三千九十四(うた)閲覧注意大久保新宿訪問記
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
一月二十四日(土)
仕事終了後に、新大久保駅で降りた。駅が混むのには驚いた。横の改札から出て、100円ローソンは大久保通りに面してゐると思ったが、奥まった位置だ。昔は、ここでよく昼食を買った。定期券は新宿までだったが、新宿駅は通路を歩く距離が長いので、新大久保でよく降りたものだった。タイ、ネパール、ベトナム、中国、イスラムなどが集まるアジア街を歩くのが好きだった。
大久保はアジアの街に 南には韓国街と 北側はネパールベトナム中華タイ いつ歩きても飽きることなし

反歌  イスラムの食材店は昔から外食店はあまり見かけず
100円ローソンで、19度の日本酒紙パック(確か118円)を買った。度数が強いためか、よく回った。晩酌を止めたために、回るのが早くなったのかも知れない。
タイ料理の同一系列が三店あり、六年くらい前に一店が閉店した。閉店した店の前には、等身大のタイ式木造人形があり、アジア街を実感したものだった。
同じくタイ料理の別の系列で二店あり、一店はやはり六年ほど前にタイ菓子兼弁当に事業変更した。その店の前を通り、職安通りに出てガードを超えた。西新宿の飲食店街を歩いた。一番手前のタイ料理店は、弁当600円の表記が昔のままだ。
タイ料理店が二つ並ぶ通りは、一店が閉店したのも昔のままだ。少し先のタイ料理店は閉店し、西洋料理になったが、再びタイになったのも昔のままだ。弁当の値段が少し高くなった。
思ひ出横丁脇のガードをくぐり、本来の新宿に少し近づいた。と云ってもこの辺りはまだ角筈や淀橋だ。昔は新宿から都電に乗ると、一つ東側が「角筈」、そのあと「四谷三光町」「新宿三丁目」「新宿二丁目」「新宿一丁目」と続いた。このときは、信金に用事があった。
信金に寄ったあと、伊勢丹へ入った。客層が上、または中の上。そんな印象を持った。小生にぴったりだ、は冗談である。小学生のとき、夏休みに小学生向けに、いろいろな教室(学校の授業とは無関係の内容)が無料であり、一回参加した。翌年から有料になり、しかし間もなく廃止された。
百貨店一は上野の松坂屋二は新宿の伊勢丹か三は池袋西武と東武渋谷東横

この仏跡石歌は、小中学生のときの思ひ出だ。池袋と渋谷は同じ程度の思ひ出なので、七句と八句は区切らなかった。
地下鉄の新宿三丁目から新宿駅の先まで地下街を歩いた。南側のヒルトン東京の地下街からアイランド、小滝橋通り、百人町の吉野家の先から斜めに大久保駅。右側のタイ料理店は健在だった。今まで言及したタイ料理店で、ここだけは食べたことがない。
中央線のガードをくぐり、バレエ専門学校の閉鎖中廃校舎は、前回のむき出しから、囲いに進展した。同心通りから山手線のガードをくぐり。ほとんど行かない東側の韓国街へ行った。昔は工事中だった四車線道を北へ駅前通りまで。混んだ駅前通りを新大久保駅前から大久保駅前まで往復した。交番横の神社の混雑にも驚いた。大久保駅手前の元100円ローソンはローソンに転換したが、そのままだった。
180mlの水筒を持って行った。二時間ほどしてまだ温かいので、保温効果に感心した。とは云へ、容積が小さい。梶原いろは亭の友の会で記念に頂いたものだ。途中で喉が渇いたので、もなかアイスを三回食べた。三回とも異なる安売り店なので、115円から145円だった。ペットボトルや缶飲料は、飲みたくなかった。
甘きもの体に悪く外出も食べぬと決める酒を含まず

酒は、晩酌を止めたので、ほんの少量と、外出のときくらいはいいかな。(終)

メニューへ戻る うた(一千七百三十三の二)へ うた(一千七百三十五)へ