六百八十二、日経BP系雑誌(3.東芝半導体)、夕刊フジzakzak(K・ギルバート氏の記事を紹介)

平成二十七乙未
四月七日(火) 日経テクノロジーの記事
次は日経テクノロジーの
1990年代半ばまでの日本の半導体産業の全盛期は、DRAM事業によるものだった。(中略)その後、多くのメーカーによる半導体事業の分社化、撤退が相次いだ。社名も変えず、総合電機メーカーの枠組みからも外れず、現在もメモリー事業を続けているのは東芝だけになった。

で始まる記事を紹介しよう。東芝だけが勝ち残つた理由について
服部コンサルティング インターナショナルの服部 毅氏は、「幸運なことに、社内でNAND型フラッシュが発明された。このため、DRAM事業のスタイルを継承できるNAND型フラッシュ事業への転換が容易だった。さらに幸運なことに、「iPod」をはじめとするNAND型フラッシュが必須の新しい機器市場が広がり、売り上げを伸ばすことができた」
野村證券の和田木哲哉氏は、(中略)日本の電子産業で凋落した企業について振り返る時、必ずと言っていいほど「他社を圧倒する技術があるので大丈夫」「簡単にはまねできないノウハウがあり、後追いメーカーが簡単に追いつけない」といった過去の経営者の言葉が引用され、その中に見える慢心が指摘される。NAND型フラッシュについて、東芝が同じことを言っていたら、今の状況があるだろうか。少なくとも、過去の東芝に関してはそうした慢心が見えない。この辺りに、同社の成功の本質があるのではないか。
慶應義塾大学の田口眞男氏は、「多くの総合電機メーカーとは異なり、東芝にとっての半導体事業は、紛れもないコア事業だった」とした。総合電機メーカーの中での半導体事業は、多くの場合、自社で開発・製造する機器やシステムを差異化するための部品内製業として誕生した。(中略)半導体事業を維持するための設備投資が“主”の事業をはるかに上回るほど急騰してくると、“従”の事業がとんでもない放蕩事業に見えてくる。(中略)ところが、東芝での半導体事業は、コア事業だった。(中略)東芝社内での半導体事業の地位が競合他社に比べてなぜ高いのか、日本の半導体産業の黄昏の時代だった1990年代終わりに、東芝の元社員に質問したことがある。曰く、「1メガDRAMで東芝は世界のシェアが1位になった。世界一になる力を持つ事業は得難い。慎重かつ躊躇(ちゅうちょ)なく育てなければならない」。
アーサー・D・リトルの三ツ谷翔太氏は、「DRAM事業やNAND型フラッシュ事業での勝敗は、経営トップの大胆な意思決定によって決まる。大型投資や大型M&Aなどをトップダウンに実行できる同社の経営体質、DNAにフィットしていた」と指摘している。(中略)「市場・業界の動きを追う単なる俊敏性ではなく、自社の勝ちパターンやそれを支える経営基盤も熟慮しながら、コトの本質を捉えた判断を下す慧敏性こそが、同社の強みである」とした。

四月十日(金) 製造の軽視
東芝は、ほんの数年を除けば、海外に半導体工場を持ったことがなく、日本での製造にこだわった会社である。(中略)和田木氏は、「(前略)同社は、決して利己主義に走らず、製造装置メーカーの立場にも配慮した共同開発体制を築き、強固な信頼関係を醸成した。この点が、外部の協力者を増やし、技術力の底上げに一役買った」とした。

この指摘は貴重である。製造の軽視と協力会社の軽視こそ日本の企業の陥つた最大の過ちであつた。(完)


四月十一日(土) K・ギルバート氏
次は夕刊フジのzakzakといふサイトに載つたK・ギルバート氏の記事である。
私はブログとフェイスブックに載せる記事を、原則として日本語と英語の2カ国語で書いている。記事の題材や資料が英語の場合、先に英語で書いてから日本語に翻訳する。この場合はあまり苦労を感じない。
しかし、参照する資料などが日本語だった場合、先に日本語で記事を書いてから英語に翻訳する場合が多い。このパターンは少々やっかいだ。
日本語は漢字という1種類の表意文字と、ひらがなとカタカナという2種類の表音文字を組み合わせて表記できる。しかも、「助詞」をうまく使えば、日本語は文の中で語順を入れ替えることすら自由自在だ。
他方、英語はアルファベットという26文字だけで全てを表現しなければならない。便利な「助詞」は存在せず、倒置法などは限られる。(中略)従って、日本語で文章を書くときの自由度の高さは、英語とは比較にならない。うまい皮肉を日本語で思い付いても、英語で表現しようとすると本当に大変なのだ。


ところがギルバート氏は初代文部大臣の森有礼について調べたところ驚くべき事実を知つてしまつたといふ。
森は10代で英国に留学しており、英語が非常に堪能だった。この日英バイリンガルの大先輩は「日本語を廃止して、英語を日本の国語にすべきだ」と考えていた。漢字の複雑さを特に問題視していたようだ。(中略)現代から見れば、満41歳で暗殺された森の考えは若気の至りだった。

ここまで完全に同感である。最後にギルバート氏は次のように書く。この部分だけ私はギルバート氏と少しだが意見が異なる。
ところが、本当に漢字を廃止して、独自の表音文字だけにした国が、日本の近くに存在する。結果、国民の大多数が、わずか70年前の書籍や新聞を全く読めず、真実の歴史に向き合えない。悲劇と呼ぶべきか、喜劇なのか。それが問題だ。

本当に漢字を廃止して独自の表音文字だけにした国は70年前の書籍や新聞を全く読めないだけではない。現代のことを論じるにも不便である。「Atono senkyode kokuminno sin o tou to syutyousite senkyode taihaisita Siroariminsyutouwa dou sekinin o torunoka」を読めば判る。しかし日本も70年前或いは100年前の書籍や新聞が読めない。マッカーサによる文化断絶政策である。まづ正字体と正かな遣ひを復活し、次に文語体と漢文を復活させる必要がある。各地にあつては方言を復活し、最終段階で文語体を共通語にすべきだ。(完)


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