四百四十、百貨店の屋上遊園地


平成25年
六月三十日(日)「川崎の屋上遊園地」
今から十五年くらい前に川崎のデパートの屋上遊園地に子供を連れて行つたことがある。妻が下の子供の面倒を見るのでその間、上の子供を連れて行つてほしいといふことだつた。遊園地の遊びのカラオケボツクスで、おもちやのマイクが2本あり実際にはスピーカーに繋がつてはゐないが硬貨を入れると伴奏が流れ、「迷子の迷子の子猫さん・・・」と子供と歌つた記憶がある。
三年ほど前、川崎のアトレ川崎に行つたとき屋上に行くと遊園地がない。調べるとアトレ川崎は株式会社川崎ステーションビルが昭和三十四年に駅ビルかわさき、昭和六十二年に川崎BEと改称、三年前に株式会社アトレに吸収された。それが原因だらう。さつきまでさう思つてゐた。
調べると株式会社ナコスといふ会社のホームページに「ファミリーランドさいか屋川崎店」が平成21年11月末日をもって閉店となりました。 とある。さいか屋が正解だつた。川崎駅の南口は以前はすぐ道路に出られたが今は地下街になつた。だからアトレ川崎と間違へた。
ナコスのホームページによると同社は、プレイランド横浜高島屋店、わんぱくランド港南台店、ファミリーランドさいか屋川崎店(閉鎖)、なかよしランドさいか屋横須賀店、なかよしランドさいか屋藤沢店で屋上遊園地を運営してゐる。

六月三十日(日)その二「松坂屋銀座店」
今日で松坂屋銀座店が閉店になる。だから昨日松坂屋銀座店に寄つた。たくさんの客で賑はつてゐたが、特売目当ての人が九割、昔を懐かしむ人が一割と目算した。
屋上は半分が空き地、残りにミニカー、ゲーム、ペツトシヨツプ、神社といふ普通の屋上風景が所狭しと言ひたいが所広しと展開されてゐる。壁があちこち剥げ落ちてゐるのが目についた。インターネツトで調べると空き地は夏にはビアガーデンを営業し500席、立食なら700人まで可能ださうだ。
松坂屋を出て周りを一周すると裏に小さな別棟があり三階に連絡通路がある。もう一度入り三階に行き連絡通路を行き来してから帰つた。別棟は三階の一部のみ特設会場として張り出してゐた。

六月三十日(日)その三「東急東横店」
東急東横店は東館、西館、南館に分かれる。それぞれに屋上があり、南館はベンチとビアホール、西館はフットサル、東館が遊園地、ペツトシヨツプ、神社である。しかし三月末で東館が閉店になつた。
閉店の前に一回訪問したがだうも東館、西館、南館の位置がよく判らない。地上三階から発車する地下鉄銀座線と、それと直角に地上二階を走るJRが三つの館内を通ることは判るがどの館のどこを通るのかが判らない。そこで本日都内の図書館に行つたついでに東横店に寄つて調査をした。東館が閉鎖された後で二館しかないので今日はよく判つた。

南館と西館がJRの4本ある線路の西、東館が東。東館と西館は五階から七階までで繋がつてゐる。閉店の前に来たときは連絡橋ではなく完全に建物として接続し売り場の境界が何処かも判らなかつた。しかし東館の屋上が西館の八階と繋がることでJR線路上の建物は東館だと判る。
東館の本体とは色と構造の違ふ建物が張り出しそこに銀座線が吸ひ込まれる。だうやら最初は東館の隣は空き地で、後に銀座線の線路の上に東館を拡張したらしい。

六月三十日(日)その四「松屋浅草店」
松屋浅草店は先日都バス一日乗車券で浅草で乗り換へるときに立寄つた。屋上は空き地でスカイツリー見物用の台が用意されてゐる。
調べると松屋浅草店は昭和六年の開店と同時に日本最古の屋上遊園地を開業した。これは日本娯楽機製作所(現、ニチゴ)の運営で、同社のホームページには span class="midori">松屋銀座屋上プレイランド(閉店しました)、イオン西新井「ニチゴランド」大井町阪急内、「ゲームコーナーニチゴ」甲府市遊亀公園内こども遊園地が載つてゐる。
三年前に松屋浅草店自体の営業低迷で四階から七階までを閉店、屋上遊園地も閉鎖した。昨年四階から屋上までをEKIMISEとして開業した。屋上は夏季にエキビア スカイツリービューとして営業してゐる。

七月二日(火)「新宿の百貨店」
京王百貨店は小規模ではあるが遊園地が残つてゐる。金魚シヨツプ、ペツトシヨツプ、植木売り場、ゲームコーナーもあつて昔ながらの雰囲気を伝へる。
小田急百貨店は高層部分の屋上は大部分がレストランの屋外部分で、一部自由に入れる部分がある。そこに屋上神社がある。低層部分は滑り台しかなくあとは植木といふ変り果てた姿があつた。
伊勢丹の屋上は植木とベンチがたくさんあり、神社とステージもある。貴重な憩ひの場ではあるが遊園地はない。
丸井はイギリス庭園なるものがある。日本庭園なら懐かしさを感じる。今度改築するときは池と灯篭と東屋の日本庭園にすべきだ。

