六百四十九(乙)スマナサーラ師の書籍(その一)「デキる人の秘密」

平成二十六甲午
十二月二十一日(日) 性格分析
ミャンマー経典学習会の終つた後の歓談で、スリランカの僧侶は活動的で発言が多く、スマナサーラ長老のいふことはへ理屈だ。 そんな発言があつた。もちろんよい意味のへ理屈である。そこでスマナサーラ長老の著書を読み始めた。まづは平成二十二年に 国書出版会から出された「デキる人の秘密」である。
読み始めると、なるほどへ理屈の連続である。とはいへ講演の内容に加筆したものだし、上座部仏教に興味のある人ばかりでは ない一般の人向けだからなるほどと納得できる。だからスマナサーラ師も64ページ目に至つて じつは、いままで説明したのは、ほとんど俗世間のお話でした。として、性格判断の話へと進む。 アビダンマ(サンスクリット語はアビダルマ、論書)では、テキスト一冊をまるごと、性格分析に費やしているのです。として 性格を六つに分ける。
1.欲型 欲はそれほどでなくても、よく笑う人、(中略)服や住んでいる所をとてもきれいにデザインして 使う人、(中略)喜び・楽しみが中心的な人です。
2.怒り型 いつでも怒っている人のことにかぎりません。ニコニコしていても、なんでも批判的な目で 見る人もいます。(中略)くらいイメージをもっている人、なかなか落ち着かない人、すぐ物事をあきらめる人なども、このカテゴリー に入ります。
3.無知型 頭が良さそうに見える人の中にも無知型がいます。物事にあまり関心をもたない人、社会や 環境の変動に気づかない人(以下略)

以上三つが終つた段階でスマナサーラ長老は次の様に解説する。
世間には、飽きっぽい人、粘り強い人、という二種類があります。このような分け方は、仏教ではしないのです。(中略)怒り型の人間も、 飽きっぽい場合があります。怒り型だからこそ、粘り強くがんばる場合もあります。

とする。更に今までの三つの型について
いままでの性格の区別は、道徳的なことばで分けているのです。欲・怒り・無知は悪に入ることばなのです。そうすると、この三つのタイプ の人間は悪人ではないかと思われるかもしれませんが、それは違います。貪瞋癡はだれにでもありますから、それだけで悪人だと判断 はできません。悪人とは、罪を犯す人のことです。欲型、怒り型、無知型の中にも、悪を犯さない人、善行為をする人はいくらでもいます。

次に残りの三つの説明に移る。 4.信仰型 物事を簡単に納得する。コマーシャルをそのまま信じる。人が言うことをほとんど疑わない。(中略) このような性格も進行型と言うのです。
5.論理型 こうではないか、ああではないかと、とめどなく考える人も、論理型です。(中略)最終的には、なんの 役にも立たない、という結果にもなります。わかりやすく言えば、「妄想型」と理解してもかまいません。
6.知識型 論理型と比較すると、知識型の特色が理解できると思います。(中略)論理型はその話題を細かく 分析したり、いくつかの提案を出したり、(中略)しかし「では、どんな結論を出せばよいか」ということになると、なにも言えないのです。 知識型は、いとも簡単に結論に達してみせるのです。

実際は欲欲型、欲怒り型など三十六種に分けられる。ブッダゴーサのまとめた「清浄道論」でも触れられてゐるさうだ。

十二月二十一日(日)その二 日本の全ての僧は師匠がゐない
性格の分析は何年もかけて観察しなくてはいけないといふ。
仏教の場合、出家するという習慣があります。在家の人がひとりの師匠を選んで出家するのです。出家した人が、師匠と一緒に生活 するのです。(中略)二十四時間一緒に生活しているので、弟子の生活パターンを観察することができるのです。二〜三年、または五〜 六年かけて観察して、生活パターンがわかったところで瞑想指導などをするのです。

ここで判ることは日本の全ての僧は師匠がゐないことだ。日本では世襲がほとんどだから親が師匠である。しかし親と師匠とどちらを 有線させるかといへば親である。つまり日本の僧侶は師匠がゐない。また家庭を持つと親の関心は仏法より子の進学等々家庭の ことに移る。かつて創価学会が信徒団体として所属した日蓮正宗だけは世襲制を排して管長の弟子制を採る。かつては末寺で弟子を 採つたが昭和三十四年に細井日達が管長に就任し、昭和三十五年に池田大作が創価学会会長に就任してから制度を次々に改変し、 その一つに管長弟子制がある。一人の僧が面倒を見られる人数は十人が限度である。それより多いと師匠がゐないに等しい。つまり 日本のすべての宗派の僧は師匠がゐないことになる。

