三百八十九(甲)、東横線の旧渋谷駅と日比谷線乗り入れの廃止


平成25年
三月三十一日(日)「旧渋谷駅の廃止と日比谷線乗り入れの廃止」
東横線が副都心線に乗り入れた。そのため旧渋谷駅が廃止になつた。日比谷線乗り入れも廃止になつた。どちらも思ひ出がある。
伯母が元住吉に住んでゐたため、幼稚園や小学生の時によく母に連れられて元住吉に行つた。最初は都電で渋谷に行きそこで東横線に乗つた。東横線は緑色の電車で扉は下部が内側に曲線で曲がつてゐた。ステンレス製の銀色の電車も来た。後に日比谷線が開通したため仲御徒町から日比谷線で元住吉まで直通するようになつた。
元住吉は川崎市だが、当時は川崎に電話を掛けるのは大変だつた。まづ交換手に申し込む。受話器を置いて暫くすると電話機が鳴り、交換手が繋ぎますといふ。すると通話ができた。
会社員や女性や中高大学生や多くの人が消え行く渋谷駅の写真を撮つてゐた。人それぞれ思ひ出があるのだらう。
私にはもう一つ思ひ出がある。富士通時代は渋谷から武蔵小杉まで乗つた。当時は多摩川園の観覧車がまだ残つてゐた。田園調布駅には使はれてゐない小口貨物の積み下ろし線があり東横線の上り、下り、目蒲線の上り、下りと繋がつてゐた。武蔵小杉駅は上りとくだりのホームが左右にある簡単な駅だつた。今の大倉山や妙蓮寺と変らなかつた。唯一の違ひは国鉄南武線との連絡で、当時は国鉄改札口、国鉄東急連絡改札、東急改札口と二人三脚ならぬ二線三改札で、東急の切符で国鉄改札口から入つて東急に行くことと国鉄の切符で東急から入つて国鉄に行くことができた。だから私の場合、定期券は浦和から渋谷経由で武蔵小杉だが、実際は川崎で南武線で乗り換へて武蔵小杉で降りることもできた。朝は赤羽、池袋、渋谷の乗り換への混雑を避けるためこの経路をよく用いた。まだ埼京線や湘南新宿ラインのない時代である。赤羽線は赤羽池袋間の短距離を往復してゐた。国鉄だつて混雑した駅で乗り換へられるより余裕のある川崎駅で乗り換へたほうが都合がよいはずだ。互いの利益になつた。

四月一日(月)「日比谷線乗り入れ」
日比谷線の乗り入れ中止について東急の公式見解は、20m車8両又は10両の東横線に、18m8両の日比谷線が乗り入れるとホームドアが複雑になるといふものだ。それ以外に、(1)東横線の特急、急行が各駅停車を必ず追ひ越すようダイヤ改正されてから、日比谷線直通の乗客が減り中目黒で乗り換へる人が増へた、(2)ダイヤが乱れたとき日比谷線に乗り入れると運行整理が難しくなる、を挙げる人もゐる。インターネツトは便利である。(1)は鉄道フアン、(2)は東急以外の私鉄の運転士の意見だが、かういふものを掲示板やホームページで見ることができる。
朝のラツシユ時に中目黒の上りホームに日比谷線直通列車が発車した後は人があふれて危険である。直通列車ではなく始発に乗らうとする人が多いからだ。夕方ラツシユ時の下り直通列車は武蔵小杉あたりで後方の車両はがらがらになる。直通列車はだいたい元住吉で抜かれる上に菊名止まりだから後方で降りる人がゐないからだ。日比谷線は5ドア車が編成に組み込まれることがある。これだと始発駅の乗車位置が不親切である。これらの理由で日比谷線乗り入れ中止は当然であつた。

四月二日(火)「日比谷線の将来の活用法」
中目黒駅は東横線と日比谷線が対面で乗り換へできる。その利便さを考へれば今のままでもよいが、湘南ライナーに奪はれた乗客が今後少しずつ東横線に戻ることを考へると、将来は中目黒と自由が丘を複々線にして日比谷線はすべて自由が丘まで乗り入れるとよい。
特急、急行は中目黒を通過させ、都立大学、学芸大学、祐天寺は普通列車も通過させる。これで湘南ライナーと時間でも対抗できる。中目黒はホームが狭くて危険だがそれも解消できる。

