六百四十九(乙)スマナサーラ師の書籍(その二)「日本人が知らないブッダの話」
平成二十六甲午
十二月二十三日(火)
血統
「日本人が知らないブッダの話」は書籍の冒頭に釈迦族が他族との混血を嫌つた話が出てくる。私はこの話に反対である。混血を
嫌つたのは王族だけではないのか。そして王族も混血を嫌つたとは限らない。釈迦の妃はコーリヤ族の出身である。スマナサーラ
長老は経典にある記述を紹介しただけで他意はないだらうが、日本人の読者からみるとやや奇異に感じる部分である。
一つにはミャンマー、タイ、日本などアジア系の人は釈迦をアジア系と思ふのに対して、スリランカのシンハラ人は自分たちはアーリア
系といふ神話がある。その影響だらう。なおシンハリ人の肌の色は、同じくスリランカに住むドラビダ系のタミール人と比べて変はらない。
かつてはシンハリ人、タミール人の区別がなかつたといふ。それは方言でシンハリ人どうしでも言葉が通じない人がゐるからではないか。
西洋の野蛮な文明が人種差別、民族差別を生んだ。
十二月二十三日(火)その二
輪廻思想
仏教の輪廻思想はバラモン教の影響だらうと世間では思はれてゐる。しかしこれは逆だといふ。
お釈迦様の在世中に成立していたと思われるバラモン教の古いヴェーダ聖典や『ウパニシャッド』には、輪廻の教えは出てこないのです。
『ウパニシャッド』に輪廻の教えが入ったのはお釈迦様以降のことです。
沙門宗教とは当時のインドの少数宗教のことだが
お釈迦様の時代にあった沙門宗教の一部では、「輪廻はある」と言われていました。けれども、彼らは永遠不滅の魂が移転することを
語っていたので、仏教の輪廻転生の話とは比較になりません。/仏教の輪廻転生の話は、一切は無常であるという立場で語るものです。
十二月二十三日(火)その二
三種のブッダ
あまり注意されていないことですが、経典には「ブッダ」が三種類出てきます。(1)正自覚者(正等覚者、サンマサンブッダ)、(2)随覚者(
アヌブッダ)、(3)独覚者(辟支仏、パッチェ−カブッダ)、の三つです。
正自覚者は仏教が知られてゐない世界で、一人の修行者が悟りに達して他人に語る。随覚者は正自覚者の教へを実践して悟る。そして
正自覚者の教へを継承する。阿羅漢と呼ばれる。独覚者は自分の能力で悟りに達するが、他人に理解させる能力は持たない。
阿羅漢や独覚者は正自覚者と同じブッダたといふところが重用である。
正自覚者の出現によって、世界に仏教が現れます。しかし、ある時間がたつと正自覚者の教えは廃れ、正自覚者のサンガもなくなり、
正自覚者の教えを実践して覚る随覚者も当然いなくなるのです。これを無仏の時代と言います。その時代にも、自分なりに創意工夫して
覚りを開く(3)独覚者は出現します。その独覚者も説法はしますし、独覚者の教えで覚る人も現れるはずなのですが(仏典では曖昧に
しています)、長続きする、体系化された教えとしての仏教は育たないとされるのです。
ここはなるほどと納得する部分である。大乗仏教では独覚(縁覚ともいふ)は自分だけ覚る利己主義者だといふ言ひ方をすることが多い。
予ねて疑問だつたのだが覚つた人が利己主義の訳がない。他人に理解させる能力の不足といふのが正解である。そして
現在は、お釈迦様の説いた仏教が存続しており、その教えを実践して覚る聖者もいる時代です。この時代に修行する人は、みな(2)随覚者
を目指しているはずなのです。/ところが、大乗仏教では誰でも菩薩道を歩むべきと唱えたため(中略)修行者はもっぱら(1)正自覚者を
目指すことが大乗の道だと信じられるようになりました。そのため、その信仰は、随覚者、独覚者は格の低い覚りに達するものだという偏見
をつくりました。
これは予ねて疑問に思つてゐたことである。阿羅漢を目指すことはお釈迦様の主張する最終目標である。それなのに大乗仏教では屋根の
上に更に屋を重ねる。これには反対である。万人が正自覚者を目指すとなると
並の人格者にはつとまらない。(中略)というわけで、過去仏から直々の指名を受けた修行者が、四阿僧祇劫十万劫もの時間をかけて
正自覚者となるべく修行を重ねることになるのです。
私はジャータカがこれまで好きではなかつた。その理由は釈尊が前世まで無限の時間を費やしたことで、それなら普通の人は成仏できない
ためだが、正自覚者と随覚者の両方がブッダであることを知らないためだつた。正自覚者が何回も生まれ変はつて修行するといふのなら
納得できる。一方で伝説ではブッダの周りの人たちまで過去に修行をしたことが書かれるがこれには反対である。スマナサーラ長老も
確かに、偉大なる人のそばで重用な役割を果たす人は、みな過去世で徳を積んできたのだ、と言える
でしょう。
と一旦は伝説を認めるものの
但し、この考え方をエスカレートさせると、「お釈迦様と出会って覚りを開いた人は、みな過去世から修行を積んできたので、この世で覚る
