三千二百二十七(うた)神戸奈良大阪旅行記、三日目
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
六月六日(土)
夜中に気付いたが、貨物列車が頻繁に走る。早朝に気付いたが、線路の継ぎ目の音がしない貨物列車もある。上りと下りだらうと想像したが、窓から見ると上りの内側は音がして、外側はしない。深夜は、継ぎ目音無しが一本だけあった。とは云へ、下りかも知れない。明け方から、外側ばかりになった。更に明るくなると、下りの貨物列車も少数だが走った。
昨日のチェックインのときに、鉄道の音がすると云はれた。小生はまったく気にならず、走行音で目覚めることもなかった。お手洗ひで目覚めた後や、早朝に起きた後に聴いた。
急流の小川の脇の家を買ふ 仲介店が伝へても音は好きにて無視をする 月を幾つか過ぎたのちまた売る人にまた繰り返す

反歌  鉄道の音が好きにも月を過ぎうるさく思ふ時は来るかも
早朝に、旧東海道を歩いた。駅前通りで、一本駅側の道路を引き返し、NHK、新聞社、NTT、県庁の前を歩いた。
大津宿 駅前通りの先側にあるも手前も 風情ある家やお寺や地蔵を散り観る

反歌  前に来た大津の宿は駅前の一本先を歩き横切る

  
旧東海道(江戸方面)                 旧東海道(京方面)                  京方面(草津駅方向)へ進むと

  
滝の音                       風情のある家屋

  

    
                          昨夜スーパーで買ひ飲んだ330円+税、これは美味しい上に19度(画面の都合で本日掲載)

朝食後はチェックアウトし、東海道線で石山まで行った。瀬田の唐橋を観た。この名を聞いたのは、小学生低学年の時だ。今まで観る機会が無く、てっきり瀬戸内海にあるのかと思った。それでは瀬戸の唐橋ではないか。
そのあと石山寺へ行った。山門手前の案内板に、紫式部が小説源氏物語を書いたとあるが、小説ではなく物語だ。小説とは、明治時代に西洋猿真似で書き始めたものだ。
山門内の塔頭と思はれるものが、堂名、園名を名乗る。有料部分の手前なので塔頭だと思ふ。有料部分へは、行かなかった。有り難い仏像なら拝む。貴重な仏像なら鑑賞する。しかし両方の中間は、どちらもしない。これは奈良の西大寺で思ったことだが、堂宇も同じだ。
予定では、往路は石山線で石山坂本線で来るはずだった。間違へて歩いたので、帰りはバスに乗った。
石山に降りて歩きて瀬田の唐橋 重き荷と石山寺へ歩き疲れる

反長歌  鉄道に乗りて石山瀬田を観る 間違へ歩きまづ瀬田へ更に進みて石山へ有料前を引き返し バスにて戻る石山駅へ
反歌  鉄道に乗るを逃すもバスに乗り楽故惜しき気持ち起こらず

  
瀬田の唐橋(小橋)                                            瀬田の唐橋(大橋)

  
対岸より(大橋)                   対岸より(小橋)                    草津宿(東海道と中山道分岐点)

  
高札場                                                 天井川跡

東海道線で、草津迄来た。旧東海道と中仙道の、分岐点を観た。本陣と草津宿街道交流館を観た。本陣は二百四十円。交流館は百十円追加なので観たが、職員が雑談をしてゐてよくない。本陣は、見応へがあった。印象に残ったことは
一、本陣部分と、私的家屋部分は、土間を隔てて分けてある
二、畳廊下の左右に広間が三つづつあり、襖で繋げることも出来る
三、上段の間の向かひに廊下を広くした相の間を経て向上段の間がある
四、土間の扉が上まで開き、乗馬のまま屋内の馬繋ぎ場まで行ける(三頭分か)
五、湯殿は四畳と広い板間に円形の湯舟。板間は数センチの排水の為の溝。お手洗ひは、小用の部屋の奥に大用。
六、副業に材木商を営んだので、私的部分の街道沿ひに店部分。
草津宿の手前駅側に、天井川の跡がある。家屋の屋根より高く、本陣の一番高い部分よりは低いかな。2002年に草津川放水路が完成し、公園になった。旧中山道は隧道で潜るが、江戸時代は橋が架かり、通行料を取ったさうだ。
東海道線で、野洲まで乗った。一本早い電車に乗ったら、野洲行きだっただけだが。外に出て、IBM野洲工場跡で今は京セラの工場を、信号の手前で見て引き返した。正門はここからも見えるし、信号を待ち渡ると、次の電車がぎりぎりになる。
米原から新幹線で帰宅した。米原は、売店が貧弱で何も買はなかった。朝食はバイキングで、多めに食べたので、昼食は摂らなかった。これは予定でもあった。(終)

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