二千九百九十三(うた)短編物語「統一宗派」
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十一月十四日(金)
第一章 唐土と日本、宗派の違ひ
唐土の宗派は学派だから、複数の学派で修行することができる。日本の平安時代以降の宗派は教団だから、他の宗派で修業をするなど言語道断だ。しかし日本も奈良時代までは、宗派は学派だった。江戸時代の後期に、そのことに気付いた或る僧が、そのことを論文に書いた。
これが将軍の目に留まり、実行することになった。近年、寺請け制度の悪弊が現れ出した。そろそろ何かする時だと考へてゐた。
平城京六宗派とは学派にて二つを越えて学ぶ僧あり


第二章 全宗派が一宗派
門徒宗は、僧ではなく非僧なので除外した。それ以外のすべての宗派は、他宗派での修行を自由にした。宗論(宗派間の公開論争)は届け出の上で、他宗派を攻撃するのではなく、経典学習として行ふことで許可した。
とは云へ、このころすべての経典は、お釈迦様が説いたものではなく、後世に作られたらしいと主張する人が現れ出した。富永仲基はその一人でそのため、何々経の第何巻にこのやうに書かれてゐる、と云ってみても、相手の宗派は反論できなくなった時の対策で、後世に作られたものですが、と前置きをしてから発言する。これでは単に、大乗非仏説を宣伝するに留まり、すぐに宗論はどの宗派もやらなくなった。
その一方で、他宗派で修業する事は、仏法界を大いに盛り立てた。人気があるのは、禅宗系と真言系だった。
禅宗と真言系は人気あり仏陀修行と神通力に


第三章 黒船後
国学が伸びるにつれて、仏法は衰へが目立つやうになった。そのやうななかで、黒船が現れ世界のほとんどが西洋の植民地になったことが国内に知られると、世情は不安定になった。ええじゃないか踊りや伊勢神宮へのお蔭参りが起きた。
秋津洲世相不安が広まりて まづ真言に人気あり 明治になりて文芸者参禅により心を保つ

反歌  国内の混乱に乗り権力やカルトに乗るを許すべからず
この頃、律宗の僧が、全宗派統一を主張した。まづ戒壇で律を保ち、その後はすべての宗派平等にするるとの提案である。これは奈良時代に戻るよい提案だったが、各宗派の長老たちにとり、若い者が末寺で修業し本山へ行った後に、別の宗派に熱中した場合に末寺はどの宗派になるのか、と心配し始めた。
全宗派が統一するのだから、気にする必要はないのに、皆が気にして廃案に持ち込んだ。このあと、戊辰戦争から廃仏毀釈、世の中が近代化、敗戦と、大変なことが続くとは、誰もそこまでは考へなかった。(終)

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