三百六十四、地球を守るため今こそ石原莞爾の最終平和論を活用すべきだ


平成25年
二月九日(土)「エゴ勢力をエコ勢力に」
地球の滅亡を防ぐには、まづ移民国に移民受け入れを停止させ、次に広大な国土に広がる人口を独立時の十三州に移転させ、次いで移民国以外の国々が主導して二酸化炭素削減を割り当てるべきだ。
この程度の最低限はやらないと地球は滅亡する。ところがこれに抵抗するエゴ勢力がある。エゴ勢力をエコ勢力にするには石原莞爾の最終平和論が生きる。
石原の最終戦争論は、帝国主義西洋列強がひしめく中で平和を追求するものだつたが、当時の世界情勢では戦争なしに平和は無理である。だから最終戦争論と名付けられた。今は平和の世の中だから最終戦争論では誤解を招く。そこで私は最終平和論と呼ぶことにした。

二月十日(日)「時間を越へた思考」
最終平和論では、
戦術の変化を見ますと、密集隊形の方陣から横隊になり散兵になり戦闘群になったのであります。これを幾何学的に観察すれば、方陣は点であり横隊は実線であり散兵は点線であり、戦闘群の戦法は面の戦術であります。点線から面に来たのです。この次の戦争は体(三次元)の戦法であると想像されます。(中略)その戦争のやり方は体の戦法即ち空中戦を中心としたものでありましょう。われわれは体以上のもの、即ち四次元の世界は分からないのです。そういうものがあるならは、それは恐らく霊界とか、幽霊などの世界でしょう。われわれ普通の人間には分からないことです。要するに、この次の決戦戦争は戦争発達の極限に達するのであります。


石原の予想した最終戦争は、その前に原爆が使用されたため米ソの冷戦になり、ソ連の崩壊とともにアメリカが勝利した。これで永久平和が来るのなら喜ばしい。しかし地球は温暖化で滅亡寸前なのに、アメリカは先進国で人口一人当りの二酸化炭素排出量が最も多く、それでゐて世界中の削減計画には最も反対してゐる。移民は毎年多数を受け入れ、広大な大陸に広がつて居住するから自動車の排気ガスも多い。アメリカが二酸化炭素削減に反対するのは世界唯一の超大国の地位を手放したくないだけである。つまりアメリカは帝国主義である。
四次元は時間の流れが加はる。つまり人類の長い歴史を利用し、アメリカに帝国主義を放棄させるべきだ。世界中のすべての国はまづ伝統国と移民国に分類される。伝統国は団結し、移民国に対して移民の受け入れの停止と、出生率を一般先進国並みに低下させることと、国土の一部にまとまつて住み他の地域は自然保護区兼先住民保護区にすることを提案し受け入れさせるべきだ。
国土の一部にまとまつて住むことが嫌ならば分散してもよいが、その場合に自動車や飛行機の使用は禁止すべきだ。

二月十一日(月)「平衡が永続を可能にする」
人類は少しづつ進歩しながら、しかし一つの時代で見れば進歩することなく安定してゐた。産業革命ののちは急激に進歩を始めたが、人類が自分たちの生活と地球を破壊することに気付かぬはずはない。無意識のうちに先進国と称する国々では人口増加率が低下し、非先進国では西洋への反発が起き急進派は共産主義、穏健派はバンドン会議に集結した。
例外は移民国である。人口当りの国土の面積が異常に広いから人口増加率が低下せず、そればかりか今でも移民を受け入れ、自動車や飛行機によるエネルギー浪費は莫大である。移民国を放置すると地球が滅びる。

二月十二日(火)「時の流れ」
ここ十年くらいの現象だが、日本と欧米は自由、民主主義といふ共通の価値観を持つといふ低級な主張をする輩が現れた。米ソ冷戦時代を考へてみよう。北朝鮮は今ほど独裁や世界での非常識がひどくはなかつたし、韓国は独裁だつた。金大中氏が日本から拉致され最初は日本海で殺害の予定だつたがKCIA(といふ用語は昭和四十八年頃には流行つた)の犯行が世界中に知られてしまつたため突然韓国に金大中氏が現れて一件落着となつた。
米ソ冷戦時代は反共で欧米をまとめたが、冷戦終結後は自由と民主主義といふ大義名分でまとめた。もし本当に自由と民主主義が価値観なら移民国を除くすべての国は過去と断絶する。日本で言へば普通選挙実施以前、或いは議会開設以前と今は断絶してしまふ。二月十一日を建国記念の日として祝ふことは無意味になる。そんなことになつてよいのか。人類の価値観は先祖から受け継いだ文化を子孫に伝へることだ。それ以外にない。
全人類はそのことを自覚し世界を伝統地域と移民地域に分け、伝統地域が世界を統治し移民国の居住者の権利も擁護する体制にすべきだ。これくらい出来ないなら地球は滅びる。

二月十三日(水)「人類が一番悪魔に近い状態」
歴史を振り返り一番悪魔に近い人類が存在した時代は、アメリカが二発の原子爆弾を使用してから地球温暖化の事実が明らかになつた現在までである。
今後の我々には二つの選択肢がある。一つ目は今後も化石燃料の使用を続け地球を滅ぼすか、二つ目は化石燃料の使用を停止することである。本来は世界中が二つ目を選択したはずだつた。ところがアメリカといふ悪魔のせいで未だに選択できてゐない。このままでは悪魔の時代は原爆二発のアメリカで始まり、地球温暖化対策を一番妨害したアメリカで終はることになる。

