三百九十九、慶應大学教授岸博幸氏批判


平成25年
四月十九日(金)「ゾンビ学者」
産業競争力会議が解雇規制の緩和を議論して以来、新聞が「金銭解雇を容認」と報道したりして世間の注目を集めてゐる。これについて岸氏は
産業競争力会議のHPで公開されている配布資料や議事録を読めば、金銭解雇を広く認めるべきといった提言や議論は何も行なわれていないことは明らかなはずです。


ここまで読んで私は一安心した。ところが岸氏はその舌の根も乾かぬうちに解雇規制の緩和を主張するのだから驚く。慶應大学は絶対に岸氏を解雇せよ。本人も緩和が実行されてさぞ喜ぶことだらう。国民は慶応大学に注目し続けよう。
解雇権濫用法理の内容が司法判断に委ねられ、裁判となった場合には最終的に金銭解決できない(裁判で解雇無効となると現職復帰しか道がない)ので、企業の側からすれば予測可能性を欠くことになります。


裁判になるのは一方が納得してゐないからだ。納得しない理由は日本には平成五年あたりから転職の自由がほとんどなくなつた。その前から中高年も転職の自由がなかつた。さういふ状況を無視して企業の側の都合だけしか見ないと岸氏のような主張になる。慶応大学は早く岸氏を解雇すべきだ。
だからこそ、実態として中小企業では解雇が頻繁に行なわれているのに対し、特に大企業では早期退職の募集以外の解雇が過度に抑制されているという現実を踏まえると、解雇に関する合理的なルールを法律で明文化し、ゾンビ企業に大量の雇用者が滞留して産業の新陳代謝が阻害される現実を変えて行かなければならないのです。


なぜ中小企業に解雇が多く大企業に少ないかといへば、大企業は中小企業に下請けに出し、非正規雇用もつかふ。つまり景気の変動を中小や非正規に転嫁するからだ。私が下請けと非正規雇用を規制しろと言ひ続けるのも一つはそれが理由である。
拝米猿真似ニセ学者や御用学者はゾンビ学者である。

四月二十日(土)「早期退職の募集以外は絶対に認めるな」
昨日紹介した発言でもう一つ許し難いのは「早期退職の募集以外の解雇が過度に抑制されている」の部分だ。それでよいではないか。会社による指名解雇が行なはれなくなつたのは、沖電気の解雇事件で労働側ががんばつたからだ。あのとき沖電気労組は解雇前は反対デモなどを行なつたくせに解雇者が発表された途端、解雇者を見捨てた。自分たちだけ残れれば良いらしい。解雇者だけで争議団を結成し左派系労組の支援を受けて半数は職場復帰、半数は金銭解決した。
和解のとき、一番争議の大きかつた沖電気労組八王子支部の加盟する電機労連三多摩の委員長は、私が所属した富士通労組南多摩支部の委員長が兼務で「解決金は応援した左派組合へのお礼で消へる」と発言した。沖電気労組は解雇者を見捨てたくせにその加盟団体がこんな無責任なことをいつてよいのか実に不愉快だつた。
半数復帰は不自然である。だから復帰した人たちもその後、仕事が与へられずほとんど退職してしまつた。

ともかく半数は復帰した。これで大手企業の解雇はなくなつた。解雇者と支援者で勝ち取つた貴重な財産である。今後の対策としては「解雇する企業は倒産させよう」をスローガンにしようではないか。勿論会社側は心配はいらない。解雇しなければ倒産はしないのだから。

四月二十日(土)その二「金銭解決」
岸氏は
「諸外国の立法例でも金銭の支払いで解雇できる旨の定めはない」という主張ですが、そんなことは当たり前であり、産業競争力会議もそんなことを求めてはいません。

と書きながらその次の行に
実際、ドイツの解雇制限法では「使用者の申請により、労働関係を解消させ、補償金の支払いを命ずる判決を下すことができる」と規定されており、またスウェーデンの雇用保護法では「使用者が解雇無効の判決を拒否したときは、雇用関係は解除されたとみなし、この場合、使用者は被用者に損害賠償を行なう」と規定されています。

と書いてゐる。これほど支離滅裂な主張はない。金銭の支払いは駄目だが補償金の支払いならよいといふことか。その場合はドイツ、スウェーデンの転職容易度と日本の転職容易度の違ひに合つた補償金を払ふべきで、それは極めて高額になる。それだつたら職場復帰のほうがよくないか。
「既存の正社員には“期待権”がある」という主張もありますが、正社員の期待権の反射的効果として非正規労働者が差別されているという現実を看過すべきではありません。一部の人たちだけが守られ、社会に歪みが生じている以上、立法で解決すべきことは当然ではないでしょうか。

私が非正規雇用に反対する理由は三つある。一つはかういふことを主張する輩が出ることだ。低いほうに合はせてはいけない。二つ目は万一会社が倒産した場合非正規にしか転職先がないと困ることだ。三つ目は労働組合が無力化されることだ。

四月二十一日(日)「いいかげんな主張の岸氏」
岸氏は
もちろん、だからと言って解雇規制の緩和だけをすべきではありません。マクロ的には人材の流動化は重要ですが、解雇される側にとっては生活に関わる問題ですので、やはり憂慮せざるを得ません。

と一旦は憂慮するふりをする。しかしその対策として
だからこそ、人材という資源を有効活用する観点からは、解雇規制の緩和とセットで職業訓練の質量双方での一層の充実を図り、極端に言えば、望めば失業している人すべてが高度な職業訓練を受けられるようにするといった雇用制度全般の変革が必要なのであり、今のままではそうした点が不十分になりかねないことが一番の問題なのです。


ずいぶんいい加減なことをいふ。今でも失業給付を受けた人は高度な職業訓練を受けられ、その間の失業保険が延長される。しかし失業給付額は安く家族、特に高校生、大学生がゐる場合はやつて行けない。私の所属する労組で私と同じ年齢の組合員で失業保険を延長し空調の技能訓練を受けた人がゐる。訓練終了後も仕事がなかなか見付からなかつた。此の組合員は子供がゐないので何とかやつて行けたが、我が家だつたら無理である。
今のままではそうした点が不十分になりかねない といふが、もちろん訓練制度が不十分だとしても、より不十分なのは訓練中の失業給付と訓練終了後の就職先だ。資本主義の欠点は失業者である。しかし資本主義の範疇でも失業者を無くすことは可能である。それを考案することが岸氏などの役割ではないのか。岸氏は通産省(当時)に入省し六年後にコロンビア大学経営大学院に留学した。官僚をアメリカに留学させたり、留学した人間を教授にしてはいけない典型である。(完)


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