七月三日(水)「ホームページの検索」
ホームページを検索したところ貴重な資料がたくさんあつた。今後もずつと掲載してほしいが削除されるといけないので、要点を将来の記録のために引用させて頂いた。
或るホームページには東京三大屋上遊園地として京王百貨店新宿店、東武百貨店池袋店、松坂屋上野店を挙げてゐる。

別のホームページでは、西武百貨店池袋店が五つ星で「メリーゴーランドが有る。スナックコーナーも充実。」とあるが既に廃止された。松屋浅草店は四つ半の星で「花屋敷にも負けない?」とあるがこれも廃止された。蒲田東急プラザは四つ星で「なんと観覧車が有る。スナックコーナーが有れば満点なのに。」とある。東急東横店も四つ星だが今年になり廃止された。上野松坂屋は三つ星で「大した物は無いが多くの人たちが訪れていて遊園地の雰囲気。」とある。 東急町田店も三つ星で「プラネタリュウムやインドアの遊び場も。」とあるが既に廃止された。京王新宿店は二つ半の星で「遊具は少ないが昔の雰囲気が漂う。スナックコーナーも有る。」

別のホームページには、松坂屋上野店の屋上遊園を運営する加藤工業の方の話「ここ最近、むしろ客足は伸びている」「地元密着型の上野松坂屋では『子どものころから来ている』という年配客も多く、昔ながらの屋上遊園地を必要としてくれている。店もサービス券を配るなど運営に積極的で、それが他店と違い今まで続けてこられた要因では」を紹介してゐる。「休日の来園者はのべ200~300人。親や祖父母に連れられた子どもたち以外にも、クレーンゲーム目当てのマニア層や、憩いの場を求める年配客なども弁当片手に訪れる。売り上げは決して大きいわけではないが、「力強い常連客」がその運営を支えてくれているという。

シブヤ経済新聞には、東急東横店の屋上遊園地が閉店になる記事で
・経営はニチゴ。
・屋上遊園地は戦後の昭和20~40年代に最も栄えた。1951(昭和26)年~1953(昭和28)年に東横百貨店(現東急東横店・東館)屋上と玉電ビル(現同西館)屋上との間を往復したロープウエー「空中電車ひばり号」より前から営業していたことから、「1947(昭和22)年・1948(昭和23)年ごろにオープしたのでは」。
・面積は約500坪。滑り台やトランポリンなどを備えるアスレチック広場「わんぱく島」(200円、4歳までは保護者同伴)、「機関車トーマス」などのレール走行乗り物遊具、消防車、船、ロボットなどをかたどった定置式乗り物遊具(100~200円)、エアホッケーやモグラたたきなどのゲーム機、綿菓子機、写真シール作製機などを置くゲームコーナーを展開。当初は観覧車など大型遊具も設置していたが、消防法の改正や時代に合わせて遊具を入れ替えており、現在は80台ほどの遊具・ゲーム機を備える。屋上ではペットショップ(1月末閉店)のほか、以前は売店や釣り堀なども営業していた。
・同所の昨年の来場者数は約31万人(うち利用客は8万人ほど)で、客層は、ファミリー7割、子どものみ1割、若者・年配客2割。7割がリピーターで、中には三代・四代にわたり利用していた人もいる。
・7割ほどは修理などを行い、同社が手掛ける甲府市遊亀公園(甲府市)内の子ども遊園地やイオン西新井(足立区)「ニチゴランド」などでの運用を予定する。

七月六日(土)「屋上庭園の減つた理由」
屋上庭園の減つた理由に次のことが考へられる。
・プラザ合意以降の物の値段が安くなり相対的に人件費が上がつたため、遊園地の従業員の給料に見合はなくなつた。特に雨天のとき営業できないのは大きい。
・これもプラザ合意以降電気代が安くなつた結果、冷暖房の普及が進み屋外で遊ぶことが敬遠されるやうになつた。
・家族連れで百貨店に行くことが少なくなつた。百貨店で売るものはフアツシヨン系が多くなつた。

結論として、諸悪の根源はプラザ合意による円高であり、そこに至るまでの貿易黒字である。(完)


追記七月八日(月)「都電の痕跡」
東横店の1階に気になる通路があつた。西口から東横店の中を東口に抜ける途中に幅4mくらいの通路が二つあつた。かつて都電がハチ公前まで乗り入れたときのトンネルではないかといふホームページがあり、確かに高さと言ひ幅と言いぴつたしである。しかし単に偶然だと思つた。東横店の中を路面電車が走る訳がないからである。ところが今回の閉店騒ぎでインターネットを調べると、ガードの跡だといふ。それなら判る。あの高さと幅は東横店ができる前の路面電車のガード跡としか考へられない。(完)


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