六百七十一、ソフトウェア業界盛衰記
平成二十七乙未
二月二十三日(月)
ライフボート社とLattice C
今から三十年くらい前にLattice Cといふコンパイラが日本で発売された。日本のライフボート社が輸入代理店であつた。当時はNECの98シリーズが日本で圧倒的なシェアを持ち、だから98シリーズ用のアプリケーションしか発売されないことが多かつた。そのような中でLattice Cは富士通のFMシリーズ版も発売した。ライフボートは貴重な会社であつた。
私はその後、五年ほどして今の会社に移籍した。何の用事だつたかライフボート社を一回だけ訪問する機会があつた。廊下にも製品が積まれ、こういふ会社はどこか親しみが持てる。プラザ合意以降日本の会社は豪華になり過ぎた。特に外資系に多いがあまりに豪華な本社を見ると嫌な気分になる。その点、ライフボート社は質素でよかつた。向かうの担当者と打合せ中に突然T社長が顔を現して名刺を交換すると去つて行つた。これがあの有名なT氏かと驚いた。T氏はパソコン雑誌によく登場したからである。
二月二十四日(火)
ライフボート社のその後
その後、ライフボートはソフトボートと社名を変更しその後、株を電機系の会社に売却しT氏は引退した。ところが親会社が別の会社と合併しソフトボート社も再編になつた。再編先と社風が合はなかつたのだらう。多くが退職し新ライフボート社を設立した。その後はまつたく会ふ機会がないが、ホームページを見るとインターネット販売に特化した様子である。
ライフボートの経歴を調べると、まづアメリカライフボート社の子会社として設立された。日本の売上げのほうが多くなり日本法人に吸収された。T氏がマスコミに目立ちすぎたことと、株の売却についてなるほどと納得できた。
二月二十五日(水)
Lattice Cのその後
Lattice Cが日本で発売されすぐに(あるいはFMシリーズ版Lattice Cが発売されてすぐに、かも知れない)マイクロソフト社がMS Cといふコンパイラの販売を開始した。実行速度はどちらが優れるかまつたく記憶に無い。といふより処理内容によつて異なるから一概にはいへない。しかしリンクした後のキロバイト数ではMS Cが優つてゐたように記憶する。マイクロソフトはパソコンに特化した企業だからリンクの容量を抑へる。今では信じられないが当時はキロバイトレベルで大きい小さいが問題になつた。
ここで今ではリンカを知らない人が多いからアセンブラを例に説明すると、アセンブラ(本来アセンブラはアセンブルするためのツールだからアセンブリといはなくてはいけないが、80年代とそれ以前にアセンブリといふ人はゐなかつた。その後C言語が出てアセンブラは使はなくなつた)で作つたプログラムはアセンブルするとxxxx.objといふファイルになる。このファイルを幾つか集めて再配置するためリンカにかけるとxxxx.exeといふファイルになる(64キロバイト以内のアプリケーションはこれをexe2binといふツールに掛けてxxxx.comといふファイルにすることもできた)。Windowsになつた今でも実行形式のファイルはxxxx.exeである。Lattice CはMS Cが出たため徐々にシェアを減少させた。
二月二十七日(金)
石油会社のシステム子会社
私の勤務する会社はかつて海外のツール類の輸入販売は主要な事業の一つだつた。4GLと呼ばれたソフト開発用ツールはミニコン用を既に販売してゐたがパソコン用の別製品の輸入販売を行ふことになり、その4GLで開発されたERPアプリケーションの輸入販売を或る外資2社合弁で設立された日本の石油会社のシステム子会社が始めることになつた。私が九ヵ月アメリカに滞在したのはそのためである。その後、このシステム子会社は電機会社に売却され、その十年後に別のシステム子会社と合併した。ERPアプリケーションから撤退するため、一部の従業員が独立し元の社名で新会社を作つた。そして今でもこの製品を扱つてゐる。我が社は十五年ほど前にこの4GLから撤退した。
二月二十八日(土)
Accelr8テクノロジー社
十五年ほど前までDEC社のVAXといふミニコンが一世を風靡した。ミニコンとはパソコンよりはるかに上位のコンピュータで、日本の大企業の多くがVAXを研究所などに入れたため、私の勤務する会社はそれなりに輸入ソフトウェアを販売することができた。その後、UNIXが現れ、Linuxが現れ、Windows Serverが現れてVAXは激減した。そんなときVAXの機能をUNIXで代行できるAccelr8といふ製品がアメリカで開発され、我が社が輸入販売することになつた。数は少ないが五十万円以上で売れて毎年サポート料を頂くからそれなりに利益が上がつた。Accelr8テクノロジー社はアメリカのデンバーにあり一週間ほど出張で行つたこともある。会長、社長、技術者、営業の総勢10名ほどが小さな1室で働く。そこがNasdac上場企業の本社であつた。