四月三日(水)「日比谷線方式と半蔵門線方式」
相互乗り入れ駅の構造は、本線から分岐した亘り線を他社線に接続する方法と、本線どうしが完全につながる方法がある。旧中目黒駅は前者、田園都市線と半蔵門線の渋谷駅は後者である。今回の東横線と副都心線の渋谷駅も後者だが渋谷駅で折り返しの電車があるからやや不完全な後者である。
後者の場合、線路と架線が完全につながつても、運賃計算と運行管理者は分割されてゐる。だから東横線と副都心線の渋谷駅は降りる乗客が多い。これが列車遅延の原因になつてゐる。
運賃の計算は(1)初乗り運賃に距離に応じて加算する方法、(2)距離に比例する方法、の二種類ある。後者の方法を用いるのはJR、前者の方法を用いるのはその他の鉄道会社すべてである。だからJRは短距離は私鉄と比べて同額か安い。ところが少し長く乗ると私鉄に比べて極めて高くなる。国土交通省はどうしてこんな詐欺まがいの方法を放置するのか。と同時に私鉄同士の乗り入れは前者だから初則運賃の二重取りである。鉄道会社の必要経費は乗車駅費用+運送費用+降車駅費用に分類できる。相互乗り入れはこのうち本来はかからないはずの中間駅での降車駅費用と乗車駅費用を徴収するから一種の詐欺である。渋谷駅で全員が降りて改札を一旦出て再び入り乗車するときの料金を徴収するからである。

四月四日(木)「菊名駅」
菊名駅はSUICAやPASMOが普及するまでは、東急JRの共通改札口が一箇所あるだけだつた。だから東急とJRのプラットホームにはプラツト行けた。ではなくふらつと行けた。両者を分離し連絡通路にも自動改札を設けたのはSUICAやPASMOの途中経路を把握するためであつた。決して一部の人がいふようにキセル対策ではない。
古くは菊名では入換専用の亘り線があつた。ここで国鉄と東急の貨車の授受を行つた。貨車は田園調布などの側線で小口貨物を扱つたと思ふ。といふのは私が東横線に通勤で乗つたときは既に貨車は走つてゐなかつた。
菊名駅では国鉄の貨物列車から入換で東急側の貨物側線と貨車の授受を行なつた。菊名では見たことがないが、川越駅で見たことがある。昭和五十年ころ当時は単線非電化タブレツト方式の川越線で、貨物列車が到着して貨車を入換で東武のプラツトホームの更に北側の貨物側線とやり取りするところを見たことがある。駅全体を国鉄なり私鉄が委託を受けて管理するから入換も一回でできた。

四月五日(金)「東急と西武の争ひ」
今回の副都心線乗り入れにより、東急と西武の車両が相互に相手側の線路を走ることになつた。これについて、かつての伊豆箱根地域での東急と西武の争ひと絡めて感慨深く書くホームページやブログが多い。鉄道雑誌あたりの記事を鵜呑みにしたのだだらうが、この意見には反対である。
伊豆箱根は同じ地域に進出しようとして争ひになつた。今回の乗り入れは首都圏の南部、北部と住み分けてゐる。決して東武川越線と西武川越線が相互に乗り入れたのではない。争ひになる要因は何もない。
次に伊豆箱根地域の東急、西武の争ひはよいことである。小田原から箱根を一周するのに正規の運賃を払つたら大変な額になる。東急系と西武系が争つたおかげでクーポン券ができ安く旅行することがてきる。

東急系(小田急系)は箱根登山鉄道・バス、箱根ケーブルカー、箱根ロープウェイ。西武系は伊豆箱根鉄道・バス、駒ヶ岳ロープウェイ。駒ヶ岳ケーブルカー(廃止)。
東急系は箱根登山鉄道を持つ分だけ有利で、西武系は駒ヶ岳ケーブルカーを廃止し不利になつた。西武系の伊豆箱根鉄道大雄山線が生かされてゐない。逆転するには大雄山駅から最乗寺、明神ケ岳、大涌谷を経由して駒ヶ岳までのケーブルカー・ローブウエイを建設することだ。ただしこれは東急系に勝つ方法で、今後の人口減少を考へると得策かだうかは調査が必要である。今後省エネルギーが世界の傾向となり海外旅行や自家用車が減少することを考へれは可能性はある。

四月六日(土)「箱根の競争を東海道に」
箱根はクーポン券のおかげで旅行客が多く賑はつてゐる。もし西武か東急のどちらかしか進出しなかつたら、寂れた観光地に留まつたただらう。
JR東海がリニア鉄道を建設するのはよくない。それではリニア、従来の新幹線、在来線と独占してしまふ。リニアを作るなら新幹線は譲渡させるべきだ。新幹線を運営するならリニアから手を引くべきだ。


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