五百七、安重根は犯罪者ではあるが義士だ


平成25年
十一月二十三日(土)「安重根義士」
安重根は殺人犯だから犯罪者ではあるが義士である。私がさう断定する理由は、明治天皇のお父君を伊藤博文が殺したことを暗殺理由の一つに挙げてゐるからである。
安重根は日中韓で西洋列強へ対峙することを主張した。だから当時の日本の汎アジア主義者からは評価が高い。
安重根を日韓の対立点にしてはいけない。拝米偏向新聞に騙されてはいけない。

十一月二十五日(月)「三島由紀夫は犯罪者か」
今日は三島由紀夫の命日である。三島は厳密に言へば不法監禁、傷害、銃刀法違反で犯罪者である。しかし三島由紀夫を犯罪者だといふ人はゐない。同じように安重根を犯罪者と呼ぶべきではない。

十一月二十六日(火)「孝明天皇の死因」
孝明天皇の急死は安重根が指摘するように疑惑である。島津斉彬の急死も疑惑である。あの時代は西洋医学が急速に入つたから、食事への毒見だけでは発見できない方法を使つたと見るべきだ。
二人のうち一方が生存してゐれば明治維新はあり得なかつた。伊藤博文本人が孝明天皇を暗殺した訳ではないが、その結果として明治維新があり伊藤は首相になつたのだから、安重根の指摘は的外れではない。

十一月二十七日(水)「赤穂浪士は犯罪者か」
間もなく赤穂浪士の季節が来る。正しくは太陰暦だから二ヶ月先だが普通は十二月に全国で催し物がある。赤穂浪士は当時の法律では犯罪者だし、今の法律でも家宅侵入、殺人、器物破損、凶器準備集合罪である。だからと言つて赤穂浪士を犯罪者だといふ人はゐない。

十一月二十九日(金)「宮内庁が四十七士の資料を公開」
宮内庁が四十七士の資料六点を十二月二日からインターネットで公開することになつた。いずれも江戸後期の写本で、明治以降皇室に献上された。

十二月七日(土)「中野泰雄著『安重根と伊藤博文』その一」
中野泰雄著『安重根と伊藤博文』は平成八年に書かれたから時代の悪影響は多少受けてゐる。ここで時代の悪影響とは昭和六十年以降の円高による急激な西洋化のことである。しかしこの書籍は昭和四十年代まではまだ日本に残つてゐた汎アジア主義の立場に立つた良質な書籍である。
私は伊藤博文と岩倉具視は好きではない。伊藤は俗物で好色、岩倉はずるいやつといふのがその理由である。この書籍も伊藤博文、岩倉具視、そして福沢諭吉を批判的に扱つてゐる。戦後のお札に伊藤博文と岩倉具視が使はれ、今また福沢諭吉が使はれてゐる。これは西洋化政策を企む者の陰謀と言へなくもない。伊藤博文は夏目漱石に代はつたが短期間に終はり今は野口英世である。野口の妻はアメリカ人だから巧みなアメリカ属領化政策が潜んでゐると見るべきだらう。

十二月八日(日)「中野泰雄著『安重根と伊藤博文』その二」
安重根は第一回公判で
一九〇四年、日露戦争に際し、日本天皇陛下の宣戦の詔勅によれば、日本は東洋の平和を維持し、韓国の独立を期するためにロシアと戦ったので、韓国人はみな感激して、日本人と出陣して働いた者もあります。また韓国人は日本の勝利をまさしく自国が勝ったもののように喜び、これによって東洋の平和は維持せられ、韓国は独立できると喜んでいました。ところが伊藤公爵が統監として韓国にきて、五箇条条約を締結しました。

これについて日清戦争の開戦詔勅にあつた「東洋の平和」と「韓国の独立」が、「東洋の治安」と「韓国の保全」「韓国の存亡」に書き改められたことを安重根は知らなかつたといふ。しかし天皇の真意と長州軍閥に依存する伊藤の違ひを安重根はよく洞察し、旅順刑務所の関係者たちと水野吉太郎弁護士たちはよく理解したといふ。

十二月十四日(土)「安重根の時代、昭和六十年代までと現在の違ひ」
安重根には汎アジア主義者を中心に多くの日本人の同情が集まつた。薩長への反発もありそれが反洋化政策、汎アジア主義を生んだとも言へる。戦後も昭和六十年代までは汎アジアの気風が日本に残つてゐた。
プラザ合意と米ソ冷戦体制の崩壊で、日本は拝米、拝西洋が癌細胞のように増大した。今こそ汎アジア主義を復活させるべきだ。(完)


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