六百二十、ミャンマー祭り(安倍首相は菅野田亜流を脱して本当の保守に帰れ)
平成二十六甲午
十月二十日(月)
日本初のビルマ留学生
シンポジウムは午後一時に始まつた。席は1/3程度の入りだつた。十時に急いで駆けつける必要はなかつたが、急いで駆け
つけるだけの価値がある内容であつた。第一部は昭和三十二年に日本で初めてビルマに留学した土橋泰子さんの体験談である。
一年間 ラングーン(現ヤンゴン)大学文学部に入学した。昭和二十九年に大阪外国語大学ビルマ語学科に入学したものの辞書が
ない。教科書も無くがり版刷りだつた。ビルマからの外交団や大使館に辞書の話をするうちに、ビルマ政府国費留学生として招待
された。往復の旅費は自己負担だが学費、寮費は無料で参考書代を支給され周りの女子学生に較べて恵まれてゐた。往路は
プロペラ機で機中一泊、途中一泊。帰路は書籍が多く途中も寄りたいので船。どちらも片道七万円だつた。今のお金にすると片道
200万円だらうか。
日本の学生食堂で一番の料理はカレーライスで、小さな肉が一つ入れば幸運だつたが、ビルマの学生食堂は肉がたくさん入つて
ゐた。これは気候が大きい。南の国は食べるものには困らない。しかし伝染病が多い。これは今でも変らない。ミャンマーでカレーに
肉が入つてゐないことはない。ミャンマーが貧乏になつたのではなく日本が豊かになり過ぎた。このまま永続できるならそれでもよいが、
地球温暖化であと百年持つか。今こそ先進国は化石燃料の消費を停止すべきだ。
十月二十一日(火)
寺小屋
第二部は安倍昭恵、笠原清志、阿部亮、岩城良生の四氏によるミャンマーの寺小屋についてのシンポジウムだつた。寺小屋とは
日本の江戸時代の個人経営の小さな学校とは異なり、寺院の運営する小学校である。更には中学、高校も出てきた。文部省の管轄
する公立学校と宗教省の管轄する寺小屋があり、どちらも公認である。公立学校は学費は無料だが諸経費が掛かるため、通へない
生徒は寺小屋に通ふ。しかしそればかりか公立学校に通へる経済力や距離でも寺小屋に通ふ生徒もゐる。これがミャンマーの仏教の
持つ魅力であらう。経済が成長してからいろいろな問題が起きるが寺院がその解決策にもなつてゐる。これが長い歴史の偉大なところ
だが、それだけで喜んではいけない。
部派仏教が堕落したときに大乗仏教が現れそれを乗り越えた。イギリス帝国主義の
植民地になつてからは国民の精神的支柱になつた。その時代の困難を乗り越えて今の仏教がある。
十月二十三日(木)
安倍首相は菅野田亜流を脱して保守に戻れ
安倍昭恵さんがミャンマー寺小屋支援運動を始めたのは安倍首相がお父さんの安倍晋太郎外相の秘書のときミャンマーを訪問したのが
きつかけだといふ。だとすると安倍首相もなかなか見どころがある。今までの安倍首相のやつて来たことは菅野田亜流である。消費税を
上げれば地方と地場産業が衰退する。だからといつて補助金のバラマキは駄目である。ところが安倍首相は消費税を上げ補助金を復活
させニセインフレのふりをして業績のよい企業だけ賃上げさせた。不公平の拡大である。だからニセ労組シロアリ連合(自称連合)のメーデー
にまで参加した。私が亜倍と呼ぶ所以である。
平成元年辺りまでの保守、革新といふ言葉に惑はされて資本主義や拝米が保守だと思つたら大間違ひである。世の中を永続させることこそ
保守である。だから業績のよい企業とニセ労組シロアリ連合だけが得をする政策は非道徳としてこれを排除しなくてはいけない。安倍首相
には本当の保守に戻つてほしい。
十月二十五日(土)
写真展の世界平和パゴダ(門司)の展示に疑問
私は日本とミャンマーの親善が深まることを願ふ立場で、日本・ミャンマー交流写真展を拝観させて頂いた。どれも立派な作品であるが、おそらく
主催者側が特別に展示したのであらう世界平和パゴダ(門司)に疑問を持つた。私のように上座部仏教やミャンマーに親しい者でさへ持つの
だから普通の日本人なら数十倍は持つ。
まづ平和は尊いし戦争は絶対に反対である。日本の昭和50年辺りまでの平和運動はベトナム戦争の最中だからアメリカ帝国主義が我々の
準同胞ともいふべきベトナムやラオスやカンボジアに内戦を起こしたといふことで、アメリカ帝国主義を批判するものだつた(ここで準同胞とは
何らかの文化の共通点を持つアジア各国を称したのであり、かつての大東亜共栄圏とはまつたく関係がない)。ところがソ連崩壊の後は、米英
が正しくて日本が悪いといふ単なる西洋帝国主義称賛のニセ平和運動になつてしまつた。
勿論今回の写真展には欧米を称賛するものは何もないが、かつてのイギリスの植民地だつたことや第二次世界大戦後のベトナム戦争などを
無視して平和を論じてほしくはない。ウ・ケミンダ長老(長老とは長く比丘を務めた者への尊称)の写真も年齢を感じさせないもので、それは逆に
長老であることを隠した醜い姿にしてしまふ。誰だつて年を取ればしわが多くなる。しわが目立たない写真にするか、長老への敬意を起こさせる
写真を掲載すべきなのにさうではなく、発言内容も俗人の薄つぺらなミャンマー戦争被害論にしてしまつた。
主催者は実行委員会とNPO法人メコン総合研究所、駐日ミャンマー大使館、公益財団法人浄土宗ともいき財団でおそらく応募された写真の
審査に忙しかつたのだらうが、ちよつとした不注意が拝観者のミャンマーと上座部仏教への親近感を薄れさせることになつたと思ふ。
十月二十六日(日)
寺小屋を日本にも
ミャンマーでは文部省の学校と寺院が住民のために運営する学校がある。後者は宗教省の管轄である。しかしどちらも小学校卒、中学校卒、
少数だが高校卒として公認される。つまり寺小屋の中学校を卒業して文部省の高校に入学することが可能である。
これはぜひ日本も取り入れてほしい。文部科学省管轄の学校もあれば寺社、教会の経営する学校もある。これはよいことである。ただし今の
日本の宗教法人の関はつた学校はよくない。公立よりカネが掛かる。しかも伝統が明治維新で途切れた。寺院と神社は世襲である。寺院は
墓檀家、神社は氏子地域割りに安住してゐる。カネは公立学校より安くすることが必要条件である。周りの寄付で運営できるか。周りが寄付
をしようと思ふ魅力が寺社、教会にあるか。
政治にも注文がある。西洋の真似ばかりしないことだ。アジア各国にもよいところがある。今回の寺小屋のようによいところを真似すべきだ。(完)
メニューへ戻る
(甲)へ
次へ