べくして覚ったのだ」という一種の運命論になってしまいます。「この世で生きている間に頑張らなくてはならないのだ」というブッダの教えが、
どこかで骨抜きになって(以下略)
これも同感である。
十二月二十五日(木)
中道は中間に非ず
中道は中間ではない。そのことをスマナサーラ長老は次のように主張する。
当時のインドの主流派の宗教者だったバラモンたちは、豪華な儀式儀礼を主宰して人々から大金を巻き上げ、贅沢にふけっていました。
また、それに反発した沙門たちは、みな身体をいじめる苦行に陥っていました。(中略)ですから、お釈迦様は何より先に、二つの極端行
を否定しなければならなかったのです。
そこでブッダは中道を説く。公明党が中道政治を掲げてから中道といふ言葉が広く知られるようになつた。これは公明党の功績である。
しかし中道は中間の意味になつてしまひ、これは公明党の罪である。当時の公明党は国立戒壇を主張した。西側陣営の自民党と東側
陣営の社会党、共産党の間だが決して中間ではない。別の視点から見れば公明党こそ他の二つと懸け離れた存在だつた。スマナサーラ
師は次のように語る。
そこでブッダは「中道」を説きます。この中道は左右の中間ではなく、全く違う視点から答えを出した、という意味です。
両者の中間だとまつたく魅力がない。中間を取ることは誰でも考へる。それでうまく行く場合もあるが、今度は中間のふりをして私利を
得ようとする連中が現れる。或いは中間のふりをして左右を抑へて既得権を維持しようとする連中が現れる。中道とは両者とはまつたく
違ふ視点からの答でなくてはいけない。そしてブッダの中道とは八聖道であつた。
十二月二十五日(木)その二
教団の組織化
最初期には、各地に散った仏弟子たちは出家志望者たちを直接、お釈迦様のところに連れて行って許可をもらっていました。仏弟子を
迎えるために、お釈迦様は一箇所にとどまっている必要があったのです。(中略)諸国に派遣した弟子たち(最初の六十阿羅漢)からの
懇願を受けたお釈迦様は、彼らがそれぞれの活動地で希望者を出家させることを許可したのです。その場合、三帰依(仏・法・僧に帰依)
を表明することで出家が成立するとしました。これは、最初期の「善来比丘具足戒法」から「三帰依具足戒法」への変更です。
ブッダはマダカ国の首都王舎城に移動した。
釈尊教団ははじめて、大都市に近接した場所で教団運営をすることになりました。そこで徐々に細かい出家規定や集団生活の規則が整え
られていったと考えられます。(中略)最終的には、出家させる際には十人以上の比丘で審査すること、新たに出家した比丘十年間は
指導者(和尚)のもとで修行すべきこと、和尚を務めるびくは出家して十年以上たった有能な人物でなければならない、といった現在の
テーラワーダ仏教でも続く出家規定が定められるに至ります。これを専門用語で「十衆白四羯磨具足戒法」と言います。
保守性を賞賛することも守旧性を批判することもできる。私は前者で賞賛する立場である。大乗仏教も日本国内で見ると奈良、京都、
江戸時代と堕落があつたからである。保守と改革ではなく保守のうちの必要やむを得ない部分を変へる。これがよいのではないか。
十二月二十五日(木)その三
アーナンダ
お釈迦様はアーナンダ尊者に対して、「比丘の衣を田んぼとあぜ道の形にしてはどうですか?」と提案しました。そこには深い意味があります。
お釈迦様の出自である釈迦族は、お米を食べる文化でした。お釈迦様の父(浄飯王)は王家でしたが、領民と一緒に田んぼの手入れをする
農民でもありました。(中略)同じ仏教の伝統を守っているスリランカでは、田んぼでは誰も傘をさしません。それは稲に対して失礼だと思って
いるからです。
稲作文化は日本も同じである。アーナンダはゴータミー妃の出家の再度の懇願をお釈迦様に取り次いだ。
一回目はお釈迦様が拒否した。とりなしを頼まれたアーナンダが懇願したがお釈迦様はこれも拒否した。ゴータミーはお釈迦様の育ての母で
高齢だつたので
現代風にアレンジして言えば「これはとても苦しい生き方です。宮殿の生活とは全く違います。家にいて、みんなに面倒を見てもらって修行して
ください。母が肉体的に苦しむのは見ていられません」というものでした。
アーナンダは再度言ひ方を変へて釈尊に質問し特別な戒律八つとともに比丘尼を認めた。しかしお釈迦様は「しまった」と言つた。
「しまった」と意訳したお釈迦様の言葉は、パーリ語から直訳すると「女の出家を認めたから、千年続くはずの正法が五百年しか続かなくなった」
となります。
釈尊は続けて大池に堤防を設けて水の反乱を防ぐように、八重法を制定して守らせる、と説く。つまり
正法が壊れるおそれがあったので、その前に堤防を設けたのです。ですから、比丘尼出家によって正法の寿命が縮んだことにはなりません。
