三千百九十九(普通のうた、朗詠のうた)都営地下鉄一日乗車券後半
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
五月三日(日)
六本木は、東京ミッドタウンへ寄った。十時前なので地下一階の多くの部分は、開店前だ。スーパーは開店してゐて、殊勝だ。上の下以上が買ひに来ると思ふが、値段も高くない。ひとまづ店を出て、檜町公園へ行った。およそ区立公園とは思へない、由緒ある庭園である。

 
檜町公園

 
泡は枯葉など有機物によるものか。人工流水の副作用

ここで持ってきた酒を飲んだ。空き瓶に日本酒を入れたが、120mlくらいだらう。飲み足らないので、先ほど誉めたスーパーへ行った。今回は、店内の雰囲気が一変し、慌しくなった。酒の値段を見て、高く感じた。正しくは、個々のものは適正で、安いものが無いだけだ。先ほどの感想とは一転した。
そのまま地下鉄旅行を再開し、昔の一の橋、今の麻布十番で降りた。商店街を見終へたあと、一の橋公園で昼食を食べた。店を探すのが億劫になり、ここ二年ほど弁当持参が続く。時間を有効利用できるが、これも老化が原因か。
そのあと麻布十番の由来となった寺へ行かうとしたが、別の坂道を途中まで上がり、引き返した。こちらも寺町なので、行けるかと思った。途中の寺に、主張を押し付ける人は立ち入り禁止の張り紙があった。小生も、カルトの妨害に遭遇したことがある。他の宗派の催しにまで来るのは、寺に所属するカルトである。
大きな寺は、浄土真宗本願寺派だと判った。本願寺派でありながら大きすぎることが、欠点か。外国人向けのアザブスーパーマーケットに寄るか、と考へたが、1Kmある。これは中止した。 赤羽橋は、地上に出た。増上寺と芝公園の裏だった。芝公園の方角に東京タワーが見えない、と交差点まで進むと斜め左に現れた。ここはこれだけだったが、無駄ではなかった。
赤羽と神谷は北と港区の双方にあり 有名は昔も今も交通要所

反歌  港区は都電どほしに北区には都電と貨物十文字あり
次は、勝どきで降りた。地上に上がり少し勝鬨橋に近づき戻った。橋自体は、何回も観たことがある為、これ以上は近付かなかった。かつては、都電の線路ごと、上に張り上げた。架線もきちんと降り曲がった。都電時代はここが月島で、新宿から来る11番と、福神橋から来る23番の終点だった。二つの路線は交差点を直角に繋がり、11番の一部は二つ先の新佃島まで延長した。方向幕は、月島新佃島と表示した。
月島は地上に出た。都バスの月島駅前停留所は、昔の新佃島で、地名は完全に佃になる。月島駅は、有楽町線が月島と佃に半分づつ、都営大江戸線は大部分が月島だ。有楽町線が先に出来たので、駅名を月島佃または新佃島とすべきだった。もんじゃ焼きの街を観た。前にも一回観たことがあり、今回も食べなかった。価格満足度は、普通又はやや低めで、観光地特有の劣悪ではない。しかし、昔からあるものではないことと、混んでゐることが、理由だった。

 
元は酒店、右は何屋か                一本隣の路地

次は、春日町で降りた。文京区役所内から街路に出た。日曜兼祝日でも、写真展を観るなど、館内はそれなりに人がゐた。街頭地図で、後楽園遊園地がラクーアとアトラクションと、別名になった。調べる為に行ってみると、従来と同じで地下で繋がる。二十一日の死亡事故で、すべてのアトラクションが、営業休止だった。しかし、従来と変はらないと思はれる人たちがゐた。劇場型の催し物と、店舗が目当てだらう。
春日町まで戻るつもりだったが、水道橋から都営地下鉄に乗れた。そのまま、新板橋へ行った。この時点で、巣鴨から歩く選択肢は消滅した。あの区間は、三年ほど前に何回も歩いたので、もともと気が進まなかった。新板橋は、途中から板橋駅前までが仮囲ひに覆はれ、解体工事中だった。昔よく寄ったミャンマー人が経営するタイ料理の店も、この区画なので無くなった。
志村坂上で下車し、一里塚を観た。江戸時代から、一組二基の塚が、あの間隔だったとは驚きだ。説明板には、周りに石垣を作り崩れを防止したことが書かれ、移転したとは書いて無かった。
一里塚を曲がった先で、NECpcプラザPCランドの屋上看板を見つけた。一階の看板は、印刷会社だ。1985年から1993年辺りまでNECのPC店は多かった

茜さす日帰り旅も草枕 新しの街歩くとき 珍しきもの見つけるは 永六輔に非ざるも知らなき道を歩いてみたし
反歌  新しの街を歩けば珍しき見つけるがあり旅の楽しみ
そのまま小豆沢、桐ヶ丘、赤羽台と歩き、JRで帰宅した。(終)

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