六百二十九、1.派遣法・労働法制改悪反対国会前集会、2.派遣を禁止する理由(懐かしい文書をシュレッダ)

平成二十六甲午
十一月三日(月) 衆議院第二議員会館前
十月三十一日(金)に派遣法・労働法制改悪反対国会前集会があり、大結集するといふことでうちの組合も内部に大結集を呼び かけた。その結果、私を含めて三名集まつた。前回は大雨のなかを五名ほど集まつたが今回は三名だつた。もちろん用事や 仕事の都合で参加できない人がゐるのは当然である。しかし執行委員会のメンバーだけでも十名以上ゐるのに組合員を含めて 三名(執行委員会二名、組合員一名)といふのは少ない。集会全体では二百名集まつた。
集会は旧社会党系、共産党系が集まつた。我々は前回の大雨のときと同様に車道に向かつて一番左に集まつた。といふか中間は それぞれの労組が集まつて入る余地がないので、一番外れに立つてゐた。これが正解である。

十一月四日(火) 共産党系
我々の内側には全労連全国一般東京地本など共産党系が陣取つた。全労協全国一般の平賀委員長が挨拶したとき少し全労連 全国一般がざわつき、小声で話し合ふ光景も見られた。自分たちのほかにも全国一般があるといふ驚きかも知れない。総評が 解散するときに全国一般は連合、全労連、全労協の三つに割れた。そのときの名残りである。ただし私の感覚では今の全労連、 全労協は総評解散時の連合と変らない。連合はもはや労働組合ではない。全体が体制側に移動したといふのが正解である。 その原因は一つにはプラザ合意以降の社会の崩壊であり、二つにはソ連の崩壊である。

十一月五日(水) 公明党の修正案
この日は国会の審議内容とその批判になるはずだつた。ところが与党の公明党が修正案を出し、これに野党側が反発して国会が 空転した。だから集会は盛り上がつた。関西の発言者の中には貧しい人たちが多い地域に公明党の支持者もかなりゐることを 挙げて公明党も修正案を出さざるを得なかつたと歓迎した。この発言は決して貧しい地域を差別する意図ではない。公明党の路線 転換を歓迎するものだつた。
集会は国会が空転したことを受けて大変に盛り上がつた。

十一月六日(木) 派遣を禁止しなくてはいけない理由
派遣を禁止しなくてはいけない理由は、労働者の下に更に別の制度を設けるからだ。労働者は最下層だから労働組合が認められる。 それなのにその下に別の制度を設ければ労働者は身分になつてしまふ。
そもそも中小企業では倒産や転職は当り前だが、大企業はほとんどない。といふことは大企業は労働者ではないから本当は労働組合 を認めてはいけない。或いは認めてもよいがユニオンショップ、組合費天引、組合役員が会社に戻つたときに部長や役員になること、 会社内の敷地を組合事務所として認めることを禁止すべきだ。だからニセ労組シロアリ連合の会長が昨日、消費税増税に賛成の発言を したが、驚くには値しない。泥棒は盗むものだし大企業に寄生したシロアリは国民の生活を考へずに消費税増税に賛成するものである。
このように中で更にその下の非正規雇用を設けたらどうなると思つてゐるのか。今こそ総評解散の直前に作られた天下の大悪法、労働者 派遣法を廃止すべきだ。(完)


十一月七日(金) 専門家として扱へば仕事はうまく行く
一旦終了したが、本日仕事中に派遣は禁止しなくてはいけない現象に遭遇した。フロアに大会議室を作ることになりロッカーを整理した。 なつかしい文書をシュレッダーに掛けた。或る船舶会社のシステム資料である。今から六年ほど前にコンピュータは停止し新システムに移行 した。新システムが異常処理したとき用に保管したが、その後は懐かしさで保管した。アメリカ製の第四世代言語で作られ、この第四世代言語 はマニュアルが日本語化もされた。しかし日本の輸入元の商社が撤退し、アメリカの会社も撤退したらしく、最後はオランダの会社がサポートを担当してゐた。私が輸入手続きをした。新しいバージョンはマニュアルが英語しかなく、しかし別段困りはしなかつた。私が 関はつた最後の国際業務であつた。
同じように或る外資系企業の製造部門のシステムの資料もある。官公庁関係の入札もある。多くの取引先は私が担当を終へた後も長く取引が 続いた。私は仕事を良心的に行なふからだと自負してゐる。

十一月八日(土) 派遣法そのものを廃止しなくてはいけない理由
一方で二十年前と十八年前に騒動になつたことがある。二回とも派遣が原因である。仕事といふものは相手がお客様だから良心的に仕事をする。 更には我々をコンピュータの専門家として扱つてくれるからこちらもそれに十分に答える。ところが派遣は法律上はどうであれ相手は雇用先で ありお客様ではない。判り易い例を挙げると営業がお客様の前で愛想よく対応できるのはたまにしか会はないからだ。毎日朝から晩まで顔を 合せたらだんだん横柄な態度になるに相違ない。
ましてや派遣は人事部担当ではなく購買部が担当する。つまり人間を物扱ひする。現場の人間も同僚としてではなく作業機械の扱ひである。 一回目の派遣は或る石油会社だつた。他の部屋は快適な温度なのにコンピュータ室は機械が多く冬でも30度を越す。労働安全衛生法の 事務所則に違反する。私は何回も改善をお願いしたが無視され、暑いから水分不足で痛風になつた。本来は三ケ月持てばいいような職場を 何とか九ヶ月我慢したのに、そこから所属会社に戻ると「もうやつて貰ふ仕事はないよ」と言はれた。派遣契約は満期などで簡単に終了させる ことができる。雇用は簡単には解雇できない。それなのに派遣の終了を理由に解雇しようとする。実に悪質な上司だつた。この人は皆から 嫌はれて最後はうつ病で退職した。そんな人でも派遣を出す側の管理職なら務まる。右から雇ひ入れて左側に送るだけだからだ。ここにまづ 派遣の問題点がある。
派遣の受け入れ側は我々を専門家として扱はない。同じ事をする技術者が社内にもたくさんゐるからだ。最初、 派遣は専門業務に限られてゐたがこの時点で既に専門者として扱はなかつた。派遣法は最初から欺瞞だつた。
私が富士通時代に半導体部門から電算部門にパソコンが移管されその後、子会社の人間は実態は富士通への派遣にも関はらず請負を装ふ からここでも騒動になつた。総務部長が面白いことを言つた。富士通は我々のお客さんだと。冗談ではない。富士通は100%株主だ。当時私が 所属した会社の経営に責任ある立場でありお客様では絶対にない。そもそもこの総務部長は富士通からの天下り出向ではないか。派遣法は 当時の電機労連が社会党に圧力を掛けて賛成させたと新聞に書かれ、それは本当だと思ふ。この当時、電機業界では偽装請負が横行し これは違法だからもし職業安定所が取り締まると大変なことになつた。
しかし派遣法が成立しても派遣制度を使はず偽装請負が八年ほど前まで横行してゐた。その後、取締りが強化されIT会社は次々に特定派遣 の届出を行なつたが労働者の待遇は変らなかつた。派遣先から戻れば退職勧奨の連続である。唯一よくなつたのが多重派遣の取り締まりだが しかし抜け穴はある。私が人事採用のときに、新宿職業安定所に求人手続きに行くと、窓口に向かつて「これは派遣の請負だから(職安は取り 締まらないでしょ?)」と悪びれず堂々と話す会社があつた。このようなことを無くすために派遣法そのものを廃止すべきだ。大変なことではない。 総評がまだ活動してゐた昭和六十年まではそのような法律はなかつたのだから。(完)


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