三千十二(普通のうた、朗詠のうた)土地建物購入からパゴダと集会棟まで
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十一月二十八日(金)
お昼を食べながらの会話で、東久留米から自転車で来た人がゐた。10Kmださうだ。もう一人自転車の人がゐて王子からだと云ふ。小生は歩きで7.3Kmだ。軽自動車で、木更津から来られた方もゐた。
日本人参加者の半数以上が、電車以外だ。その理由は、駅から少し遠い。結婚式は、参加者がまとまって車で来るし、小規模なら中板橋を使ふ。広い土地は正解だった。
購入の時に区画が細分化され、再建築不可、土地が広いのに別邸新築も不可だった。最初から話を知ればやめたほうがいいと進言したが、既に募金が始まりかなり集まってゐた。だから「やめる方法もあります」と進言した。これは、将来解決するし、万一しない場合はミャンマー政府から日本政府に働きかければよい。
将来解決のために、周りの登記簿を取り寄せてお渡しした。将来解決とは、会社にしろ個人にしろ代が替はる。広い土地を売らせる方法を企んだ人たちはゐなくなる。これで解決するはずだ。(11.29追記 重要事項説明書に再建築不可が書いてあるため、解約すると手付金が戻らない、と云ふ事情もあった。在日ミャンマー人から寄進された尊い浄財を、無駄にすることはできない。)
ミャンマー政府から日本政府への働きかけは最終手段だが、お寺はミャンマー政府側でも反政府側でもない。どちらの人達も参拝が出来て、功徳を積むことができる。それがお寺である。
パゴダを建設の時に、小生は移動式を提案した。下に車輪を付けて手動で移動できるやうにする。車輪は外から見えないやうにする。小生の拙案は採用せず、建築物として無事完成した。そして今年の三月には、集会棟も完成した。二つの建物を見ると、感慨無量だ。在日ミャンマー人の、良心の勝利だった。
再建築できない土地は 在日のミャンマー人の真心が乗り越えパゴダ集会棟へ
反歌
和光市の名所となるぞ将来はパゴダの手前神々の像
購入前に何回か現地調査し、私道上に変な境界標が四ヶ所あった。前回は無かった。あの位置で区切られると、更に再建築が難しくなる。すぐ役員に連絡し、次に現地調査すると無くなってゐた。売り主側の不動産業者に質問したが、知らない様子だった。売り主側は善意の人で、区画細分化では被害者だ。売り主側の不動産業者は大手電器系なので、やはり無関係だ。あの境界標は何だったのか、写真に撮ればよかった。
登記完了の電話が来るまでの待ち時間に、売り主母娘と雑談してゐて、浦和のうなぎ屋が話題になった。○○屋がありますね、と小生が云ふと母娘が笑った。関係者か、勤めたことがあるのかな。
ミャンマーのお寺は和光 和(やまと)なる光が丘の真北にて 坂の上から戸田蕨高殿二つ輝くを見る
反歌
和むとき光を前にのに建てるおおきな土に寺と神々
「輝く」は和光の縁語、反歌は「和光のお寺」の折句。
今回の特集を機に、(その一)に遡りリンク名を「初期仏法を尋ねる」に変更した。在日ミャンマー人の信仰に、敬意を表する為である。(終)
「初期仏法を尋ねる」(百九十三の二)うた(一千五百五十二の二)
「初期仏法を尋ねる」(百九十三の四)うた(一千五百五十二の四)
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