43、偏向新聞記者
平成十七年
5月17日
横浜市の教育委員会の諮問機関の部会が、小学生の英語を発表した。
東京新聞17日朝刊の1面と11面(3面)の記事である。
まるで、首相私的懇談会の委員の隣に住んでいる人が、英語を第2公用語にすると独り言を言ったと記事に書くようなものである。
5月18日
昨日の記事は、良識ある新聞社、例えば読売新聞と朝日新聞はまったく報道していない。
東京新聞は1面のトップと11面。東京新聞の異常さだけが目立つ。
5月20日
東京ディズニーランドを経営するオリエンタルランドが暴力団系企業に清掃業務を発注していたという記事が各新聞に載った。
読売新聞が最初に取材したそうである。
こういう記事こそ、新聞の使命である。記者の意見の押し付けはどうでもいい。
5月21日
19日も20日も読売新聞と朝日新聞はまったく報道していない。
東京新聞は、以前、マニフェストという珍妙な言葉が一般ではないときに、マニフェスト、マニフェストと毎日のように繰り返した。
さすがに読者から批判を受けたのか、今後は違う言葉を当てはめるとか掲載した。
その後もマニフェスト、マニフェストと繰り返した。
珍妙な言葉を繰り返しては、それを流行らせて喜んでいる。まるで低級な愉快犯なみである。
5月22日
読売新聞、朝日新聞は横浜市の教育委員会の諮問機関の一つの部会のことなぞついに全国版の記事にしなかった。
当然である。1つの市の委員会の諮問機関の部会のことをいちいち載せていたら何ページあっても足りない。
書く記事がないか、よほど偏向しているのか。
東京新聞21日の横浜版ページには、ついに1ページの5分の一を使って、部会長の会見を載せた。
東京新聞はいつから横浜市の一委員会諮問機関一部会の広報誌になったのだろう。
東京新聞ではなく、横浜市の一委員会諮問機関一部会新聞とでも改称したらどうか。
5月23日
英語の専門家を養成するのなら賛成である。
部会長の会見は、「横浜の良さを伝え観光案内ができる」レベルだそうだ。
それでは困る。だから小学校の英語に反対なのである。
「ヨコハマニ、オオキナミナトガ、アリマス」程度の会話を得意げに話す人を養成してもらっては困る。
5月24日
小ホームページは平成11年に下記内容を載せた。
「新聞社駐在員や一般の人の書いた海外の記事は、面白くないものが多い。英語を話せるという自慢と、海外に生活しているまたは行ったという自慢を発表したいという気持ちを除くと、あとは何も残らないからである。英語を勉強することの恐ろしさは、英語を話すということにとらわれて、肝心の中身が貧弱になることにある。」
当時、東京新聞を購読していた。「世界の街から、特派員リポート」というページがある。各国特派員10人の記事をまとめて1ページ載せるのである。中には優れたものもあるが、ほとんどが英語で話した、海外に住んでいる、という素人自慢話レベルなのである。
東京新聞だということは平成11年には書かなかった。それは東京新聞を応援しているからである。
東京新聞は気に入っている。自由競争であるべき新聞界にあって独自価格を維持しているからである。今後も応援していきたい。
一方で、「海外担当は偉い、エリートだ、駄文記事や偏向記事を書いてもいい」と考える記者は批判していかなくてはならない。
5月25日
朝日新聞の或る編集委員が、英語公用語なる珍妙な主張を行った。
この記者は首相私的懇談会のメンバーでもあった。
そして同懇談会が英語第2公用語なる主張を行い、世界の笑い者となった。6年前の話である。
小林よしのり氏と副島隆彦氏が月刊誌上で対談した。この編集委員がアメリカの国策シンクタンクとつながりがあることが判明した。
どこの新聞社にも、親米だったり、英語英語と騒ぐ記者がいる。
海外駐在時や駐日大使館への招待などで、各社に親米記者を作ってきたのだろう。
あるいは国際部に配置され、得意になって自慢したくて、英語英語とはしゃぐのかもしれない。
5月26日
主張は社説に書けばいい。記事は公正な題材を公正に書くべきだ。
読者は事件を知りたがっている。社会の不正を暴くことを期待している。
記者個人の主張を巧みに混ぜてはならない。
それでは洗脳である。ヒトラーと同じである。
5月27日
日本に欠けているのは真正エリートである。一方、日本に蔓延しているのは小エリートである。
真正エリートは大勢に流されず模範を示すことであり、小エリートは大勢の流れの中で肩書きやら能力を自慢し他より一歩前に出たがることである。
英語が堪能な人は、体得するまでにどれだけ時間がかかったかが判っている。
このような無駄は、できることなら多くの人たちには避けてほしいというのが本音であろう。
それにより得るものが、「横浜の良さを伝え観光案内ができる」レベルでは、余りに少ない。
その一方で、それでも勉強したい人にはがんばってほしいというのも、本音であろう。
国民全部が大型2種運転免許を取る必要はない。200円払って乗合自動車に乗ればいい。
国民全部が「横浜の良さを伝え観光案内ができる」レベルになる必要もない。
乗合自動車の運転手は、他の模範となる運転の真正エリートである。
新聞記者は偏りのない記事の真正エリートである。
英語英語と騒ぐ連中は小エリートである。
6月16日
毎日新聞の宣伝「主張を押し付ける新聞はもういらない」は立派である。
そのとおりである。新聞業界の自浄作用に期待したい。
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