「正法の寿命が半分に縮んだ」という言葉だけをとって、「末法思想」にまで膨らませた解釈はまったくの誤解なのです。
これは同感である。そして千年といふ具体的な数字についてスマナサーラ師は、一般的な組織が五十年続くと断言できないのと同じように
文字通りに「正法は千年で滅びるのだ」などと議論すること自体が、成り立たないのです。と主張する。
私はこの意見に賛成である。続けて師は
注釈書でブッダゴーサ長老は、千年という意味は仏滅後千年まで最終解脱者(阿羅漢)が現れることだと解釈しています。それから千年は、
不還果まで覚れる。それから千年は、一来果まで覚れる。それから(以下略)
スマナサーラ師は仏滅五千年は2010年から二千四百四十六年後で仏教はそう簡単に地上から消へないといふ気持ちだつたと解釈する。
私はブッダゴーサは仏滅千年の僧だからブッダの言つた言葉ではないといふ解釈をしたい。一方で人類は近代に至り化石燃料の使用など
あまりに大罪を犯した。或いはさうなのかも知れない。
十二月二十六日(金)
法の鏡
大般涅槃経の中で日本であまり注目されて来なかつた「法の鏡」といふ教へについてスマナサーラ師が解説をする。
お釈迦様は(中略)ナーティカ村に滞在しました。その村では、住民の多くがお釈迦様に帰依していました。そこでアーナンダ尊者はナーティカ村で
亡くなった比丘や比丘尼、男女の在家信者が死後どんな境地に至ったかということを質問しました。
お釈迦様は、比丘や比丘尼のみならず、ナーティカ村で亡くなった五十人を超える在家信者が不還果の覚りを得て亡くなり、九十人を超える
在家信者が一来果の覚りを得て亡くなり、五百人を超える在家信者が預流果の覚りを得てなくなったと明言しました。
在家信者が三種の聖者になることに最初私は違和感を感じた。それでは出家の意義がほとんど無くなるからである。しかしこの当時は在家は
生活がたいへんだつた。出家と在家の大変さはそれほど変はらなかつたのかも知れない。今は地球の化石燃料浪費による生活の贅沢化で
在家信者が楽になつた。だから在家が不還果や一来果になれるか不明ではないだらうか。さてお釈迦様は人が死ぬ度に
意味を問うならば・・・・如来にとって煩わしいことです。それゆえ・・・・ここに「法の鏡」と呼ばれる法門を説くことにしましょう。それをそなえた
聖なる弟子は、もし望むならば、自分自身で、『私には地獄が滅している。動物の胎は滅している。餓鬼の領域は滅している。・・・・私は預流者
であり、破滅しない者、決定者、上位の覚りに趣く者である』と自分について明らかにすることができます
さて法の鏡とは仏法僧に対する決して揺るがぬ信頼を備へてゐることと、五戒を
欠けることなく守っていることである。
これは、「信仰さえあれば救われる」という話ではありません。信は「揺るがぬ」ものでなければいけません。揺るがぬとは、「信を抱くに値する
ものだ」と自分で証明していることです。要するに、最低でも預流果に覚っていることなのです。
十二月二十七日(土)
遺言「自灯明・法灯明」
「(前略)自分を灯にして、自分を頼りにして、他に依存しないで生きなさい。真理を灯にして、真理を頼りにして、他に依存しないで生きなさい。(
パーリ語は略)」
自灯明・法灯明の教えとして有名なところです。しかし続きを読まず、これだけ切り抜いて解説するために、的外れな解釈が横行している言葉
でもあります。
自灯明とは何でしょうか?
「自灯明」とは、自己観察をすることです。身体(身)、感覚(受)、心、その他の現象(受)と
いう四つの側面から自己観察をするのです(四念処の実践)。
『ニワーパスッタ(撒餌経)』(中部25)にこのようなたとえがあります。森に
餌を撒いて狩人が待ちかまえています。(中略)「空腹を満たしたら幸福になるだろう」と思った獣の期待は、そこで潰えるのです。(中略)眼耳
鼻舌身に入る情報は、人間にとっては狩人が撒いた餌のようでもあるし、網にかかっていることにもなるのです。自己観察をすると、その網が
破れて人の心は自由になります。(中略)それが自灯明の真意です。
これは貴重な法話である。さすがはスマナサーラ師である。多くの解説書が上座部仏教とは自分の修行で成仏するからその自己努力は大変
なものだなどといいかげんな解説をしてゐる。次に法灯明について
法(dhamma、ダンマ)とは真理のことです。真理とは、意見、見方、感想、見解ではない、ありのままの事実です。(中略)要するに、「法灯明」
とは、ブッダの教えを理解することです。(中略)そして、法に導かれる人は、指導されているように自己観察をするのです。自己観察をする人が、
ありのままの真理を発見するので、法を発見するのです。ですから、自灯明・法灯明というのは同義語なのです。
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