十二月二十一日(日)その三 多芸多才は困りもの
「多芸多才は困りもの」といふ節で、スマナサーラ長老は次のように語る。
なんでもできる人間には、ならなくていいのです。(中略)たくさん能力を欲しがることは、「異常欲」と言うのです。仏教が語る十悪の なかで、重い悪なのです。
これも同感である。シロアリ民主党にはマスコミに乗せられて自称多芸多才が多い。しかしやつてゐることはアメリカの猿真似だけである。 余談だが私のホームページは色々な話題を取り上げる。しかし多芸ではない。単に非西洋といふ観点で色々なものを観るだけである。 今の日本には非西洋で世の中を観ることができる人が少なくなつた。といふよりはほとんどの国民は非西洋の観点で観てゐる。その ささやかな声の意見に対して、拝米マスコミや拝米ニセ学者が大声で愚論を叫び続ける。私は拝米マスコミや拝米ニセ学者に対抗して 色々な話題を取り上げるだけである。

十二月二十二日(月) 無限の能力開発法
最後の章で能力を開発する十一の方法を述べてゐる。
1.妄想をやめる 妄想とは、現実性のない思考です。(中略)現実的な人間になると決意すれば、妄想は すぐにやめられます。
2.時間を短くする 「今日一日なにをすればよいのか」と、現実的に考えることです。今日一日も、長すぎです。 (中略)「いま、なにをするべきか」と考える、理解する、発見する。すぐ実行する。
3.一個の部品に徹する われわれは、全体を作っているわけではないのです。部品を作っているのです。
4.喜びを感じる よいことに出会ったから喜ぶ、うまくいかなかったから悩む、などと言うと、喜び悩みの原因 は自分ではなく他人になってしまうのです。しかし物事がうまくいかなくても、明るくいようと思えばできることです。(以下略)
神経質にカリカリした状態になって、「なんとか必勝」とか「根性」とかの鉢巻をまいてがんばっている人びとがたくさんいます。(中略)きっと その仕事は、おもしろくないのでしょう。(中略)このように活きてみても、意味がないのです。それでは能力は退化してしまうのです。

5.慈しみを育てる 「火事場の馬鹿力」ということわざがあります。(中略)危険にさらされたときに現れる力を、 正しく使う方法があります。(中略)危険なことがまったくないのに、能力を発揮して生きるためには、「慈しみ」が必要なのです。
6.思考を調査する 「思考の整理」といえば、みなさまがたは、家の整理整頓、資料の整理と似ていると思う かもしれません。その場合は、あるものはなにも捨てません。使わないものも、もしかすると将来使うだろうと思って整理するのです。思考の 整理は違います。人の役に立つ、有意義で、慈しみにもとずいた思考のみをして、他の思考をゴミとして処分しなくてはいけないのです。
7.ネガティブな感情をもたない 「欲、怒り、嫉妬、憎しみ、恨み、高慢、過剰な自我意識などは、人を後退 させる。堕落させる感情だから、離れましょう」。これらがあると堕落するのです。俗世間では、そうは思っていないのです。欲を煽る。怒りを 煽る。ライバル意識を煽る。
8.価値観を変える 会社の仕事、子育て、料理選択など(中略)生きてるうえでやっていることは、すべて内職だと 思えば、気持ちが楽になります。こころが喜びを感じます。能力はみるみる向上します。/では、すべて内職であるならば、「本職」とはなんで しょうか? 人格向上のみが本職です。
9.執着しない 執着する人には、会社を変えること、仕事を変えること、新しいことに挑戦すること、などはできない のです。(中略)人生は毎日、新しい経験、新しく学ぶことがないと損だ、と思ってください。
10.できないことを恥じない 人にできることとできないことは、性格によって変わります。当然のことです。(中略) 俗世間が必要とする能力にはリミット(限界)があります。
11.仏弟子に学ぶ 能力の種類はたくさんあるものです。一人の人間にすべて備わるわけではありません。 リミットまで向上できる能力といえば、そもそも一つだけなのです。



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