四次元の戦いには二つある。一つ目は昨日述べたように時間を越へて伝統国と移民国に分け、伝統国が世界の主導権を握る。これは人口の比率からいつても伝統国が圧倒的に多いのだからよいことである。
二つ目は時空を超へた戦いである。地球を超へて他の天体の生物、或は時間を越へて他の時代の生物が高度の知能を持ち我々を観測したときに、アメリカ大陸とわれわれが呼んだ地域に住む生物が一番残酷であつた。さういはれない地球を今後作るべきだ。二つとも言論戦となる。

二月十七日(日)「質疑回答」
石原莞爾は昭和十五年五月京都で講演をした。それを立命館大学教授田中直吉氏が筆記し『世界最終戦論』として立命館出版部から刊行した。B六版八十八ページの小冊子であつた。第五章「仏教の予言」を除けば、日本史上最高の軍事戦略書といつても過言ではない。第五章が全体の価値を著しく損ねたが、あの時代は僧Xが流行したし神道が日本の国教(形式的には超宗教)だつたから石原があのように考へたのは無理はない。
昭和十七年大阪の新正堂から『世界最終戦論』が出版され、このときは「質疑回答」「戦争史大観」「戦争史大観の由来記」が追加されB六版二一〇ページであつた。「質疑回答」には幾つかの重要な情報がある。
まづ第四問の「東洋文明は王道であり、西洋文明は覇道であると言うが、その説明をしてほしい」の回答は白柳秀湖、清水芳太郎の意見を引用するが、根底に西洋のやり方をそのまま用いたのでは国民の生活が不安定になることを感じてゐたのだらう。
第六問「数十年後に起る最終戦争によって世界の政治的統一が一挙に完成するとは考えられない。」の回答は今では完全に間違つてゐる。「人類は近時急速にその共通のあこがれであった大統一への歩みを進めつつある。」には反対である。この時代は科学が急激に進化した時代だし交通が発展した時代である。今のように地球温暖化や原子力発電所の事故を目の当たりにした時代とは異なる。だから第六問の答は現在ではまつたく役に立たない。
第十二問は最終戦争に於ける戦闘指導についてだが、回答の「統制は自由から専制への後退ではなく、自由と専制を巧みに総合、発展させた高次の指導精神でなければならない。(中略)ものにはすべて限度がある。個人自由の放任は社会の進歩とともに各種の摩擦を激化し、今日では無制限の自由は社会全体の能率を挙げ得ない有様となった。統制はこの弊害を是正し、社会の全能率を発揮させるために自然に発生して来た新時代の指導精神に外ならない。(中略)しかし統制によって社会、国家の全能力を遺憾なく発揮するためにも、個人の創意、個人の熱情が依然として最も重要であるから、無益の摩擦、不経済な重複を回避し得る範用内に於て、ますます自由を尊重しなければならない。」は文化論として現在でも貴重である。シロアリ民主党の拝米新自由主義派が自由、民主主義といふ価値観を共有する、と叫ぶが、江戸時代に言つたのなら偉い。今の時代にいふことは新自由主義となり社会を崩壊させる。莞爾の弟の石川六郎は「石原の「統制」は独特の用語である。(中略)石原は「社会の指導理念」が「専制」から「自由」へ、そして今や「統制」に変るものと考えた。(中略)これは「官僚統制」の「統制」とまぎらわしいので、本人も適当な用語があれば改めたい希望を持っていた。」と解説してゐる。
第十四問「最終戦争の必然性を宗教的に説明されているが、科学的に説明されない限り現代人には了解できない。」には回答で
「この種の質問を度々受けるのは、私の実は甚だ意外とするところである。私は僧X聖人の信者として、聖人の予言を確信するものであり、この信仰を全国民に伝えたい熱望をもっている。しかし「最終戦争論」が決して宗教的説明を主とするものでないことは、少しく丁寧に読まれた人々には直ちに理解されることと信ずる。この論は私の軍事科学的考察を基礎とするもので、仏の予言は政治史の大勢、科学・産業の進歩とともに、私の軍事研究を傍証するために挙げた一例に過ぎない。」
石原莞爾を批判する人は第五章を以て「僧Xと結びついた特異な戦略論」などと評するが、第五章は傍証の一例である。真宗や禅宗やXX教が好きな人は無視すればよい。他の重要な部分を見逃してはいけない。

二月二十一日(木)「最終戦争後」
最終戦争なぞと大それたことを考へずに、小さな日本でよいではないかといふ意見が今なら出てくる。しかし当時はアジアとアフリカのほとんどが植民地だつた。アメリカは大陸を西海岸に向つて併合し太平洋に達した。そしてハワイを併合しフイリピンを植民地にした。当然次の標的は日本である。
アメリカが日本の中国撤兵を要求したのは中国のためではない。単に権益獲得に乗り遅れたからである。或は目障りな日本を叩かうとしたからである。この当時、列強は領土獲得といふよりは国内産業の輸出先を狙つてゐた。生産力と消費量の不均衡である。そこに気が付けば、今も当時と状況は変つてゐない。
ソ連が崩壊し最終戦は終はつた。しかし国内産業の輸出先を狙つて、新自由主義とグローバリズムと地球温暖化といふ二十一世紀の悪魔が現れた。これら三匹の悪魔を退治したときこそ本当の平和が到来する。人類はそれを平和的手段で行ふべきである。(完)


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