38、天皇の役割
平成十七年一月廿一日
(平成十八年改定)



明治天皇が崩御されたとき私の祖父は松本の小学生であった。ご大葬の参列者に選ばれ校長とともに上京した。校長も参加できてたいそう喜んでいたそうである。 祖父が選ばれた理由は判らないが、古老がいうには県庁が松本か長野か明日に決まるというときに松本で大火があり長野に決まり、その大火で浄土真宗本願寺派の寺が全焼し祖父の家で住職一家を引き取ったそうである(松本で二度の大火があり古老の話はもう一方の大火と話が混同している可能性がある)。明治維新前後の松本藩の廃仏毀釈は激しく宗教関係の書籍に水戸薩摩長州と並び登場するくらいである。そのような土地で住職一家を引き取る行為は尊く神仏のご利益かも知れない。


1 天皇の報道
僧侶神官は背広や私服を着た姿で信者の前に現れるべきではない。同様に天皇も古来の姿で国民に接することが望ましい。 背広を着て顕微鏡を見る天皇は、軍服を着て閲兵する天皇と同じくらい不相応である。昭和天皇のそういうお写真を一回見た事がある。天皇様が私生活で顕微鏡を見ることはご自由である。しかしそれを報道することは適切ではない。戦後の、天皇様皇后様がにこやかに国民に挨拶される姿は一見ほほえましいが、マッカーサという邪悪な男が日本文化を破壊せんがため仕組んだ罠である。開かれた皇室というのは欺瞞である。

2 天皇は海外に行かれてはならない
伊勢神宮の御神体や奈良の大仏をあちこちに輸送し公開したら有難さも何もあったものではない。奈良の大仏の場合は運送会社から割増料金も請求されるだろう。 天皇は海外に行かれるべきではない。 皇族方が海外にご留学されるのも止めるべきである。国民の欧米かぶれ、英語かぶれを助長する。どうしてもご留学されるときはタイ、マレーシア、カンボジアのように国王がいるアジアにすべきである。その国の言葉を習得されるのが望ましいが通訳を雇ったってよいのである。

3 陛下と殿下
ずいぶん前の話だが、日本の競走馬の関係者が世界的に著名な血統の馬の子孫を作る記事を読んだ。その馬はアラブのさる殿下が所有されていて金額を提示したが殿下は承諾されない、何回か金額を上げてついに殿下も首を縦に振られた、というものであった。ここだけ読むと殿下というのはずいぶんお金に執着される方なのだ、と思ってしまう。しかし外国には外国の事情がある。アラブという馬の種類でも明らかなようにアラブでは王族が馬を持つ事はたぶん普通なのだろう。しかも馬を売ってくれと言ったのは日本側である。殿下が売り込んできたのではない。しかし読者はそこまでは考えない。 カンボジアのシアヌーク殿下がポルポト派と連合したというニュースもあった。その国にはその国の事情がある。シアヌーク殿下は国のために精一杯努力したのである。もしあのときポルポトと組まなかったらカンボジアはアメリカの属国になっていたであろう。しかし読者はそこまで考えない。殿下というものはポルポトと同程度なんだと思ってしまう。 報道機関は外国の国王皇族を陛下殿下とは呼ばないか、あるいは逆に日本の天皇皇族方に陛下殿下を使わないかどちらかにすべきである。明治維新後に陛下殿下の呼称が広まったことを考え、天皇皇族方には使わないことが望ましい。京都では天皇さんと、さん付けで呼ぶと聞いたことがある。

4 古事記
古事記は古事の研究者には貴重な資料であろう。しかし農村の若い娘にやたらと声をかける万年発情天皇やら一族で争いを繰り返す権力争い天皇が出てくる。作られた当時と今の習慣事情の相違を考えると古事記を非難することは正しくないが、この書物を権威書のように扱うべきではない。仏教関係者やXX教徒、革新系、優秀な国民を反天皇にしてしまうおそれのある書物が古事記である。国民融和のためには本居宣長以前に戻る必要がある。

5 天皇の神聖さのはじまり
天皇の神聖さはいつ作られたのであろうか。それは鎌倉時代から江戸時代にかけてであろう。奈良時代は行政の都合で天皇の神格化が必要となり古事記が作られた。しかし天皇に阿る者が蔓延る世俗の時代であり、神聖とは無縁であった。一方、鎌倉時代以降の天皇は行政権は失ったが権威は高くなった。

6 新しい天皇
天皇は古来の伝統を守るべきだが、国民に夢を与えるため新しい試みをされてもいい。例えば天皇と内閣に同じニックネームを付けたものを天皇内閣相談の上で付けるというのはどうだろうか。 森前首相時代だったら、天皇は国民代表、内閣は国民内閣である。現政権だったら天皇は行政改革代表、内閣は行政改革内閣だろうか。昔の美濃部都政の国政版内閣だったら 首相は労農代表、労農内閣を天皇に進言するかもしれない。今上様なら農業は国の根本ですので先のほうがよくないですか、労働は狭い意味に取る人がいるといけませんね、とおっしゃるかも知れない。農業勤労者代表、同内閣あたりに落ち着くかも知れない。 ちなみに突然美濃部都政を持ち出したが、戦後の都政で優れているのは美濃部、石原の両都知事である。左だ右だと評論するのは冷戦時代の遺物である。今は独立国として相応しいか属国政治家なのかで判断すべきである。

7 皇太子妃様御病気の原因
皇太子妃様がかなりご回復になったことは喜ばしい。御病気の原因は日本国内に蔓延する欧米かぶれである。このような状況のなかで皇太子妃様がご自分の才能が活かせないとお悩みになられるのも無理はない。まず、国際の仕事をするのは偉くも何でもない、日本という国をよくすることが偉いという本来の日本に戻すべきである。 皇太子様皇太子妃様には国民を幸せにするという重責を担われているのだから、軍事力を背景に脅し合い、騙し合い、その国の三流四流人間に対するおだてを繰り返す外交官という地位を離れたことは幸いなことである。

8 日本に国家元首とCEOは不要
国内の企業でCEOのいるところがあるが、それにはそれなりに理由があり、その意欲に敬意を表するものである。しかしその他の企業にCEOは必要ない。
鎌倉時代は天皇に任命された征夷大将軍の家臣の執権が実権を握っていた。日本では誰が国家元首かを決める必要はない。 現在でも同様である。天皇がいて首相がいて国民がいる。それで十分である。欧米式に誰が国家元首かを決める必要はない。


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