三千二百七十(うた)(モリカケ桜フジ河柳ジャニーズ藪黒敗トリー放債カルト裏安)原爆の日と、岸信介の敗戦責任
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
八月八日(土)
一昨日は広島原爆の日、明日は長崎原爆の日だ。トルーマンとマッカーサの悪魔の行為を、絶対に許すな。併せて、敗戦責任の、岸信介と東條英機を許すな。
そして岸信介は、戦後にカルトを日本へ呼び寄せた。更に安倍は、岸信介を尊敬すると述べた。これらを許すな。

八月九日(日)
文春のホームページに
「敵機を落とすのは一にも二にも…」東條英機の「無能さ」を象徴する、学生たちをあきれさせた“言葉”とは?

が載った。
「どれだけの効果があがるかは疑問」
 当初からこうした懸念のあった特攻作戦に、なぜ旧日本軍は突き進んでしまったのか。その思想的背景や組織の病理を、昭和史研究の第一人者である保阪正康氏の著書『 「特攻」と日本人 』(朝日新聞出版)から一部抜粋してお届けする。
学生たちを呆れさせた、東條英機の「精神論」
陸軍の特攻作戦は、昭和19年2月の東條英機首相・陸相の、参謀総長兼任時からその動きがあったと見るべきだろう。(中略)昭和19年の初め、東條はしばしばパイロットを養成する航空学校や(中略)高射砲の学校へ視察に赴いている。そのとき東條は、その学校の生徒たちに、
「敵機が飛んできたらどのようにして迎え撃つか。君たちは何でその敵機を撃ち落とすつもりか」
と尋ねている。学生たちは(中略)何インチの高射砲だと撃ち落とせます、という知識を披瀝(ひれき)する。そのたびに、東條は「いや、それは違っている」とはねつける。
やがてしびれを切らした東條は、学生を難詰するように「敵機を撃ち落とすのは一にも二にも精神力だ」と答える。教室の中にはおのずととまどいの空気が流れる。そんな精神力というのが答になるのはおかしいのではないか、というのである。
こうした精神論は空虚そのものであり、それは身をさらす、つまり肉体を武器に使う段階に至る第一歩でもあった。東條にはそのような精神論を口にする傾向が顕著であった。それゆえにというべきか、東條が軍令と軍政の両方の権限をにぎったときにこそ、特攻作戦を認める空気が醸成されていったというべきだった。

東條は、石原莞爾が見抜いたやうに、上等兵としてなら優秀だった。東條に気に入られた岸信介(東條内閣の商工相、後に国務大臣兼軍需省次官。軍需相は東條兼任)も、同程度なのだらう。戦後にカルトを呼び込んだのも、先の事を考へない、その流れであった。

八月十日(月)
「効果があるのか」軍には否定派もいたが……
 昭和19年4月、5月の参謀本部の局長会議で、東條は「6月以降、B29機が日本爆撃に乗りだす算があり、敵の出鼻をたたくため、一機対一機の体当たりで行く必要がある」と発言したという。(以下略)
むろん航空本部の将校のなかには、「はたしてどれだけの効果があがるかは疑問」という意見もあったが、サイパンからの本土爆撃という現実が近づいてみると、とにかく「悠久の大義に生きるにはこれしかない」との結論に落ち着いていく。

そして
9月25日に参謀本部(中略)が航空関係の幕僚を集めて会議を開いたとあり、そこで参謀本部側から「航空本部が主導して特攻隊の編成、その攻撃を進めてもらいたい」との要望がだされたが、航空本部の将校たちは猛然と反対したとも記されている。

東條と云ふ無能な人間のせいで、日本は大変なことになった。日華事変拡大の武藤章、開戦の東條英機、資源と工業力不足の商工相岸信介。責任は重大だ。それなのに昨夏にNHKは、東條と武藤を美化する、とんでもないドラマを放送した。真の狙ひは、岸信介の美化か。
敗戦を終戦と化し生き抜くも 自社対決が終了後 属国進み悪化は今も

反歌  主要都市大空襲と原爆は敗戦三人責任重し(終)

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