数年後、Accelr8テクノロジー社が遺伝子のサンプルを扱ふ会社を買収した。それから五年ほどしてソフトウェア部門を売却した。社長はソフトウェアの責任者だつたから一緒に移つたのだと思ふ。この時点でAccelr8テクノロジー社は完全にバイオ関係の会社になつた。会長は典型的な経営最高責任者兼財務最高責任者であり、技術者ではないことにこのとき気付いた。今、インターネットで調べると三年前にデンバーからアリゾナに移動した。
三月一日(日)
debugコマンド
四日前にアセンブラの話をしたのでその続きをすると、作成したプログラムはdebugコマンドで動かしてバグ(不具合な点)を発見する。それ以外にも使ひ道があつてどんなファイルでもC>debug xxxxx.xxx で読み込んでコマンド待ち状態になつたらd(ダンプの意味)と入力するとそのファイルの中身を16進で見ることができる。テキストファイルはメモ帳で見ればよいがバイナリファイルを見るとき便利である。こんな便利なツールなのにWindows7の64ビット版には添付されなくなつた。32ビット版には今でも付いてゐる。
C コンパイラについては、最初デバッガがなかつた。プログラムのあちこちにprintf文を入れて動かすしかなかつた。C言語はメモリを破壊することがあるからよく暴走する。それなのにデバッガがないのは大変だつた。それよりC言語はアセンブラの代替として現れた。アプリケーションはFortranやCOBOLやBasicで開発し、OSやミドルウェアはアセンブラやC言語で開発する。これが昔は常識だつた。
ところがその後、アプリケーションを開発するのにVisual CやC++、C#、JavaなどC言語の改良版ともいふべき奇妙な言語が次々に現れた。なぜあんな不便な言語でアプリケーションを作るのか理解し難い。
三月三日(火)
東海クリエイト
東海クリエイトといふと今はまつたく無関係の会社が検索される。かつて東海クリエイトと言へば「ユーカラ」といふワープロソフトを開発販売する会社だつた。昭和六十年代はFMシリーズのソフトウェアを販売するソフトウェア会社は少なかつた。NECのパソコンのシェアが高いからそつちを販売したほうが売れる。富士通は開発費の援助をするのだがそれでもほとんど開発してくれなかつた。ワープロでは一太郎が有名だが頑としてFMシリーズ用は開発しなかつた。そんななかで東海クリエイトはFM用の「ユーカラ」も開発した。だから今でも名前を聞くと親しみを感じる。
東海クリエイトは数年後にクレオと社名を変更した。そのことを知つたのは五年ほど前だつた。その後、店頭公開(現ジャスダック)しヤフーが筆頭株主になり、一昨年、アマノといふ一部上場の機械メーカの関係会社になつた。
最後になぜNECのパソコンで動いてFMで動かなかつたかといふと、OSが同じでも昔はBIOSコールを用いたりIOポートやグラフィックメモリに直接アクセスしたためである。OSの機能を使ふと遅いし機能も不十分だつた。しかし今は異なる。といふかWindowsが出た辺りから徐々に共通で動くようになつた。
三月十三日(金)
ソフトウェア業界の現状
たまたま他所の労組の方がうちの組合事務所に来て労働相談に参加した。そこの労組の組合員はソフトウェア業界が多く、しかも半分の人が心療内科に通院してゐるさうだ。そしてかつては平均年収が600万円だつたのに今は半分になつたさうだ。私の勤務する会社の加入する健保組合では広報誌に組合員の平均月収が載る。これによれば月収はここ二十年間僅かづつだが上昇するから、その労組の話は驚きだつた。しかし月収は下がらなくても一時金は激減した。また中堅企業以上の加入するうちの健保組合と、それより小規模の別の健保組合と、更にそれらに加入せず協会健保(旧、政府管掌健保)、或いは個人事業主と呼ばれる国民健保の人もゐる。
年収が半減といふ話は後の2者の場合は現実の話である。そして半数が心療内科に通院するといふ話も現実である。今回の相談者も個人事業主であつた。この場合、労働組合のできることは限られてしまふ。
三月十四日(土)
ソフトウェア業界はソフトウェア製品以外は作るな
かつてソフトウェア会社は小さな会社でも、自社製品を幾つも持つてゐた。しかしハードウェアの価格下落とともにソフトウェア製品も価格低下が激しくなつた。だから多くの会社は自社製品を持たずに専ら受託開発を目指すようになつた。
ここで受託開発ならよい。社内で人員をどう配置しどう指示を出し状況の変化にどう対応するか。ここに工夫の余地が幾らでもあるからである。ところが人月請負や派遣だと工夫の余地がない。予め1人月70万円などと金額が決まつてしまふからだ。そして多くのソフトウェア会社が人月商売に特化してしまつた。
この際、コンピュータを使ふ企業はソフトウェア製品を組み合はせて構築することにかぎり、自社用システムの開発は法律で禁止すべきだ。さうすれば各社は自社製品の向上に力を入れるようになる。各社の製品の組み合はせを専門に行なふ会社も出てこよう。(完)
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