三千十二(朗詠のうた)パオ瞑想とミャンマー寺院と小生の止観法
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十一月三十日(日)
はじめに
南伝仏法とは無縁だった人たちに解説すると、従来の南伝仏法は、修行する僧と、それを支へる信徒で、構成された。僧は涅槃を目指し、信徒は僧を支へることで功徳を得た。しかし近代に入り世の中が複雑になると、信徒にも止観(瞑想)の希望が多くなった。
これは日本も同じで、明治時代に文豪たちが、鎌倉の坐禅会に参加したり脳病院へ行ったことが書いてある。或いは、信徒向けに写経会を催すのも、その一環である。

一、パオ僧院とその四十余の支院(ミャンマー国内は二十九)
パオ瞑想とは、ミャンマーのモーラミャイン郊外パオ村のパオ寺院の第三代僧院長が古文書「清浄道論」に依った瞑想法を行なったところ、ミャンマー国内とアジア各地に広まり、パオ寺院は巨大な瞑想センターに発展した。(12.01追記 モーラミャインはモン州の州都だが、パオサヤドーはビルマ人で、前に通訳さんに質問したところ、農村ではモン語が使はれるとのことだった。モーラミャインはミャンマー第四の都市なので、ビルマ語が使はれるやうだ)
パオサヤドーの門流で日本に毎年のやうに来られるクムダサヤドーや、ディーパンカラサヤレーが来日したときは、全国で瞑想会が開かれる。東京では、五十人以上が集まる。サヤドーは長老、サヤレーは修道女(尼さん)である。
中板橋や和光のお寺へ来る日本人の八割はパオ瞑想の実践者だ。前に、タイの瞑想法実践者が何回か来られた。小生は、クムダサヤドーとディーパンカラサヤレーの指導会に何回か参加をしたが、実践者と云ふほどではない。或る日本人比丘がパオ僧院日本支院を名乗り、中板橋と和光の経典学習会参加者が半減したことがあった。その二年後に鈴木一生さんがmixiに
SG禅師の日記を見ていたら、MK禅師はパオ瞑想道場では修行した事がない。道場の受け付で調べて貰ったが、MKと言う名前では登録していない。と言う(中略)書き込みがありました。(中略)パオ道場で修行している、チョウチョウタイさんと言う、日本に15年間も住んで(中略)人には一応電話して、直接パオセアドーに聞いて貰ってとお願いしておいた。
(中略)セアドーに確かめて貰ったところ、パオ本部道場の修行が終わり、その時点で最初の悟りに至った人だけが、特別にパオセアドーの住んでいる、メミョウと言う高原の道場で更に深い修行指導を受けた一人がMK禅師だと分かった。この指導は何年かに一度は、各地で活躍している、道場主だけが、特別に呼ばれ、約一カ月セアドーと一緒に修行し、指導をうけるものだ。よく日本に来る、クムダセアドーやデーパンカラサヤレーなども参加する。

チョウチョウタイ比丘は、中板橋で初代通訳をしてくださった。
その二年半後に突然日本支院の名称をMK会に変更し、その一年後にMK会のホームページが突然
MK禅師が、律で禁じられた項目の中で最も重い罪であるパーラージカ(淫・盗・殺・妄)を犯しているとの情報提供を、複数の第三者から受けました。

と載せた。ここまで来ると事情が分からない。小生に分かることは、MK比丘が帰国した直後の瞑想会では、誰でも無料でいつでも参加できる施設を作る、と張り切っておられた。しかし、支へる信者が少ない。比丘を大切にする文化もない。日本人の比丘仲間が少なく、布薩はどこかへ行かないとできない。そのため、挫折したのだらう。

二、パオ瞑想と、小生のこれまでの止観法
小生は、クムダサヤドーとディーパンカラサヤレーの瞑想会が中板橋近辺で開かれるために、それに引っ張られて参加しただけで、パオ瞑想に特化した訳ではない。止観メーター論で、やればやった分の功徳を積む、との立場だ。ただしそれは、時間ではなく中身だ。
もう一つ、戒定慧三学論がある。止観は、三つの中の定だ。止が定で、観が慧だ、とする考へもあり、無常無我苦やその前提として不浄を指向するなら、観は慧だ。小生は、その部分を経典や解説書で得る方法もあると思ふ。
人間には、止優勢者と、観優勢者と、中間者がゐる。パオは、止から入って観になるから、中間者または、中間に近い観優勢者向けだ。それに対し、ミャンマーで急速に伸びた瞑想法のマハーシは、最初から観なので止優勢者向けだ。パオとマハーシに対し、数では圧倒的に多い従来からのお寺は中間者向けだ。
小生は観優勢だが、中間に近くないためか、パオを行なっても光が見えない。そのため、座っては息に集中し歩いては足に集中する(以上、パオ及び従来型)、心を止め心に集中する(以上、曹洞宗式)、無常苦無我に集中する(以上、従来式)を組み合はせてきた。

三、和光寺院の瞑想会に参加して
瞑想会に参加し、或いは瞼の裏が幽かに光るのは、パオの瞑想ではないか、と気付き一旦は喜んだ。だとすると、次は何をするのか、と希望が広がる。なるほどパオ瞑想に熱心な人たちは、この状態なのかと理解度も広がった。
しかし何をしなくても目をつぶれば、幽かに光が浮かぶ。外の光や残像だ。喜びは、一瞬に消えた。とは云へ
目をつぶり幽かな光見えるあり心を止めて少しあと 雲と細きの光りあり これがしるしか一つを進む

反歌  和光にてしるしにつきて話あり和みの心光に出会ふ
今回は「朗詠のうた」なので、ニミッタをしるしと訳した。(終)

「初期仏法を尋ねる」(百九十三の三)うた(一千五百五十二の三)  「初期仏法を尋ねる」(百九十四)

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