二千九百六十一(朗詠のうた)短編物語「真珠湾攻撃実行せず」
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十月二十四日(金)
はじめに
短編物語を、「会津の巨城」に続き「真珠湾攻撃実行せず」も作った。
第一章 開戦前後
日米開戦直前に、アメリカからハル・ノートが出された。このとき或る大臣が、アメリカから回答が来てアメリカと戦争をするのは芸がない。別の国と戦争をしたほうがよくないか、と言ひ出した。
海軍にとり、この発言は渡りに舟だった。海軍だから、文字通り舟だった。真珠湾攻撃は、図上演習で大きな被害が出ることになってゐた。そのため海軍の多くの高官たちから、連合艦隊は実行部隊なのになぜ作戦を立案するのか、軍令部が立案すべきだ、と批判が沸き起こった。とは云へ、今さら作戦を変更はできない。日米開戦が無くなるなら、有難い。さっそく海軍大臣が賛成した。
すると多くの大臣が我も我もと賛成し、日米開戦は中止に決まった。石油を確保するため、当時は蘭印と呼ばれたオランダ領のインドネシアへ進出することになった。江戸時代の日蘭通商を持ち出して、戦闘をした形にして石油を日本へ移送する。代金は後で払ふ。そして平和裏に輸入権を確保した。
イギリスへは、過去の日英同盟を持ち出し、石油輸送を妨害しないやう約束を取った。その代はり、日独伊三国同盟を破棄し、フランス領のベトナムから撤兵した。
アメリカ国内には、欧州の第二次世界大戦に参戦したがる議員、高官が多かった。日本をダシにして参戦しようとしてゐた。日本は、うまく切り抜けることができた。
第二章 アメリカが戦闘
それなのに12月8日に、フィリピン近郊でアメリカの艦船が、日本の軍艦に攻撃を仕掛けてきた。まもなく戦闘は止み、アメリカは陳謝し、日本に賠償することになった。どうやら日本の暗号が解読され、開戦日を各部隊に通知した後に、取り消しの連絡がアメリカ領のフィリピンまで間に合はなかったらしい。この騒ぎで、アメリカは石油輸出を再開することになった。
暗号が解読された責任を取り、東條内閣は辞職。多田駿を陸軍大臣に内定の上で首相の大命が下った。陸軍は、もともと三長官会議で多田を陸相に指名したことがあるので、異論はなかった。それどころかこのころ既に、首相が陸軍大臣を指名し、陸軍大臣が参謀総長を指名する制度が確立してゐた。多田は、石原莞爾を参謀総長に任命した。
二人は、アジア派、日支事変不拡大派なので息が合った。今で云ふ説明責任を、軍内部、国民に浸透させながら、最後は天皇様が蒋介石と会談し、ラヂオで平和を告げた。ここに日支事変は終了した。
第三章 戦後処理
第二次世界大戦が終はってみると、欧州がアジアやアフリカに持つ植民地は、そのままにされた。第二次世界大戦は、欧州どほしの戦争で、アジアとアフリカは関係ない、との理屈である。
中国は、蒋介石の独裁が死ぬまで続き、後を継いだ息子がまた独裁を始めた。
これらがどうなったかは、まだ分からない。
物語り時と所を越え行くは 善き世の中にする為の 異なる道を探し続ける
反歌 
おほ戦避ける為には道やある物語にて時遡る(終)
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