二千九百九十六(うた)短編物語「関が原、引き分けに」
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十一月十六日(日)
第一章 関が原
関ヶ原の戦ひは、裏切り者が出た為に東軍の勝利となった。裏切の事を、西軍がその前に知ったらどうなっただらうか。西軍は、徳川家康の首を取ることだけに集中し、そして成し遂げた。
東西両軍の死傷者はほぼ同じで、西軍も石田三成の戦死など被害は大きかった。徳川家康と石田三成がゐなくなると、両軍に戦ふ理由はなくなる。自然解散になった。
家康は政権奪ふを狙ひ出し政略結婚進めるも 秀吉自身織田家から政権奪ひ自業自得に
反歌
信長は異様性格西洋の事を学びて唯物論に
ここで得をしたのが上杉である。漁夫の利を得て、周辺への領土切り取りを始めた。
第二章 四大老四奉行
家康と光成の抜けた四大老四奉行のうち、上杉景勝も抜け、かうなると四奉行は力を失った。三大老のうち、前田と宇喜多は豊臣政権維持派、毛利は周辺領土切り取り派である。切り取り派ではあるが、まだ形の上では三大老のため、準備を進めるだけで攻撃は開始しなかった。
前田と宇喜多は相談し、家康の率いた上杉遠征軍を再結成し、毛利を総大将にした。これで上杉と毛利を弱体化できれば幸ひである。ところが上杉は弱く、あっと云ふ間に滅亡した。上杉遠征軍には、旧上杉領を分割して与へた。
第三章 豊臣家滅亡
東軍の毛利は、豊臣家の敵は宇喜多と前田だとして大坂城を占領した。これは、上杉遠征軍に親豊臣が多い為の大芝居だった。しかし宇喜多と前田は、節操のない豊臣家が嫌になった。やがて三大老は和解し、豊臣秀頼は大坂城で三大老暗殺を試みて殺害された。
そのため関白職として、皇族を大坂城へ迎へることになった。元々関白は宮中の役職なので、帝や院は喜んだ。これからは大坂城の主として、武家の棟梁を兼ねるからである。
かうして三大老による政治は、黒船が現れるまで続いた。養祖父殺しの上杉景勝と、秀吉の子か疑はしい秀頼がゐなくなり、天道政権と呼ばれた。世の中は、正しく運営しないと長続きしないことを、世に示した。
黒船が現れても、関白は皇族なので、勤皇派は現れなかった。そもそも天道政権は、鎖国をしなかったから、黒船が現れても誰も驚かなかった。
信長の異常性格政権曲げる 秀吉の権力欲が政権曲げる 家康のずる賢さが政権曲げる 三大老当番制で政権正す(終)
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