三千三百(うた)1.母の退院日記(その二)、2.県南からバス網が消える
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
九月五日(土)
五日ぶりに、母の面会に行った。(一)救急車で運ばれた(二)翌日、(三)その二日後、(四)その三日後、(五)同じく三日後、(六)その四日後と続いて、(七)今回は五日後だ。前回の翌日に妹夫婦がお見舞ひに来たので、開いたのは最大で四日だ。
このうち四回目から後は、眼を開けても意識が無かった。それは今回も同じだった。途中で顔を見ると、眼を瞑ってゐた。声を掛けることはせず、時だけが経過した。帰り間際に、再び声を掛けると目を開けた。それでは帰るから、と話し掛けると、頷いた。
せん妄を解くには、家から何か持ってくるのがよいとあった。母が元気な時に笑顔の写真が載った色紙を、持ってきた。来てすぐと、帰り際に見せたのがよかった。ベッド手前の棚に置いた。
家からは母の写真の載る色紙 来てすぐに見せ帰り際再度に母のせん妄解ける
反歌
帰り際微か頷く動き有り望みは戻り喜びは湧く
反歌
これからは母の笑顔が載る写真家族に代はり横に付き添ふ
九月六日(日)
閲覧注意昨日は、途中の「かつや」で昼食を食べた。これは、二回目面会以来、二回目だ。このときは、担当医師から携帯へ電話があり、急いで出掛けた。今回は、百円割引券を貰ひ、もう一回は行かうと決めてゐた。
この話には、伏線がある。その半月ほど前にインターネットで、松の屋の記事を読んだ。そこで食べようと決めたのだが、たまたま降りた駅の目の前に在ったので食べた。それだけだった。経済的に見れば、一回目で止めれば百円の損になる。二回食べれば、五十円になる。松の屋は、かつやより百円程度安い、としてもである。調査を兼ねて、前回とは別のものを食べた。
京浜東北線で蕨駅まで移動の後、歩いて病院まで行った。これも前回、バスを待つなら歩いても同じだ、と歩いたことが原因だ。これまで往復(または片道二回)1づつ、毎回異なる経路を採ったが、今回は往復と片道一回になった。これは蕨は歩く距離が200mだが一番短い、と分かったからだ。帰路は、同じ蕨へ向かったが、中央土橋通りと要害通りの中間を歩き、少し遠回りになった。
今回は、いろは亭の予約を取り消して出掛けた。直前までは、木戸銭用に五千円を崩し、昭和町図書館で返却と予約貸出しの予定を立て、準備万端だった。
前回から五日間開いたのは、ソーシャルマネージャーとの打ち合はせが入るのでは、と予定をしたが、入らなかった。母は意識が無いし、行かなくても退屈はしないだらう。さうは思ったが、色紙を見ればせん妄が解けるかも知れない。
もう一つ、疲れて寄席へ行く元気が無くなった。図書館だけ何とか往復し、そのままかつやへ行った。かつやも、油濃い物ではなく、カツカレーにした。閲覧注意終了
最近、家の中が静かになった。静かな老夫婦が食事をする。そんな雰囲気だ。
最高齢母が入院家の中静かになりて増す高齢度 平均と逆
九月七日(月)
これまで面会に行くと、寝てゐることが多くなった。眼を開けても、意識の無いことが多くなった。そのため前回面会のとき看護師ステーションに相談し、リハビリのときに同席させてもらふことにした。そして本日、それが叶った。
リハビリは三十分ほどで、手と足を動かし、マッサージし、上体を起こし足をベッドから下へ下げる。起こした状態は長いと苦しいらしく、少しで終了した。
寝たままだと、床ずれを起こし、手足の関節が固まって可動範囲が狭くなる。リンパ液が溜まる。これらを改善するためだらう。そう推定した。帰宅後に検索すると、だいたい合ってゐた。
理学療法士の方が、朝の声掛けのときや、リハビリのときの状況を説明してくださった。戸田中央総合病院は、極めて優秀な病院だ。
九月七日(月)その二
閲覧注意今日は、雨が強くなる予報なので、家から駅までと、駅から病院までを、バスにした。(220+240)×2×3.14のうち最後の五文字は冗談である。合計920円。
バス一日乗車券(800円)のほうが安いので、此れにした。併せて、午前中は浦和美園駅まで往復することにした。浦和駅東口から美園駅まで、往路は浦02で、原山、花月、尾間木、浅間下、念仏橋、大崎事業所前(昔の停留所名を用ゐた)、大門、美園郵便局、を経由する。
浦和美園駅のバス停に着いて驚いた。バス停が少ない上に、本数も少ない。本日午後に乗り換へる、北戸田駅と北戸田駅入口と混同し、イオンの通りまで行ったが、バス停は見当たらない。駅に案内図があるだらうと、駅のエスカレーターを上り、反対側に降りた。二十分ほどで美01が来る。新見沼橋とその前後のバイパスを渡るので、速い。浦和駅東口に到着し、西口からバスで一旦帰宅した。
午後は、自宅からバスで蕨駅まで。国道17号の、辻五反田の先から北町五丁目までの、2.5停留所間が渋滞した。渋滞は、信号待ちが長い交差点がある、交通事故や道路工事など、原因がある。ところが今回は、原因が無い。北町五丁目を過ぎると、渋滞は解消した。
時刻は午後一時なので、道路際の店で食事をして、一斉に出て来たのかな。終点の蕨駅へ着き、走って戸田公園駅東口雪に飛び乗った。座らないうちに、扉が閉まった。間一髪だった。乗り遅れたら、バスの乗り継ぎは当てにならない、と強く思ったことだらう。今日はリハビリの約束をしたので、遅れることは絶対に避けたかった。
面会が終了の後、上戸田地域交流センターから北戸田駅まで、バスに乗った。北戸田駅入口から南高経由南浦和駅行きに乗り、帰宅した。
今回気付いたことは、バスの交通網は消滅した。在るのは、駅など需要の多いところを結ぶ路線だけだ。理由は、昼間の本数が少ない。乗り継ぎは、予め検索しないと待ち時間が平均三十分発生する。これは一時間二本の場合だ。北戸田駅行きなど一時間に一本の場合は、待ち時間の平均が一時間だ。
もともと、バスは朝夕に利益を上げて、昼は赤字だった。ところが、コロナ禍のリモートワークで採算が悪化し、昼の本数を維持できなくなった。閲覧注意終了
バス路線線は前から続くとも乗り継ぎ難く網は消え去る(終)
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