32、五十九年間日本人に教へてはならなかつたこと

平成十六年七月廿五日




終戦の後五十九年間日本人に教へてはならなかつた事が在る。 其は人間は苦しみながら死ぬといふ事実である。 心臓まひや脳梗塞で所謂急死する場合もあらう。周囲から見れば苦しまずに亡くなつたやうだが、本人は相当に苦しんで死んだのである。
働き盛りの人が勤務中に厠に行き何時間も帰ってこない為、見に行つたら中で死んでゐたといふ事故が時々発生する。本人は苦しくなつて便所に行き苦しんで死んだのである。


1 癌
かつては癌は大変な激痛を伴った。その後モルヒネのおかげで大分緩和されたが、今でも大変な激痛であることに変わりはない。私も数年前に父の看病をしたときに、父は常時定量のモルヒネを機械で補給しているのに1日に数回突然激しく痛み出し、看護士を呼んだり慌てたり大変であった。 それでも、脳溢血になり全身不髄で無期限に苦しむのと比べればましだと、医師が癌患者を励ますつもりで語っていたのを思い出す。

2 生死隣り合わせ
つい数十年前までは結核や伝染病で死ぬのが一般的だった。結核は風邪と症状が似ているし、伝染病はあっという間にやって来る。風邪が長引くたびに結核で死んだ人のことを思い出したりして、人間にとり死と生は隣り合わせであった。 日常茶飯事であるはずの肉親や知人の死を今では医療施設に封じ込めて誤魔化している。

3 苦しみながら死ぬことを忘れる利益
苦しみながら死ぬことが医薬の力により軽減されることは、戦争を激減させるという大きな利益を人類にもたらした。欧米が植民地獲得戦争に狂奔した理由に、どうせ人間は苦しみながら死ぬのだから戦争で死んでも同じだと考えたことは間違いない。ここ数十年の間、先進国で戦争が激減したのは医薬の力といってもよい。今後も戦争は激減し続けることは間違いない。この時点で人類の将来は薔薇色である。

4 醜い老人たち
今から20年前までは、お年寄りは大切にしようという気持ちが自然に湧いてきた。ところが最近は起きなくなった。 今でも、大多数のお年寄りは立派な人たちだと信じたいが、そうではない人が目立つ。例えば本屋で買いたい本を天井の蛍光灯に反射させて何冊も比較し、一番きれいそうなものを買って行くじいさんがいる。20代の若者ならいざ知らず、60代、70代のじいさんがなぜそんなことをするんだい、本を棺桶の中まで持って行く気かい、と言いたくもなる。
スーパーマーケットで食料品を1つ1つ手に取って製造年月日の一番新しいものを買っていくばあさんもいる。若い母親ならいざ知らず、どうせ先が短いのだから少しぐらい古いものを食っても同じじゃないか、と嫌みの1つもいいたくなる。
こんな話もある。乗合バスに半身不随の人が乗ってきた。シルバーシートに60代後半と70代前半の年寄り数人が陣取っていた。たまたま近くに立っていた60代の女性がシルバーシートの人たちに席を譲ってあげるよう呼びかけたのに全員、寝たふりや聞こえなかったふりをしている。低床バスで一般席は1段上にあるため、半身不随の人が一般の席まで歩くことは不可能であった。
これら醜い老人が現れたのは、終戦直後の混乱期による教育が原因だということもできよう。しかし他にも原因はある。

5 苦しみながら死ぬことを忘れる問題点
苦しみながら死ぬという事実を忘れた人間は、欲得だけの贅沢家畜となる。世界のほとんどの国は、伝統のおかげで贅沢家畜化を免れている。伝統がない若しくは先住民を虐殺したという伝統のみのアメリカと、敗戦ショックでアメリカ崇拝病という癌に侵された日本が、世界でもっとも贅沢家畜の比率が高いのは当然である。
数年前に仕事でドイツに滞在したとき、ドイツ人技術者の実家がデンマークとの国境に近いキールにあり、土曜に1日かけてアウトバーンを車で走り皆で1泊した。お父さんは開業医であった。診察室を案内してくれた。朝、散歩をしていると街中の掲示板に休日当番医としてお父さんの名前が載っていた。その家で皆で菓子を食べていたときの話である。その技術者が床に菓子を落としたがそのまま拾って食べてしまった。欧米では靴を履いたまま家にいる。土足の床に落としたものを医師の息子が拾って食べるという事は、日本人ならありえない。ありえない理由は日本人は死が永久に訪れないと思ってしまっているからである。

6 今後の日本の平和運動
日本の平和運動は、戦争は怖いものだ、死ぬのは怖いものだ、と恐怖心を煽るだけのものであった。そして世界からついに受け入れられることはなかった。まず、人間は苦しみながら死ぬものだ、病気で死ぬのも戦争で死ぬのも同じだと認めた上で、しかし平和は尊いものだ、戦争は憎しみのみを残し国民の犠牲の上に上層部のみ利権を漁るもので無くさなければならない、と主張すべきである。これらの相違は、悪いことをすると怒られると子供に教えるのと、怒られないことも多いがしてはならないと教えることの相違である。
憲法改正について言えば、戦争放棄は維持するに留まらず他国にも薦めるべきである。武力の放棄については、世界にこれを広めることを日本の義務とした上で、その時までは所持することを認めるべきである。

7 人生の目的
人生の目的は何か。そう問われても答えられないのが普通である。一つ言えることは、先祖や先人の生き方を子孫や後世に伝えることが人生の目的である。先人も最後は苦しみながら死んだという事実を考えるとき、我々もそれに耐えることができる。そして、先人の生き方を後世に伝えるという役割を考えるとき、人生の目的を探さなくても生きていけることを確信できるのである。

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