三千百五十八(うた)良寛和尚の詩を精読、その二
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
三月二十三日(月)
今回は、第二章「参禅弁道・愛宗護法」を飛ばし、第三章「行雲流水・花紅柳緑」に入る。「迷悟相依成」で始まる詩の
「竟日 無字の経、終夜 不修の禅。」について
昼はひねもす不立文字の禅籍に読み耽り、夜は夜もすがら修証不二の坐禅(悟りを待たざる禅)に親しむ。

これは完全に賛成。この章は、この詩しか取り上げないが、完全に賛成の、詩と解説が多い。其の理由は、修証不二の四文字である。

第四章「一顆明珠・一鉢隨縁」では、「我が生 何処より来り、」で始まる詩について
我が生命は、一体どこから来て、また去って、何処へ行くのであろうか。(中略)禅定に入ってみても、生命の起源は分らない。だからどうしてその終焉が分ろうか。(中略)空の中にこそ我れという生命があるのだ。

この詩は、修証不二のほかに、教義複雑化批判も含まれる。完全に賛成である。

「高野道中買衣直銭」の題がある詩について、まづ高野とは、高野山ではなく、美作から伯州の道中だと解説がある。四行詩の最終行に「すべて風光の為に この身を誤る。」とあるが、人生を誤った訳ではない。それは、一行目の「一瓶一鉢 遠きをも辞せず」に現れる。

三月二十四日(火)
第五章「時空観照・芸林閑語」に入り、「寒冬十一月」で始まる詩は、美しい雪の景色に、最終行で「暗に催す 幽人の詩」、解説は
それとなく詩神が私に乗り移ってきて脱俗(二文字で、さとり)の詩を作らせる。

この解説は、完璧である。

同じく、「四月朱明の節」で始まる詩の最終行「句を拾へば おのづから詩を成す」の解説
うまく詩想をとらえれば、自然と詩ができる。

も、完璧である。

それなのに「猛冬 これ十月」で始まる詩の最終行「これに対して 一に長吟するのみ」の解説
詩想に想いを託すだけの能なし者である。

はよくない。飯田さんをインターネットで調べると、曹洞宗僧、仏教学、特に禅宗の文献学や漢文学、音韻学を専門とした研究者、とある。文学が専門では無いので、詩を作る意義に疎い。財が無くてもできる七つの施し(やさしい眼、おだやかな顔、爽やかな言葉、手伝ひ、心を配る、席を譲る、宿や休息の場を提供)に同等として、美しい文章、役立つ文章も、含まれるだらう。
「我が家の寒山詩 経典を論じるに勝る」の詩は、まさに此の事である。
美しか役立つふみは施しの七つに並ぶ尊き行ひ


三月二十五日(水)
第六章「家は閩(びん)川の東また東にあり」で始まる詩の、閩は「東越(福建省)」と註にある。地図で福建省閩川を検索すると、福州市の閩江と云ふ川が出てくる。閩川のことだらう。上流は三つに分かれ、そのうちの一つから東へずっと伸ばすと寧波に近い位置に至るが、これではない。
閩川の河口近くに黄檗山萬福寺がある。寧波から400Km離れるので、良寛和尚が訪問したとは思へない。黄檗宗の漢籍を読んでの詩であらう。

第八章の「釈帝観世音、清衆 わづかに十指なれども」で始まる詩の釈帝観世音について「河北省の趙州に在った寺院か」とある。河北省の趙州は寧波から1200Km。釈帝観世音は、別の寺院だらう。
修行僧は十人、作務、面壁。行ったことのない寺院について、このやうに地味な詩を書く筈がない。最後の二行は「みな道(い)ふ 古仏の会のごとしと、ああ また視(み)るべからず」。
釈帝の観世音寺は何処にぞ 書籍の著者は河北省趙州なるを想像も 十人と作務面壁と地味な内容実際に修行の寺があり得るか或いは寧波又は国内

反歌  時と場所異なり寺の存続も分からずしかし古仏変はらず

「題弘智法印像」の詩について、註に「下総の真言僧。行脚して越後に来て、(中略)坐禅したまま貞治二年に示寂した」とある。最終行は「画図の松風 千古に伝はる」。真言宗を扱った数少ない詩である。国上山が出てくるものはすべて真言宗だ、と云はれれば、それはさうだが。
国上山真言宗の寺なるもこれは地名に数には入れず


「良寛和尚と原始仏法を尋ねる」(二百二十四) 「良寛和尚と原始仏法を尋ねる」(二百二十六)

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