三百八十九(乙)、都バス虹01、東98の廃止と海01、宿91の短縮


平成25年
四月一日(月)「虹01、海01」
都バスのホームページは何年間も見なかつたが昨日たまたま見たところ、この日限りで特徴のある路線が幾つも廃止される。虫の知らせとでもいふのだらう。
まづは虹01系統である。虹01の姉妹系統として海01がある。海01は品川駅の南口から海底トンネルを抜け船の科学館に寄り、何もない台場、有明を357号で走り抜け門前仲町から東陽町に至つた。後に台場、有明はビル街となり357号ではなくビル街を走るようになつた。また東陽町、門前仲町間が短縮された。
レインボーブリツジができると浜松町から台場有明地区までの虹01系統が新設された。最初は海01と併存し、しかし台場地区の循環方向が逆で、虹01の浜松町行きに乗り過ごしたから後ろから来た海01に乗つたりすると逆方向に連れて行かれた。その後、海01は西半分が廃止になり門前仲町と台場有明地区を結ぶだけになつた。これは疑惑だらけである。海01の西半分と並行する路線が今でも京急バスで運行されてゐる。海01は品川からだつたが京急は大井町や大森からである。駅の規模が品川より小さいから京急が不利である。それなのに都バスは廃止、京急は存続。
海01の西半分の後継ともいふべき虹01はかなりの乗客があつたのに昨日で廃止になつた。海01残存区間のうち、東京ビッグサイトに行く枝路線も廃止になつた。

四月二日(火)「東98」
かつては都バスと民営バスとの相互乗り入れ路線が多数あつた。しかしほとんど廃止され唯一残つたのが東京駅丸の内南口から等々力までの東98系統であつた。十五年ほど前にバス料金が値上げのときに、都バスは200円、民営バスは210円と値段に差が出た。そのため都バスは全線200円、東急バスは東京駅から目黒までは200円、目黒から先まで乗ると210円と変則的になつた。
そして今回都バスが廃止され東急バスが都バスの本数を含めて運行することになつた。東急バスにできてなぜ都バスにできないのか。210円に値上げをしてもよいから運行すべきだつた。

四月三日(水)「国際興業との乗り入れ」
民営バスとの乗り入れ廃止で今でも疑問なのは、国際興業との乗り入れ廃止である。当時、都バスは志村車庫があつた。そして志村車庫から東京駅までの路線があつた。都バス、国際興業合せて一日に65往復くらいあつたと記憶してゐる。バスの運行で一日五十往復を越へたら立派な路線である。赤字なら運行数を削減し四十台や三十台になるからである。それなのに突然廃止になつた。

四月四日(木)「宿91の短縮」
都バスで新宿から青梅街道を東高円寺まで走りそこから環七を代田橋までの系統と、東急バスで代田橋から環七を大森までの系統があつた。両方を乗り入れて新宿から大森までの宿91系統ができた。昭和59年に分割され新宿から代田橋を経て駒沢陸橋までの都バス宿91系統と、代田橋から大森までの東急バス森91系統に分割された。
代田橋から駒沢陸橋までは重なるが、都バスの本数は少なく末端部分はほとんど乗る人がゐなかつた。これは当たり前である。駒沢陸橋から一停留所分のところに都立大学駅と学芸大学駅がある。どちらかに延ばせばよいのに中間あたりを終点にするから乗る人がゐない。
乗り入れ路線が廃止され続けたのは均一料金が原因である。宿91では乗つたことはないが、かつて川口駅から新橋駅まで国際興業、都バスの乗り入れ系統があり、区間に応じて料金が上がつた。車掌が乗務してゐたのを憶へてゐる。昭和四六年ころ廃止された。車掌が廃止されたのもこのころであつた。
当時は人手不足の世の中だつた。今は人手が余つてゐる。タクシーに比べ乗客数がはるかに多いバスがワンマンでよい理由は経費削減だけである。工場も自動化が進み人手が減つた。事務所も減つた。失業者がでるのは資本主義の欠点だが、高額の資源使用税を創れば解決する。今回の都バスの路線再編は大きく見れば資源消費社会の流れの一端であつた。

都バスは赤字対策として、十年前に杉並支所をはとバスに全面委託した。その後、新宿支所、臨海支所、港南支所、青と支所と拡大した。本来、はとバスに委託すればはとバスの利益分だけ都バス直営より経費が掛かる。それなのに経費が下がるのははとバスの労働条件が悪いためだ。公営企業がさういふことをしてはいけない。本来すべての企業にさういふことを禁止すべきなのに、なぜ公営事業がさういふことをするのか。都バスは民営化する時期に来たといへる。(完)


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