四百八十九、私の勤務する会社のソフトウェア輸入事業と中国事業の終焉


平成25年
十月十一日(金)「ソフトウェア販売事業の終焉」
私が今から20年前に今の会社に転職したとき、ソフトウェア販売は会社の看板事業だった。自社で開発したものもあるが、顧客から受注して開発したものを販売してよい場合もこの当時は多く、よそのソフト会社はこれで儲けるところが多かつた。当社の場合は一番多いのは海外製品の輸入で、ソフトウェア販売事業の9割を占めた。
当社の得意分野は中間クラスのコンピュータで、かなりの利益を上げてゐたが、十年ほどするとパソコンばかりになつた。ハードウェアの価格が暴落するとソフトウェアの価格も低下する。まづ社内のハードウェア販売事業が消滅した。ソフトウェア販売事業は粗利率の高さからこのときまだ社内では注目されていた。しかし数年でソフトウェア販売事業も消滅した。

十月十二日(土)「中国事業」
十三年前に日本人が経営する東京の会社で、中国の技術者を日本に派遣する会社が債務超過になつた。うちの会社が事業を買ひ取る形でそこの会社の解散を支援し、日本人と中国人の営業が一人づつ移籍して来た。二人とも優秀で特に中国人は日本人と変らない日本語を話した。
あまりに日本語が堪能なので私が別の人に雑談で「朝鮮族なのではないか」と言つたところ、いつの間にかその話が社内を一周して私のところに「日本語が上手いのは朝鮮族らしいよ」と戻つてきたことがあつた。言ひ出したのは私なのだが。この件は気になつたので中国人の事務の女性に聞いたところ漢族で北京出身が真相だつた。
日本語が上達する秘訣は、或る程度日本語が話せるようになるとほとんどの人は日本語の勉強を止めてしまふがそこで止めずにずつと続けることださうだ。これは日本人が外国語を学ぶ場合も同じである。十数年ほど前に日本のマスコミが突然英語、英語と騒ぎ出し暫くして朝日新聞編集委員の船橋洋一が英語公用語を叫んだ。日本人は一生外国語を勉強する覚悟があるのか。その時間を別のことに生かしたほうがよくはないか。外国語の習得が得意な人は一生続けるべきだ。それ以外の人はその時間を有意義に生かすべきだ。

十月十三日(日)「細々と続いた海外との連絡」
販売したソフトのサポート業務があるため、ソフトウェア販売事業が消滅の後も、私の海外との連絡は細々と続いた。これが無くなつたのは四年前である。かつて海外との連絡は大変だつた。FAXが普及するにつれて楽になつたが、会社の社章を背景に印刷する必要があつた。三つの国際電話会社があつて001の国際電電は10円高かつた。日本からは掛けないが外国からは電話を掛ける人がゐた。FAXと電話で値段が同じなら電話のほうが手軽だといふ次第である。だからこの当時の海外業務は常に緊張を要した。
メールの普及とともに電話の使用が消滅した。メールは楽だから誰でも海外と連絡が取れる。私の業務から海外が消へたのはさういふ理由もあつた。私が英文を書けば5分間で出来るものを普通の人に書かせると半日は掛かる。さういふ事情は、英文が書けた、海外から返事も来た、といふ喜びで打ち消されてしまふからだ。

十月十三日(日)その二「中国事業」
中国事業には私は係はらなかつた。尤も中国事業を引き取つた後の解散した会社の社長がアメリカ系企業に就職し、そこからの仕事を私が行つた。つまり社内には親米の仕事の人と親中の仕事の人がゐて、私は親米だつた。
11年前に大連の中国企業と連携し、技術者提案を日本の大手コンピユータ会社に掛けたが興味がないといふ返事だつた。一括受注し社内で中国人を使はないと駄目である。日本側技術窓口は私の上司で海外経験はまつたくない。私は海外業務が長いのだから私にもやらせればよいのに仕事を独り占めするからうまく行かなかつた。
六年前に北京に子会社を作り、以前引き取つた日本人と中国人が駐在した。しかし昨年シロアリ民主党の日中冷却化の影響で撤退が決まつた。日本人と中国人は日本に戻つたが、今年の八月末で中国人が退職、先月末で日本人も退職し、ここに中国事業は消滅した。

十月十四日(月)「二つの新製品」
推論機能を開発するといふ海外企業があつた。アイディアはあるが開発費がないといふ次第で、媒介した日本企業はある程度知識があるから彼らにも完成後の販売をやらせなければ駄目である。ところが彼らは完成までで販売は当社がやるといふ。それでは駄目だがこれも私の上司が独り占めするから私には発言の機会がなく、予想通り一本売れたか売れないかで終つた。大金が無駄になつた。
次に統計分析に脳細胞の原理を用いるソフトをよその会社から買い取つた。今回はやつと私が担当になつた。ところが曰く付きの製品だつた。よその会社で五年くらい販売したが厖大な赤字を抱へた。これまでのマニュアル翻訳費用や販売促進資料製作費を当社が負担して引き取るのだが、営業部長もいつしよに引き取れば無料だといふ。といふことでこの人が私の上司になつた。
噂では前の会社でこの人の部下になつた人は次々に退職するさうだ。まるで死神である。その理由はすぐに判つた。一日か二日に一回の割合で騒動を起こす。幸いうちの会社では営業と技術が同じ部に所属することは稀である。だから騒動の内容を具体的に説明して組織を分けるよう希望を会社に出した。しかし却下されたばかりか私は担当を外された。だいたい前の会社でうまく行かなかつた人に新しい会社でやらせてもうまく行くはずがない。この人は契約社員だつたので翌年解雇された。
かうして当社の輸入事業は消滅した。あとは私が四年前まで細々と海外と通信してきた。今でも私の机の上には英和大辞典が置いてある。二十年前にサポート部が社内で何かの賞を頂いた。そのときの賞金で買つたものである。誰も引き取らないから私の机にある。いつ次の製品の担当になつてもよいようにといふ意味合ひもある。(完)


メニューへ戻る 前へ 次へ