ではない「非ザルモ」である。つまり脅迫或いは自己正当化の偽善通告である。私だつてイギリスの植民地一三州と先住民保護区、メキシコから強奪したカリフォルニアテキサス、併合したハワイ王国などに居住する地球の癌細胞どもがおとなしく生活を続けるのであればその地域の国境について何も主張セザリシト云ヘドモ英語公用語ダノTPPダノ解雇ノ金銭解決ダノ地球温暖化対策ニ極メテ消極的ダツタリ、或イハ自由ダノ民主主義ダノト日本の戦国時代ト変ラヌ原則ヲ振リマイテアジアアフリカヲ破壊シヨウトスル悪辣ナ企テに対シテハアメリカ合州国解体論デ対抗スルモノデアル。村田氏は
私は連合軍は、もしドイツに対して対して降伏を勧告するなら、かかる傲慢な表現は絶対に入れなかったはずであり、これすなわち「日本人の実質的奴隷化」を一度は考えたことがあった証拠だと考えた。
村田氏の主張は正しい。第二次世界大戦の後もインドやベトナムでは宗主国による悲惨な弾圧があつた。
第二は、新憲法の前文である。前文は、それが英文の直訳であることが疑いを容れない悪文であるうえ、すべての文章が内容的にも偽善以外の何者でもなかった。
ここまで同感である。そして第三は
占領軍が(中略)約七〇〇〇点の書籍を没収し、あるいはそれらの販売を禁止し(中略)いやしくも民主主義を説く以上、言論・出版の自由はその根幹であり、米軍の行わんとしていることは、秦の始皇帝の焚書やナチスのゲッペルス宣伝相による反ナチ思想書の集団償却と同様の下劣な行為だというのが私の印象だった。
ここも同感である。
四月十九日(日)
何処へ行くのか、この国は(その六)
占領地において憲法は勿論のこと、その他の法律を押しつけることは、「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」第四三条「国ノ権力ガ事実上占領者ニ移リタル上ハ、占領者ハ絶対的ノ支障ナキ限リ占領地ノ現行法規ヲ尊重シテ、成ルベクハ其ノ秩序及ビ生活ヲ回復確保スルタメ施シ得ルベキ一切ノ手段ヲ尽スベシ」の明らかな違反である。
そして
最高裁判所の国民審査(第七九条二項)といった米国人が興味本位で容れた馬鹿げた規定もあり(以下略)
とある。憲法は一旦全部を廃棄し、国会議員は国民が選ぶことと、首相は国会が選び天皇が任命することだけを憲法に入れたらどうか。前文は要らない。憲法を改正しても法律は有効だから国内に問題はない。(完)
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