六百八十四、駒沢オリンピック公園、馬事公苑、九品仏、駒澤大学
平成二十七乙未
四月五日(日)
駒沢オリンピック公園
お花見を兼ねて世田谷区内の三箇所を訪問した。まづは駒沢オリンピック公園でここは三年程前に紅葉を見に来たことがある。紅葉といふよりは黄葉だつたと記憶してゐる。前回に続き今回もオリンピックメモリアルギャラリーを見学した。東京オリンピックを境に全国から特徴がなくなつたといふ話を聞いたことがある。正しくはその数年前の所得倍増計画で世の中が変つたといふべきだらう。当時私は小学校低学年だが世の中がだんだん悪くなつたと感じたことを覚えてゐる。
展示ではアベベ、円谷の波乱万丈の人生が印象に残つた。とかく良いことばかりを展示して悪いことは隠すものだが、悪いことも悲劇の美学として展示するのはよいことである。最近は悲劇を社会破壊の口実に使ふ偏向新聞社が目立つが、悲劇は隠してはいけないし社会破壊に使つてもいけない。オリンピックメモリアルギャラリーは良識ある展示と言へる。
前回見たから今回は寄らなかつたが管制塔は電波の発信、交通管制、会場内の水道と電気の管理を行なつた。五重塔を連想させるその構造は会場と調和が取れてゐる。
四月六日(月)
馬事公苑
馬事公苑は「東京 お花見」で検索して見つけた。第14回桜まつりである。中央通路には民間による販売車がずらりと並び、物品や昼食を売つてゐた。過去の有名馬が三頭展示された。桜の木の近くではお花見を楽しむグループが幾つもあつた。
最大の呼び物はファンタジックホースショーといふ馬と人によるショーである。私が感心したのは調教師の方がスーツを着たまま職人に徹したことである。とかくこの場合、人間のほうもニコニコしたりいろいろしゃべったりするものだが、無言で顔の表情も変へず調教師に徹した。この姿勢は立派である。職人の美学を感じた。この方は始まる30分ほど前にオープンスクエアといふ場所で馬に綱をつけてぐるぐる回転させて走らせてゐた。何をしてゐるのだらうと思つたが、なるほどショーに備へて準備運動だつた。
四月八日(水)
九品仏
九品仏は二十年ほど前に一回来たことがある。しかし完全に忘却し九体の小さな仏像が並ぶと思つてゐた。実際に参詣しその広い境内、三体づつ三つの堂に分かれた大きな仏像に驚いた。本堂は入場料ではなく喜捨をお願ひしますといふことで靴を脱ぎ百円を入れて上がつた。これは宗教心のあるよい方法である。経済上から見れば切符の職員を置かず本堂はそれほど見るものがある訳ではない。しかし本堂でくつろいだり座つて外の庭園を眺める人たちの穏やかな顔つきを見て、ここは仏教心を取り戻す寺院として立派なものである。
寺院や神社を訪れるとそこに宗教心を感じるときと感じないときがある。靖国神社を参詣したとき宗教心を強く感じた。本来感じなくてもその理由を見つけるのは容易である。それなのに感じるのはなぜかといへば周りの参拝者たちの真剣な態度である。今回九品仏で参拝者たちに強く宗教心を感じた。
四月九日(木)
駒澤大学
駒澤大学の禅文化歴史博物館に行つたが、土曜で休館日だつた。開館の日に再度訪問したい。代りに学生食堂で昼食を食べた。野菜カレーが270円で安いので食べてみた。ここの学生食堂は値段も手頃で学生にとりよい環境である。しかしこれだけだとたんぱく質が不足するので外で100円マックを一つ食べた。
かつて曹洞宗の寺院などを訪問すると総持寺日曜参禅会会員の何々ですと名乗つたが、日曜参禅会がなくなつたので今は名乗らなくなつた。
四月十一日(土)
日本馬と地方競馬
馬事公苑ではポニーの説明板があつた。特定の種ではなく肩までの高さが147cm以下で日本在来種はポニーに分類される。それとは別に小学生以下のポニー体験乗馬があつた。実際はポニーと普通の馬がゐて、どちらも係員が付いて一周回る。ポニーは地面から直接、普通場は2段ほど台を上がる。それを見て思つた。日本には日本馬が似合ふ。日本人と西洋人は身長が20cmほど違ふ。大型馬とポニーも20cmほど違ふ。ちょうど合ふ。
さて馬事公苑は中央競馬会の施設である。日本には中央競馬会のほかに地方競馬がある。しかし平成年間に入り地方競馬は廃止が相次いだ。地方競馬は日本在来種で行つたらどうか。待遇も馬の成績も中央に比べて劣るなかで地方競馬が生き残るには日本在来種の育成を兼ねて日本馬による競争にすべきだ。(完)
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