二千九百八十(うた)短編物語「吉宗御三卿を作らず」
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十一月四日(火)
第一章 御三卿
吉宗は名君と云はれる。しかしこれは誤りだ。御三卿を作ったことが、幕府を潰した。そもそも御三卿は、自分の子孫を将軍にしようとするものだ。吉宗は、私欲が強く、幕府を私物化し、種馬男だった。
これより、吉宗が御三卿を作らなかった場合の物語を開始しよう。すると、尾張紀州水戸の御三家から、将軍を継ぐ人が何人も出た。徳川宗家の嫡男以外が、御三家へ養子になることもあった。さうなると、水戸斉昭が自分の息子を将軍に、と考へることもなくなる。
強大な幕府は、次の将軍を巡って二つに割れなければ、弱まることはない。強大な幕府は、ずっと続いた。
将軍の人選につき争へば幕府弱体 悪質な連中が出て新たな幕府
反歌
薩長の欲得幕府敗戦で消滅するも残存者あり
残存者とは、物理的な薩長出身者ではない。薩長出身者でカルトお友だち依怙贔屓だった輩を引き継ぐ者である。
第二章 長州征伐
第一次長州征伐の、征長総督尾張慶勝(前々藩主)が中途半端に終はらせることは無いし、もし奇兵隊が長州藩の主導権を奪ふことがあれば、すぐ反撃した。
そもそも幕府が強大なので、長州に倒幕の考へは出なかった。
免疫が弱まるならば潜伏のウイルス細菌現れる 政治も同じ有害物が
第三章 その後
明治維新で最悪なのは、神仏分離と僧侶妻帯だ。これで日本の宗教から、大らかさが消えた。長い年月の遺伝子適合も消えた。日露戦争後の慢心、熱河作戦から華北分離工作までの侵略性、日華事変に見る硬直性など、神仏から大らかさが消失したことが原因だ。
二番目に、岩倉使節団が西洋かぶれになり過ぎた。そのため国民の精神状態が不安定になった。また、社会の変化が急速過ぎたために、農地の地主が巨大化したり、財閥が急激に膨張した。悪い言葉を使へば、どさくさ紛れの金儲けだった。その体制が、昭和二十年迄続いたのだから、驚く。
さて、徳川幕府は強大なままなので、明治維新は起きなかった。とは云へ海外とは、船や情報や物資や金が、出入りする。幕府の門閥政治では駄目なことは明らかだ。
新たに諸藩会議を創設し、そこで決めるやうにした。そのうち商工業が発展し、武士は貧乏人の代名詞になった。武士を辞める人が続出し、武士の仕事は、商工農の人たちが担ふことになった。
武士社会縮小による再生産農商工は拡大続く(終)
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